先ほど、文芸春秋12月号の読者投稿欄をチェックしました。
載っていませんでした、私が出したものが。
“あの良さがわからないなんて”、頭にきています。
今までの経験で、記事に対する否定的な文章を投稿した場合、確実に没になるようです。
私としては、文芸春秋にそれを受け入れてくれるような“腹の太さ”を期待しているのですがだめなようです。
今日はその投稿文章をもう一度、皆さんに読んでほしくて載せてみます。
良いと思ったんだけど。。。。
11月号の佐藤優氏と池上彰氏の“新教育論”は興味深い物でした。読み終わって、改めて“教育に手本はない”ということを感じました。この二氏は教育自体を総括的に考え、それに対して国家間、大学間での違いを述べていますが、それは違う気がします。教育にはいろいろな、一派一絡げに考えては、または比べてはいけない要素(その国特有な文化等)がたくさん含まれています。どの国(大学)の教育が優れているからそれを見習おうなんてことを言ってるから、単純に教育のグローバル化が叫ばれるようになるのです。教育というものは複雑なもの、“この方法が良い”なんて言う画期的な方法なんてあるわけがないのです。というのも人間という複雑怪奇な個人を育てていく“手助けをするのが教育”だからです。そして、将来必ず直面するであろう人生の分かれ道において、可能な限り的確に自分に見合った道を選択できるように育てるのが本当の教育だからです。池上氏の言う、最終的に“納税できる良き市民”を育てることが、決して教育のあり方ではありません。
小国、単一民族でありながら、20個ものノーベル賞をとることができ、更に言えば国民ほとんどすべてが読み書きできるなんて日本人、日本文化はすばらしいではありませんか。私はあえて言えば、“日本人、人間としての誇り”、を教えることがまず一番大切だと思います。日本人の誇りの原点である国歌国旗を否定するような教育者政治家の教育が先だと思います。
日本国民1億2千万人を総馬鹿にする“バラエティー番組”が、相変わらず毎晩津波のように日本の茶の間を襲っています。
“もう下火になっても良いんじゃない”と思っているのですが、毎回日本に帰ってくるたびにその期待は裏切られています。
料理を見せればよいだけの料理番組にも、余計な人たちが料理人のそばに立って、面白おかしくくっちゃべっている。
とにかく、すべてのバラエティー番組は、余計なタレントのないタレント達が多すぎます。
“衝撃の映像”だって、私が見たいのは映像であっていタレントの“口角に泡飛ばし叫んでいる顔”でもない。
馬鹿丸出しのコメントも聞きたくない。
温泉紹介番組では、静かに言葉使いも丁寧な大人の人に紹介してほしい。
タレントがギャーギャー騒いで、食べながら紹介している“隠れグルメレストラン”なんかもいやですね。
“面白きゃあ、何でもありさ”的番組はもう終わりにしてほしいです。
日本国民が本当に馬鹿というより、現実と空想の区別がつかなくなる前に。
今日の写真は余市からです。
土曜日、禮ちゃんが“りんごを買いにいきたい”といったもんで。
日曜日に車にガソリンを入れに行くと、そこのお兄さんが、“あれ、お客さんタイヤに空気が入っていませんよ”だって。
釘が刺さっていました。
“これで、昨日余市までいったんですよ~”といったら、お兄さん、驚いていました。
無事帰ってこれてよかったね、禮ちゃん。
余市福原漁場跡
ハブグレジュンタのマミー
載っていませんでした、私が出したものが。
“あの良さがわからないなんて”、頭にきています。
今までの経験で、記事に対する否定的な文章を投稿した場合、確実に没になるようです。
私としては、文芸春秋にそれを受け入れてくれるような“腹の太さ”を期待しているのですがだめなようです。
今日はその投稿文章をもう一度、皆さんに読んでほしくて載せてみます。
良いと思ったんだけど。。。。
11月号の佐藤優氏と池上彰氏の“新教育論”は興味深い物でした。読み終わって、改めて“教育に手本はない”ということを感じました。この二氏は教育自体を総括的に考え、それに対して国家間、大学間での違いを述べていますが、それは違う気がします。教育にはいろいろな、一派一絡げに考えては、または比べてはいけない要素(その国特有な文化等)がたくさん含まれています。どの国(大学)の教育が優れているからそれを見習おうなんてことを言ってるから、単純に教育のグローバル化が叫ばれるようになるのです。教育というものは複雑なもの、“この方法が良い”なんて言う画期的な方法なんてあるわけがないのです。というのも人間という複雑怪奇な個人を育てていく“手助けをするのが教育”だからです。そして、将来必ず直面するであろう人生の分かれ道において、可能な限り的確に自分に見合った道を選択できるように育てるのが本当の教育だからです。池上氏の言う、最終的に“納税できる良き市民”を育てることが、決して教育のあり方ではありません。
小国、単一民族でありながら、20個ものノーベル賞をとることができ、更に言えば国民ほとんどすべてが読み書きできるなんて日本人、日本文化はすばらしいではありませんか。私はあえて言えば、“日本人、人間としての誇り”、を教えることがまず一番大切だと思います。日本人の誇りの原点である国歌国旗を否定するような教育者政治家の教育が先だと思います。
日本国民1億2千万人を総馬鹿にする“バラエティー番組”が、相変わらず毎晩津波のように日本の茶の間を襲っています。
“もう下火になっても良いんじゃない”と思っているのですが、毎回日本に帰ってくるたびにその期待は裏切られています。
料理を見せればよいだけの料理番組にも、余計な人たちが料理人のそばに立って、面白おかしくくっちゃべっている。
とにかく、すべてのバラエティー番組は、余計なタレントのないタレント達が多すぎます。
“衝撃の映像”だって、私が見たいのは映像であっていタレントの“口角に泡飛ばし叫んでいる顔”でもない。
馬鹿丸出しのコメントも聞きたくない。
温泉紹介番組では、静かに言葉使いも丁寧な大人の人に紹介してほしい。
タレントがギャーギャー騒いで、食べながら紹介している“隠れグルメレストラン”なんかもいやですね。
“面白きゃあ、何でもありさ”的番組はもう終わりにしてほしいです。
日本国民が本当に馬鹿というより、現実と空想の区別がつかなくなる前に。
今日の写真は余市からです。
土曜日、禮ちゃんが“りんごを買いにいきたい”といったもんで。
日曜日に車にガソリンを入れに行くと、そこのお兄さんが、“あれ、お客さんタイヤに空気が入っていませんよ”だって。
釘が刺さっていました。
“これで、昨日余市までいったんですよ~”といったら、お兄さん、驚いていました。
無事帰ってこれてよかったね、禮ちゃん。
余市福原漁場跡
ハブグレジュンタのマミー