退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1790: スプリングブレイク(春休み)、1978年

2023-03-09 13:05:35 | アメリカ便り

こんばんわ。

明日は娘の所に行ってきます。

また、朝6時に家を出て車を駐車し、8時の飛行機に乗っていってきます。

明日は娘は働いているので、暇な婿がピックアップしてくれるそうです。

娘はいつも急なんです。

今回も、オーケストラがモーツアルトのレクイエムをやるから一緒に聞きにいこうだって。

子供が遊んでくれるなら飛んでいきますよ、てな感じです。

モーツアルトと言えば子供たちが小さい時よく聞いてました。

きっとそれを覚えているんでしょうね。

私は子供たちが4歳半ぐらいからチェロを習わせ始めました。

スズキメソッドと言って、ちょっと❝宗教の音楽版❞と言った感じで、ちょっと変わっている方法です。

松本市に住んでいたスズキ先生が始めた方法ですが、私の町ではこのスズキ先生の直弟子と言う方がバイオリンを教えていて、ご主人がチェロを教えていました。

❝子供は環境の子❞と言う教えの通り、母親が一緒になって習います。

というか、まず母親が何か月かかけて一通りマスターしなければ子供の練習が始まらないのです。

私は母親の中でも落第生で6か月ぐらいかかったんじゃないでしょうかね。

こっちはフルタイムで働いて子供を保育所からピックアップしレッスンに行くのですが、最初は週2回も行ってました。

それで、私は2回のレッスンを1回にまとめてやってくれと頼んだら呆れられました。

他にレッスンをやってる子供のお母さんは、私ともう一人のアメリカ人を除いてみんな主婦だから良いけど、こっちとら働いているんだからすこしは大目に見てくれてもいいのに。

なんて当時は思っていましたが。

レッスンだけじゃないんですよ、子供たちは小林一茶の俳句を100個暗記し、仕上げは宮沢賢治の❝雨にも負けず❞をすべて暗記しなければいけないんです。

ということは私が子供にぴったり張り付て、逃げ回る子供たちを椅子に座らせ、ご褒美を目の前にチラつけながら教えなくちゃいけない。

大変でしたね。

年間走行距離は12,3年間は3万キロでした。

 

話がそれましたが、こちらの学校は3月の初めから4月の初めにかけてあちらこちらの学校で1,2週間のスプリングブレイクと言うのがあります。

メキシコが人気なんですが、今年は❝命の保証はない❞と言われています。

というのも先日アメリカ人4人がドラッグギャングにさらわれ、そのうち2人は殺され2人は病院送りとなりました。

ギャング一人は捕まったけど、他はまだ捕まっていません、というかギャングがたくさんいすぎて、捕まえるのも大変でしょうね。

この4人のアメリカ人はハイチ人のギャングと間違がわれてさらわれたそうですが、この人たちの写真を今日のテレビでみたら、こう言っちゃ良くないんですが、ギャングにまちがわれそうな顔をしてました。

テレビに出てた写真が4人ともマブシャットと言って警察で捕まった時にとられるような写真でした。

この人たちがメキシコに行った理由もよくわからないんですが、治療を受けに行ったとのこと。

アメリカで受けられない治療、わざわざメキシコに行かなければ受けられない治療なんてなんだろ、と考えます。

でもとにかくアメリカ人がさらわれ殺されたことが今は問題なんですが。

メキシコのカンクーンなんてスプリングブレイク(春休み)の聖地みたいなもんで、毎年大学生が酒にドラッグにOOOで狂うんです。

私は1977年に23歳でアメリカに渡りましたが、78年にはスプリングブレイクを味合うため、女友達と二人で、学校スポンサーのスプリングブレイクでテキサスのサウスパドレイアイランドと言うところに行ってきました。

それもスクールバスに乗って、私を除いたすべてが18,9の1年生。

何時間かかったか忘れたけど、15時間はかかったと思います、地獄でした。

うるさいやら、トイレやらマクドナルドやらちょこちょこ止まるやら。

バスに乗って1時間ぐらいで、❝これは失敗だ❞と思いました。

これも経験だったんでしょう。

ハブグレジュンタのマミー