こんばんわ。
そうなんです、人生初めてとなる肺炎なるものを楽しい旅行中の日本で患ってしまいました。
多分、孫の喉頭炎から頂いたもんでしょう。
私の顔に向けてまともに咳をされた時、❝やばい❞。
29日に京都に入り、その晩は私は一人ホテルの部屋でおとなしくしていました。
30日、31日は京都の友達が観光案内と私の面倒を見てくれ大変助かりました。
30日は宮崎からもう何十年になるか忘れるくらいの古い友達と、駅近くの居酒屋で会食。
私は咳ばかりしていて大変迷惑をかけましたが、主人と娘夫婦は何とかお相手を買ってくれ助かりました。
それからおしゃべり大好きな婿も、相手をしてくれました。
31日は東京の友達の、京都の大学へ通っている息子がバイトしている老舗の店で人生初めてのカモしゃぶ。
おいしかったですね。
私が友達とゆっくり散策を楽しんでいる間、娘夫婦とそれに振り放されないように引っ付いている主人は伏見神社、奈良、嵐山、2条城、金閣寺、‘銀閣寺などなどこなして行ってました。
主人よくやった。
1日は大阪に行って道頓堀やらなんやらを、私抜きでやってました。
そして2日に札幌に入り、私の体調は最悪。
3日に近くのクリニックに行って肺炎、それも入院に近いもんでした。
外人二人に❝半分日本人❞の娘を残して入院なんてできるわけがないと、焦りましたが、そこは的確判断に関しては優れた先生で助かりました。
コロナとインフルエンザの検査は陰性で、いろいろ薬をもらって昨日4日目にまた先生に診てもらい、まあ~、順調でしょう、ということで、また4日分の薬を足してもらいました。
水曜日は娘夫婦を空港まで送り届けました。
すぐに会えるとはわかっていますが、やはり去られる、ということは寂しいことです。
私の母も年1回しか帰ってこない娘を、このように何十回も送っていたんだろうな~、と感無量。
東京も京都も外国人であふれていました。
水際対策がまだ厳しいせいでしょうか、それともめちゃくちゃな経済悪化のせいか中国本土人はそれほどいませんでした。
これは良いことですが、怒涛のようにやってきている東南アジア人が中国人にとって代わって頑張(❓)っているようです。
富士山4合目は東南アジア系絨毯で覆われていました。
街角で見かけた90才ぐらいの台湾人は日本統治時代の台湾で育ったので、しっかりとした日本語で日本の教育を受けたことを、日本の若者を相手に話していました。
私は台湾人のボスの下5年ほど働きましたが、この人のお父さんも良く、❝俺は日本人に生まれてきたかった❞、とボスに言っていたそうです。
反日韓国人との違いは雲泥の差ですね。
教育の力は怖い、とつくづく感じさせられます。
日韓併合以来、韓国の醜い階級制度をなくし、教育なんてないに等しかった韓国社会に何千校という学校をおったてて、インフラを築きなどなど計り知れない善の数々を成し遂げて、帰ってきたのは反日ですから。
反日教育によるものだけではない、やはり韓国民度によるものが大と思います。
今日は月曜日の朝。
一つのブログを書くのに1週間近くかかっています。
今まで2日ほどかかっていたことはありますが、これほど長引いたブログはなかったです。
それだけ肺炎はひどかった。
咳が始まって以来2週間近く、だいぶ良くなっていますがまだ少し残っています。
明日は主人が帰っていきます、そうしたら本当にゆっくりしてられる。
22日出発の❝ババ―10人伊勢参り旅行❞に向けて養生養生。
ハブグレジュンタのマミー