退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1979: 無事帰ってきました。

2023-04-30 00:02:26 | アメリカ便り

おはようございます。

大変長らくご無沙汰していました。

肺炎とコロナ感染で始まり、そして終わった今回の帰国はいろいろ大変でしたが、何とか生還できました。

今は無事38年間見続けているキッチンの窓から見える景色を見ながら書いています。

相変わらず、色とりどりの鳥がやってきてます。

まわりにはいつものようにジュンちゃんキキちゃんが私の一挙一動に目を見張っています。

ま~その理由として、私が食べ物をあげるからでしょう。

またしばらくは平穏な日常(❓)が戻ってきそうです。

と言っても5月2日にはサンフランシスコから友達がやってきて一緒にエンジェルス・大谷君とカージナルス・ヌートバーの試合を2日間に渡って見に行くことになっています。

野球ゲームなんて子供たちが小さい時には何回か行ったきり。

後は会社でタダで行ける時ぐらいでした。

新しくなったスタジアムなんて行ったことないんじゃないでしょうか。

50年前のクラスメート計9人との伊勢3泊4日の旅行は、病あけの私にとってもいつものように楽しいものでした。

大阪に移り住んで長い2人の友はすっかり関西人となっていました。

志摩の真珠店では1年間の店の売り上げを、私達でカバーしたような勢いで爆買い、とまではいかないでしょうが。

群集心理でしょうか一人買えば、❝私も!!❞となる。

でも年金暮らしのシニアはみな心得ているので。

800円で買ったお土産用のテントウムシのピン、お尻の所の虫眼鏡で見なければいけないような本真珠がくっついたのが、違う店では500円で売っていたなんてこともありました。

5個も買わなきゃよかったと後悔。

真珠の生産高も年々少なくなり、後2年もしたら真珠のバブルがやってくる、と店の人が言ってました。

これからもみんなとこうやって労わりながらクラスリユニオントリップを続けていきたいと思います。

みんな元気でいようね、と願うばかり。

羽田出発シカゴ行のANA便はほぼ満杯。

2,30人しか乗っていなかった時が懐かしいし、京都のどこへ行っても私達の貸し切り状態だった時が今は夢のよう。

今回の京都は桜の時期と重なり、満員電車のようでした。

しかしながら世界中不穏な世の中、❝観光❞なんて言ってられるのも長くは続かない気がします。

帰ってきてから早々戦時中の買い出し荷物を整理。

昨日はジュンちゃんキキちゃんをお風呂に入れ、シーツやらブランケットを洗濯。

そしてウオルマートに行って買い出し。

空っぽの冷蔵庫を埋め、もろもろの物を買って200ドル。

相変わらずデブ、デブ、デブのオンパレード。

レジの女性(おっとっと、昨今の人種平等ではこの言葉を使っちゃいけないんでした)は私と同じくらいのおばあちゃん、デブすぎて足だけでは体を支えられないため片手を台に乗っけて支えながら片手でレジをやってました。

ということで時間が必要以上にかかった。

病気でもないのにデブすぎて自分の足で自分を支えられないって❓❓

さすが75%の国民がデブの国、日本の皆さん、アメリカに一歩入ったらすぐ気づきますよ。

ウオルマートが終わってすぐさまお土産をたくさん持って孫に会いに行きました。

息子曰く、玄関で私の声を聴くとびっくりと嬉しさが交わった顔をし、私の顔を見るとちょっと照れたしぐさをし、すぐさま駆け寄ってきてハグをしてくれました。

何と嬉しいことでしょうか、肺炎の苦しみが吹っ飛びました。

日本に帰る前は5歩ぐらいしか歩けなかった孫が、1か月の間に1才となり走れるようになりました。

自我も強くなり、人の心をとらえるワザも身に着けました。

本当に子供の成長は早い。

明日はいつものように一家で晩御飯にきます。

カツカレーが良いそうです。

孫の誕生日に2日間だけ帰ってきた娘は掃除をしてくれていたし、そして息子はこれまた肺炎とコロナでまいっていた主人の面倒を見てくれてました。

子供が何と良い子に育ってくれたかと、今回つくづく感じました。

日本人は自分の身内を褒めないものなんですが、、、、

ハブグレジュンタのマミー