退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#2131:アメリカ生活48年長かったんだか短かったんだかわからないボケ老人となってきました。

2025-01-06 11:27:33 | アメリカ便り
おはようございます。

23歳で一人、当時からデブが多かったアメリカ人(と思う)に囲まれ、1977それから、大学付属の英語学校に小学校低学年レベルの知能しかないうるせー中近東人、おとなしく毎日シャワー室で長い間お祈りをやっている謎めいたマレーシア人(一時シャワーとトイレを共有していた)、そして❝ちょっと日本人に似た感覚だな~❞、と思わせるメキシコ人、おとなしいわずかな日本人、そして中近東人大好きの金髪変態若作りおばばの先生とそのあと、もともとが怠慢な私、❝他の大学に行くのもめんどくさいからこのままこの大学に入っちゃお!❞で、この田舎の中の中ぐらいの大学に入った。

人の大きな州立大学で、授業料が1000ドルがそして無事大学・修士を終え就職できた時には、❝これで貧しい生活から脱退できる、その後結婚し36に金を使うのはもったいない、金は子供のために!❞生活に突入。

60055週間ほど大好きなテレビ見放題の自堕落な生活を送りました。

10年でやめました。

BMWやはり小さいころからアル中おやじとボランティアー狂いの母親に鍛えられたおかげでしょうかと、今では反面教師だった両親に感謝しています。

 

でブログサイトに行けないので携帯を使って送らなくてはいけないので短めです。

AI


#2131: アメリカ生活48年、長かったんだか短かったんだか忘れるぐらいボケちゃった。

2025-01-06 11:18:24 | アメリカ便り


❝長かったんだか短かったんだか❞、がわからなくなってきたぼけ老人となってきた私です。

でハワイ経由でロス、セントルイス、そして初めて乗ったプロペラ機でイリノイのとうきび畑の真っただ中にあったさびれた空港に降り立ったのが足が地面に着いた時、❝私は何という間違いを起こしてしまったんだ‼❞、と言う後悔と絶望感に苛まれてしまった。。

か月間教室を共にした。

26000セミスターで1円の時でしたから大変でした。

も買える‼❞と思ったっけ。

BMW年間働いた後、❝お前たちもういらないよ!❞ってな感覚で、我が開発部総勢当時私は2その後翻訳の仕事を見つけ10と言うことでいまだにと言っても私の性格ではどこへ行っても大丈夫と思いますが。

さてさて、早く直ってくれないかしら。

が進歩してもハッカーに遇ったらお終い、の世の中となってしまいました。