こんにちわ。
昨日、2回にわたって投稿したのにどちらも、“日本語に翻訳してください”とコメントが来るほとめちゃくちゃ。
私としては、いくらアメリカ生活が長いからと言ってもそこまで日本語がひどいとは思っていないんですが。
と思って投稿したブログをみたら、本当にひどい。
支離滅裂で私が書いたのとは別もんになっていた。
コンピューターからの投稿ができないので、コンピューターで書いたブログをコピペでやったのがダメなんでしょうかね。
グーブログさんよ、早くなんとかしてくれよ。
という事で、再々度昨日の投稿と同じものをとうこうしてみます。
では、成功を祈って頑張ります。
ケジメのないアメリカの年始年末、というか初めからそう言った感覚がない正月を迎えて48年目。
それが長かったんだか短かったんだかわからないほどのボケ老人となりました。
23才で一人、デブのアメリカ人に囲まれPanAmハワイ経由でイリノイ州のど田舎にやってきたの1977年。
足が地に着いた途端、後悔と絶望感に包まれた。
それから、大学附属の英語学校に小学校低学年レベルのうるさい中近東人、おとなしく毎日シャワーで長い間お祈りしていたマレーシア人、ちょっと日本人に似ていると思わせるメキシコ人、そしてわずかな日本人と一緒に中近東人大好きのド派手金髪若作りオババ先生と6ヶ月も教室を共にした。
一応、今日はこのぐらいにして、本当にこの投稿が日本語としてみなさんが解読できるかを確かめてから続きを書きたいと思います。
ではまた。
ハブグレジュンタノマミー