今、通勤用愛車のコリブリを購入したのは2003年。
私の心の中でものすごい蓄光ブームが起きてまして、
仕事でも蓄光プリントのグッズをやたら作ったり、
身につけた蓄光アイテムのパワーを確認するために暗闇を求めたり、
印刷物にもエキストラコストをいとわず蓄光インクを乗せたり
そんな時期のことでした。
当然、18inch小径車を探していた私のターゲットは、
プジョーコリブリ、カラーはルミナス。
夜になると発光して街を駆け抜けるニクいやつです。
探しに探してやっと出会ったのが、高崎の自転車屋さん。
うまれてはじめて通販で購入した自転車。
それ以降も完成車を通販で購入したことはありません。
でっかい段ボールを開けると、高崎の自転車屋さんからの「注意書き」が
一番最初に目に飛び込んできました。
「自転車は愛情をこめて常に綺麗にしてあげましょう」
そしてお手入れ(お掃除)方法がしたためられてあったのです。
コーティングを守りながら綺麗に磨く方法
いつまでも蓄光インクが活かせるための方法
がそこには書かれていたはずです。
そして購入後、1年くらいは、せっせと実践したいたように思います。
その方法
すっっかり忘れました・・・・
それはさておき、しばらくは足として毎日のように共に過ごしていた
コリブリですが、
その後、私の中に絶賛ピストブームというものが起きてしまいます。
しかも、乗るというよりも、作る、方の。
そして一旦自作自転車の自分に都合よく作られて自転車を知ってしまうと、
コリブリがとっても乗りにくいシロモノになってしまいました。
ハンドル長すぎるし(後に切りましたが)
ブレーキの角度設定むずいし、手疲れるし(後に調整しましたが)
ギア安物ではじっこ使えないし (これはこのままさらに不具合に)
サドル痛いし(これは変えました。肛門に異常発生のため)
乗り心地堅いし(アルミだからしかたない)
かといってそこそこ目立つので (綺麗だと目立つ)
盗まれないようにしなくちゃなんないし (だから磨かない)
というわけで、なんか世話焼きたくないに世話の焼けるやつみたいな
存在になってしまい、しばらく放置したり、貸し出ししたり、
手元から離れていたことも数年。
しかし、自作自転車ブームの終焉、および引っ越しによる本格的自転車通勤復活により、
再びメインマシーンとして蘇ることになったのが早6年以上前。
そして。
その間一度も掃除をしてやっておりません。
愛がちっとも戻らない。
いや、そもそも愛などなかったのかもしれない。
美しいはずの蓄光をまとったフレームは、多数の傷と汚れで
一見して白とはわからないぐらいの配色感になっています。
恥ずかしくて写真を載せることも難しいです。
チェーンはどうしようもなく音を立てた時にだけオイルを差す程度。
埃にまみれているので、ときおり洋服が汚れます。
汚れてた方が、盗まれないと思って、へへへへ、、という科白も
さすがに白々しくなってきました。
ここまで汚いと逆に目をひくだろ!?とつっこまれそうでひやひやしています。
そこまでわかっているのに、なぜ掃除をしないのか?
台所同様、思い切ってピカピカすれがそれはそれは気持ちいいはずです。
買ったばかりのワンピースの裾が汚れることもない
なぜ、なぜなんだ。
愛情云々の前に、常識を疑われるレベルなんではないか?
でもその常識ってきっと日本の常識
クルマやバイクをピカピカにしている国ってそんなにないはず
といってもそんなに世界中を旅して見てきたわけじゃないから
大声でいっちゃだめだとおもうし
そもそも洋服はみんな汚れたら洗うし
いやいや、ぞうもつも洗濯は好きだし
家事の中で唯一マメにやるのが洗濯だし
洗剤や洗濯方法にもこだわりあるし
だから部屋がちらかってて床が汚いないだけで家事能力ゼロの烙印は押されたくないし
誰にでも得手不得手はあるし
怠け者だけどやたら長い文章書けるし
書けるとかいいながらブログの更新が年に3回になっちゃうし
それでもしぶとくやめないし
意外といろいろしぶといし
42歳で死ぬはずがかなりオーバーしちゃってるし
もはやボケかけてることに恐怖感じてるし
むしろボケて、自分が怠け者だってこと忘れて働きモノになっちゃえばいいのにとも思うし
そんなこといってってもまたすぐ忘れちゃうし
あ、理由わかった。
すぐ、忘れちゃうからだ。
だって自転車磨かなくちゃ!って思う、必ず自転車降りた時とか乗る時でしょ。
乗る時は移動するから掃除できないし、
降りる時は職場の鍵開けて中にはいるときだから、
はいったらも忘れちゃうでしょ。
本当はピカピカにしたいのに。
ピカピカにしたいという気持ちを忘れてしまうからです。
そんなわけで、コリブリはどんどん汚れを積み重ねて
いい案配に年季のはいった風情になっております。
しかしどんなことにも光明はありまして、
下手に磨き過ぎてしまうこともなくここまできたものですから、
いまだに蓄光力が衰えておりません。
夜の闇をボウっと光りながら駆け抜けております。
とはいえ、今日こそ、フレームくらいふいてあげようかな。
(たぶん忘れるけど)
私の心の中でものすごい蓄光ブームが起きてまして、
仕事でも蓄光プリントのグッズをやたら作ったり、
身につけた蓄光アイテムのパワーを確認するために暗闇を求めたり、
印刷物にもエキストラコストをいとわず蓄光インクを乗せたり
そんな時期のことでした。
当然、18inch小径車を探していた私のターゲットは、
プジョーコリブリ、カラーはルミナス。
夜になると発光して街を駆け抜けるニクいやつです。
探しに探してやっと出会ったのが、高崎の自転車屋さん。
うまれてはじめて通販で購入した自転車。
それ以降も完成車を通販で購入したことはありません。
でっかい段ボールを開けると、高崎の自転車屋さんからの「注意書き」が
一番最初に目に飛び込んできました。
「自転車は愛情をこめて常に綺麗にしてあげましょう」
そしてお手入れ(お掃除)方法がしたためられてあったのです。
コーティングを守りながら綺麗に磨く方法
いつまでも蓄光インクが活かせるための方法
がそこには書かれていたはずです。
そして購入後、1年くらいは、せっせと実践したいたように思います。
その方法
すっっかり忘れました・・・・
それはさておき、しばらくは足として毎日のように共に過ごしていた
コリブリですが、
その後、私の中に絶賛ピストブームというものが起きてしまいます。
しかも、乗るというよりも、作る、方の。
そして一旦自作自転車の自分に都合よく作られて自転車を知ってしまうと、
コリブリがとっても乗りにくいシロモノになってしまいました。
ハンドル長すぎるし(後に切りましたが)
ブレーキの角度設定むずいし、手疲れるし(後に調整しましたが)
ギア安物ではじっこ使えないし (これはこのままさらに不具合に)
サドル痛いし(これは変えました。肛門に異常発生のため)
乗り心地堅いし(アルミだからしかたない)
かといってそこそこ目立つので (綺麗だと目立つ)
盗まれないようにしなくちゃなんないし (だから磨かない)
というわけで、なんか世話焼きたくないに世話の焼けるやつみたいな
存在になってしまい、しばらく放置したり、貸し出ししたり、
手元から離れていたことも数年。
しかし、自作自転車ブームの終焉、および引っ越しによる本格的自転車通勤復活により、
再びメインマシーンとして蘇ることになったのが早6年以上前。
そして。
その間一度も掃除をしてやっておりません。
愛がちっとも戻らない。
いや、そもそも愛などなかったのかもしれない。
美しいはずの蓄光をまとったフレームは、多数の傷と汚れで
一見して白とはわからないぐらいの配色感になっています。
恥ずかしくて写真を載せることも難しいです。
チェーンはどうしようもなく音を立てた時にだけオイルを差す程度。
埃にまみれているので、ときおり洋服が汚れます。
汚れてた方が、盗まれないと思って、へへへへ、、という科白も
さすがに白々しくなってきました。
ここまで汚いと逆に目をひくだろ!?とつっこまれそうでひやひやしています。
そこまでわかっているのに、なぜ掃除をしないのか?
台所同様、思い切ってピカピカすれがそれはそれは気持ちいいはずです。
買ったばかりのワンピースの裾が汚れることもない
なぜ、なぜなんだ。
愛情云々の前に、常識を疑われるレベルなんではないか?
でもその常識ってきっと日本の常識
クルマやバイクをピカピカにしている国ってそんなにないはず
といってもそんなに世界中を旅して見てきたわけじゃないから
大声でいっちゃだめだとおもうし
そもそも洋服はみんな汚れたら洗うし
いやいや、ぞうもつも洗濯は好きだし
家事の中で唯一マメにやるのが洗濯だし
洗剤や洗濯方法にもこだわりあるし
だから部屋がちらかってて床が汚いないだけで家事能力ゼロの烙印は押されたくないし
誰にでも得手不得手はあるし
怠け者だけどやたら長い文章書けるし
書けるとかいいながらブログの更新が年に3回になっちゃうし
それでもしぶとくやめないし
意外といろいろしぶといし
42歳で死ぬはずがかなりオーバーしちゃってるし
もはやボケかけてることに恐怖感じてるし
むしろボケて、自分が怠け者だってこと忘れて働きモノになっちゃえばいいのにとも思うし
そんなこといってってもまたすぐ忘れちゃうし
あ、理由わかった。
すぐ、忘れちゃうからだ。
だって自転車磨かなくちゃ!って思う、必ず自転車降りた時とか乗る時でしょ。
乗る時は移動するから掃除できないし、
降りる時は職場の鍵開けて中にはいるときだから、
はいったらも忘れちゃうでしょ。
本当はピカピカにしたいのに。
ピカピカにしたいという気持ちを忘れてしまうからです。
そんなわけで、コリブリはどんどん汚れを積み重ねて
いい案配に年季のはいった風情になっております。
しかしどんなことにも光明はありまして、
下手に磨き過ぎてしまうこともなくここまできたものですから、
いまだに蓄光力が衰えておりません。
夜の闇をボウっと光りながら駆け抜けております。
とはいえ、今日こそ、フレームくらいふいてあげようかな。
(たぶん忘れるけど)