とてもとても個人的なことなのですが、どこかに書き出したい気持ちなので、久しぶりにここでしたためてみます。
人生でトップ3にはいる恩人が旅立ちました。
75歳というのは長生きではないけど、決して早死にではない。
でも執筆業など現役でご活躍だったので、まだまだ悔いが残ったかもしれません。
まだ女子大生だった私にFela Kutiの音楽を教えてくれた人でした。
ハイチという貧しい国に豊かに咲き誇る音楽や絵画の存在もこの人から教わりました。
ワタシの好みをジャッジしてくれて、そこから次々とまだ見知らぬ世界に連れていってもらえたのです。
なんなら、社会人としてのイロハもこの方から教わりました。ボスでしたから。
そのせいでちょっと世間の常識とは違った常識を備えた点もありましたが、おかげでこの世に絶対正解はないということも勉強できました。
英会話まともにできないのに、特定の英語のかたっくるしい通信文だけやりとりできるようになったのもこの方のおかげです。
たったの4人の会社が30人40人と大きくなっていく様を身近で見ていました。とっつきにくい人柄も、賢さも、冷たさも、激アツさも、ワガママさも仕事にガッツリ活かされている様子を。
最終的には会社を売って経済的には悠々自適生活に。いわゆる人生の成功者です。影響を受けた人の数もハンパないでしょう。
でもいつもなんか寂しさの漂う方でした。ブルースを愛しブルースに人生捧げていたので、勝手にそう見えてしまったのかもしれませんが。
退社してからは当然のことながら疎遠になってしまいましたが、ハイチの伝説的アーティストMini All Starsの奇跡の来日公演はご一緒することができました。
あの頃はお元気でしたね。
葉山の邸宅に大きな竹藪をお持ちという情報を聞いて、ずうずうしくも竹採りしてもいいですか?などと連絡したりしたのが最も近年の交流でした。
おそらく心のどこかで、自分が今やっていることを知ってほしかったんだと思います。何十年経ってもあなたの影響下にある部下なんですよ、と。
でもそのコンタクトの時に、お嬢様が重篤な病を患っていることを知り、能天気に連絡してしまった自分を悔いてまた疎遠になってしまいました。
もう一度お会いしたいなという気持ちがあったことは間違いなかったのですが、、、、、
無念ながら、最後にお会いしたのはそのお嬢様のお葬式の日でした。
お亡くなりになる数日前に、たまたま闘病中との情報を聞いたばかりでした。
もし今メールしたら返事は来るのだろうか、、、、、などとモヤモヤしていた矢先の訃報。
2日経って、SNSにたくさんの投稿が上がってきました。
いろんな方々の感謝の言葉、功績をたたえる声、を目にしているところです。
あの、超クセがあって読みづらかった手書き文字を思い出しながら、あらためて御礼申し上げます。
ありがとうございました !
人生でトップ3にはいる恩人が旅立ちました。
75歳というのは長生きではないけど、決して早死にではない。
でも執筆業など現役でご活躍だったので、まだまだ悔いが残ったかもしれません。
まだ女子大生だった私にFela Kutiの音楽を教えてくれた人でした。
ハイチという貧しい国に豊かに咲き誇る音楽や絵画の存在もこの人から教わりました。
ワタシの好みをジャッジしてくれて、そこから次々とまだ見知らぬ世界に連れていってもらえたのです。
なんなら、社会人としてのイロハもこの方から教わりました。ボスでしたから。
そのせいでちょっと世間の常識とは違った常識を備えた点もありましたが、おかげでこの世に絶対正解はないということも勉強できました。
英会話まともにできないのに、特定の英語のかたっくるしい通信文だけやりとりできるようになったのもこの方のおかげです。
たったの4人の会社が30人40人と大きくなっていく様を身近で見ていました。とっつきにくい人柄も、賢さも、冷たさも、激アツさも、ワガママさも仕事にガッツリ活かされている様子を。
最終的には会社を売って経済的には悠々自適生活に。いわゆる人生の成功者です。影響を受けた人の数もハンパないでしょう。
でもいつもなんか寂しさの漂う方でした。ブルースを愛しブルースに人生捧げていたので、勝手にそう見えてしまったのかもしれませんが。
退社してからは当然のことながら疎遠になってしまいましたが、ハイチの伝説的アーティストMini All Starsの奇跡の来日公演はご一緒することができました。
あの頃はお元気でしたね。
葉山の邸宅に大きな竹藪をお持ちという情報を聞いて、ずうずうしくも竹採りしてもいいですか?などと連絡したりしたのが最も近年の交流でした。
おそらく心のどこかで、自分が今やっていることを知ってほしかったんだと思います。何十年経ってもあなたの影響下にある部下なんですよ、と。
でもそのコンタクトの時に、お嬢様が重篤な病を患っていることを知り、能天気に連絡してしまった自分を悔いてまた疎遠になってしまいました。
もう一度お会いしたいなという気持ちがあったことは間違いなかったのですが、、、、、
無念ながら、最後にお会いしたのはそのお嬢様のお葬式の日でした。
お亡くなりになる数日前に、たまたま闘病中との情報を聞いたばかりでした。
もし今メールしたら返事は来るのだろうか、、、、、などとモヤモヤしていた矢先の訃報。
2日経って、SNSにたくさんの投稿が上がってきました。
いろんな方々の感謝の言葉、功績をたたえる声、を目にしているところです。
あの、超クセがあって読みづらかった手書き文字を思い出しながら、あらためて御礼申し上げます。
ありがとうございました !