ぞうもつ日記

喰ったら出せ! 出せないなら喰うな!

無音盆踊りの衝撃

2015-08-17 | 時事ネタ
新しいといえば新しいのでしょうが、
踊り手がイアホンで音楽を聴きながら踊る「無音盆踊り」が登場したという
恐ろしいニュースを目にしました。
もちろん、きっかけは「騒音苦情」とのこと。

何十年も行われていたものだろうに、
ここに来て地域のお祭りへの騒音クレームが
あちこちで相次いでいる模様。

街頭ヴィジョンの音の混じり合いの中に立たされる苦痛さに比べれば、
地域のお祭りの音なんて、その日だけの楽しい響きジャナイカと思うのですが、、
・・・・あ、そうかー、、、
日々の騒音が五月蠅いがゆえに、より静寂を求める方向が強まっているのかしらん?

私はときおり、路上ライヴというものをやらかす側の人間なのですが、
自らが音を出す側に回ってよりいっそう気づくのです。
もともと音が鳴っていないストリートが存在していないことに!
しかもその音響は相当ウルサイのです。音量が大きいからとかではなくて、
とにかく縁も所縁もないサウンドが混じり合っているからなのです。
もちろんそこには広告アナウンスメントも入り込んでくるし、
クルマから発せられるエンジン音やクラクションも混じり込んでます。
そこで立ち話をしようと思えば、相当デカイ声を出している自分に気付きます。
だって本当にまわりがすごくうるさいんですもの。

こんな話をしているわけですが、別に路上ライヴで人の注意を惹こうという好意を
自虐的に否定しているわけではまったくありません。
人間って(猫もだと思いますが)ものすごい選択能力があって、
特定の音を必死で聞こうとしているときはまわりの余計な音が切り捨てられます。
集中力のあるなしといった性格の影響ももちろんありますが、
どうしてもこの人たちが何をいっているのか聞きたい、と思って耳を向けているときに、
後の栄養ドリンクの効能を叫ぶ宣伝文句は耳にはいってきません。
よく聞こえないけど、何唄っているんだろう、聞いてみよう、と一旦スイッチがはいれば、
頭上ヴィジョンから大音量で繰り出されているJ-POPの音もスっと後に下がっていくのです。
通りがかりの人にそう思ってもらえるようにチャレンジしているのが路上ライヴなのです。
それが達成できないうちは、街の雑音・騒音の一部でしかありません。
人だかりが出来たり、苦情が出たり、というときは
着目された証拠ですので、路上ライヴとしては成功という皮肉なことになります。
できるだけ歓迎される地域でやるのが理想ですが、減る一報ですね。
都会だからかなぁと思っていたけれど、
盆踊りの苦情は、あちこちの田舎で生じているわけでして、ええ。

ま、騒音どうこうはまたどうでもいいんですが(また長い前置きだったのか!)

この東海市の無音盆踊り、興味深かったのは、
イヤホンでやらなくちゃならんのかーという点ではなく、
イヤホンでやってみたら意外と面白かったという実際の踊り手さんからの声があったことです。
「踊りに集中できるからよい」
「人によって違う音楽で踊れるからよい」

もちろんワタシの直感的本音は「あ?あほか?それって盆踊りかよ」なのですが(笑)、

実際に楽しんでいる踊り手さんたちの素直な気持ちは
こうなんだなぁと、そういう時代なのだなぁ、と。
盆踊りというものの元の意味とはまったくかけ離れた楽しみ方が始まっているんだなぁと
関心したわけです。
見方を変えれば、より純粋に音楽や踊りを、ハタ目を気にせず楽しむ方法を見出した、とでも
いうべきでしょうか。
みんながみんな仲間と集まることに意義を見出すわけでもないし、
昔から面々と続いてきた空気感を味わいたいわけではないし、
よく考えてみれば、ネット上の音楽を共有したりするような感覚でもあるし。
「それが楽しい」と感じているいることは真実なのです。
400人もの人たちが、実際に楽しい、と感じているのですから。
それをアホらしいと思ってしまう自分こそアホらしいですよね。

それを考えると、廃れ行く江戸囃子を失わないために
江戸囃子を取り入れた新しい音楽を創造しようとしているワタシたちのバンドなんで、
そりゃ見向かれるわけもないご時世なわけですよね。
でもひとりでも面白がってくれる人がいる限り、いや誰もいなくても、
自分たちがそれを楽しいと感じている限りやり続けますともー。
和太鼓の音は遠くまで響くし、すり鉦の音は耳にキンキン残るし、
そりゃウルサイ人にはウルサイでしょうがー
ワクワクする人にはワクワクするんですわい。
一人盆踊りが肌に合うヒトに向かって発信しているわけでは、ぬ!

しかしながら、、、
ワタシは子供のころ、ADHDゆえにオクレ扱いされてしまっていたこともあり、
大勢の輪の中にはいるのは極めて苦手でした。
盆踊りの輪にはいれはいれ、と強制する大人をぶっころしたいと思ったくらい。
それぐらい苦痛だったのです。でもイコール、ダンスが嫌いだったというわけではありません。
みなと同じことができなかったのです。何かにつけて。
そんなワタシでさえ、同じヴァイブスを共有することで得られる快感みたいなものは
次第に身につけることができたのと、そうなったことに歓びを感じているので、
本来一人盆踊りが好きな人なんて本当にいるのかなー?それ病気の一種じゃないかなー?と
思わないこともありません。

強制されずとも、縁と出会いがあれば、人は変わってゆくのです。
今が他を害する可能性絶滅を求める無音の方向性にあるのなら、
それはそれで、それも流れ。もう地域の神様に感謝したりするお祭りではないわけです。
楽しければそれでいい。

高円寺の阿波踊りも、地域の人々の結託があって、あそこまでの規模に盛り上がったわけですが、
ここにきて苦情が増えているといいます。
当日の騒音はもう覚悟の上で引っ越してくると思うのですが(笑)
予想以上に練習の音がうるさいと。
阿波踊りって、あの当日のパフォーマンスのためにみんな1年間必死で稽古してくるわけですよ。
だから当然日常的に音を出す必要があるわけ。
でもそんなこと認識してなかった新しい住民(阿波踊りなんて興味ない方々)から
苦情が来てしまうということらしいです。

これもね、結局あの阿波踊りが地域の人がひとつになるためのお祭りではなくて、
「発表会」になってしまったからだと思いますよ。
あああ、これ別にdisってるわけじゃなくて、それはそれで楽しみ方として王道だと思ってます。
演者さんたちのキラキラ眩しい笑顔と達成感あふれる出で立ち、それを見守る親戚縁者たち。
日々積み重ねて努力してきた賜です、美しいです、ほんとうに。
でも発表会になってしまったので、どうしても観客と演者はまっぷたつですよね。
さらに単なる発表会なので、住んでるからって参加する意義もなし。
商業レベルで利益を得られる人と発表会を楽しみにしている観客のためのパフォーマンス、に
なってしまっているわけです。
そういうことだったら、そりゃ日常生活にいきなりズンドコ聞こえてきたら、うるせーな、になっちまいます。
本音は、ちょっとなんだか寂しいわねー、、、でっすけど(高円寺住民でもないのにスイマセン)


阿波踊りオリジンの徳島に一昨年遊びにいった友人によると
徳島の阿波踊りは観客との境目がほとんどなく、境目を誘発するようなルールもほとんどなく
(唯一の禁止事項は「川に飛び込むな!」だけ・笑)、本当に居合わせた人が
楽しみまくれる環境だったと感動して帰ってきておりました。
外部からの観光客を相当集めているお祭りなのに、そもそもの伝統が残っているのだなぁと
関心したものでしたが、その徳島でも近年は騒音苦情が増えているとのこと。
大きな流れがやっぱりあるのでしょうねー。
土地の神様への想い、
生かされてることへの感謝を表現する、というお祀りゴトが
忘れられなければいいなぁと思うのですが。

まぁそういうわけで、私は、天照大神がうっかりマツリ騒ぎが気になって
岩戸を開けちゃったという本質に迫る活動をしたいわけなんですわ。

さて、今日もいやがらせか!というくらい長く書いてみました。
ピーヒャララ♪

昔、地層を眺めるのが好きだった

2015-08-13 | つぶやき
結局のところ川内原発は再稼働しましたね。試験稼働とも聞きますが。

「安価な発電コストが九電の経営を助け、電気料金の再引き上げも遠のく。九州に工場などを持つ電力の大口需要家の企業からは、低廉な電力を安定して受け入れられることへの期待の声が相次いだ」
(日経産業新聞・岩崎航)なんていう記事を見て、いまだに低コスト発電だと信じてる人がいると思ってるのかよーと驚いたものです。
再稼働歓迎するのは勝手だけどもう少し説得力のある記事書けないものかと。

でも稼働しているかどうかってことに実はワタシはあんまり注視していないのですよ。
だって、もともと稼働していたので、すでに使用済燃料等の廃棄物が存在しているのですから。
どのみち今さら安全だとか、クリーンだとか、動いてないからOK だとかまったくあり得ないわけです。

じゃあこの先どうやって膨大な量の危なっかしいものとつきあっていかねばならないのか?

まぁ、この世には、私なんか想像もつかないくらい凄まじく脳を使うのが巧くて賢い方々がたくさんいらっしゃいます。
原子力発電環境整備機構ところには、優秀で頭脳明晰で性格もよく家族を愛し、マジメで勤勉、休暇もろくすっぽ取らず、掃除片付けはマメに行い、まわりにも迷惑かけず、清潔な暮らしをしているに違いない方々が大勢働いていらっしゃるわけです。夏休みでもないのにお盆だからって仕事中に個人ブログの更新にいそしむ私なんかからしたら、尊敬に値する方々が、日夜努力しているわけです。そう思ってます。
どんなことを努力しているかっていうことはNUMOのサイトに書いてあることから想定してみます。

放射性廃棄物の地層処分は本当に安全かどうか徹底検証して実施するための技術を整える
ザックリいってしまうとこういうことで。

事故の対策だって、起きてしまった場合はもうどう処理をするか!に尽きるんですよね。
「起きないことを祈る」なんていう程度の低い話で済ませようとするのワタシぐらいですよ、
天才・秀才の方々がそんな甘い考えなわけがないっ!(ワタシは日々祈ってますけどね、バカだから)

さらにその研究結果をしっかり一般ピープル(ワタシのような)にわかりやすく伝えるのも大事かつ難しいお仕事です。
だってわかってもらえなかったら、再稼働なんて反対されるに決まってますから。よくわからないことに「YES」というのは実は日本人は得意とされてきましたが、私のまわりには敢えて「NO」という人達が増えてきております。
気づくと「NO」だらけです。NOかどうかはっきりしないことはNOに寄せられます。

さて前置きが長くなりました(すいません、前置きですここまでは)
何がいいたかったかというと、
高レベル放射性廃棄物は本当に安全に処分されるのかー????

お上のエライ方々は、危険だろうとなんだろうと、うっかり地球が滅びようと、とにかく現時点では原発やめられない事情がおありなようですから(私にはさっぱりわかりませんし、知らされることはないし、
知らない方がいいってこともたくさんあるだろうし)、危険をいかに回避するかをひたすら考えてゆくしかありません。

まず現実的に2015年現時点では、「放射能をなくす」ということは実現しておりません。いろいろな実験が行われていて明るいニュースも見え隠れしておりますが、
どれも実施に至るにはほど遠い段階かと思われます。
それがゆえに、「安全とされている」地層に閉じ込める、という手段を取ろうというわけです。
ではどこが安全なのか?

下記はNUMOからの無断引用転載です。

「地下には過去を閉じ込めた多くの実績があります。

地層処分の基本は、物質を閉じ込めるという地下の環境が本来持つ性質を利用し、地下深くの安定した場所に廃棄物を埋設することにより、数万年以上にわたり高レベル放射性廃棄物等を人間の生活環境から隔離することです。

その考え方は、地下の環境が本来持つ性質を利用して、高レベル放射性廃棄物等の隔離を、人間の管理から自然の手にゆだねるところにあります。
地下深くには、一部の石炭や鉱石のように、1億年以上にわたりほとんど地層中の位置を変えずに存在しているものがあることが示すとおり、環境が十分安定した場所があります。

-中略--

また、大昔の生物の骨や貝殻の化石はガラスより水に溶けやすい物質でできていますが、それが溶けずに残っていたということは、一定の条件のもとではきわめて長い時間その場所で保存されているということです。
代表的な化石のひとつであるアンモナイトは、約7000万年~約2億年の時を経て私たちの目の前に現われたものです。」


ふむふむ、なるほど、自然の力を利用して、、、さすが、研究者、研究内容が壮大だわ、やることが違う!、、、1億年以上格納されるなら放射性物質の半減期的になんとかなりそうな、、、、あれ?
アンモナイト? え? 、、、、、、、、、目の前に現れたんじゃん。
現れたってことは、、、、、、"人間が辿り着いて掘り起こしちゃったんじゃん"
1億年以上位置を変えずに存在しているものも人間が辿り着いて荒らしちゃうってことじゃん!!!!!!!


さて、こういうド素人の純粋な質問にも答えるべく項目がちゃんとあります! さすが偏差値の高そうな方々が運営しているサイトだ!
下記もNUMOからの無断引用転載

「地層処分を考える場合、火山や断層などの自然現象や地下水によって地下深部のものが地表へ運び出される可能性だけでなく、人間が処分場に侵入する可能性を検討することが重要です。人間の処分場への侵入に関しては、次のような対策をとることにより、将来、処分場に人間が侵入する可能性をきわめて低くすることができると考えられます。
・地下の坑道をすべて埋め戻すこと
・鉱物資源が存在する地域を避けること
・記録を永久に保存すること
・処分場の敷地などを保護区域として指定すること」


え、そんなことなの? それだけ? 鉱物資源なんていまだに新しいものが発見されていたりするのに、存在もへったくれもあるの?
永久な記録ってなに? 保護区域として明記していいような場所、誰が提供してくれるの?
選ばれたところは有無をいわさず、地表も保護区域にされちゃうわけ? 

で、今現在どこなのそれ? 候補地は誰が知っているの?
(個人で公開請求するのはさすがに厳しいし、請求理由が「好奇心」や「猜疑心」では却下されますので無理でしょう。)

そもそも再処理上からの輸送の時どうやって保護しているの?事故ったらどうなるの?
・・・という疑問に関して答えてくださっているページもあるのですが、これは読んだら余計心配になりました
テロに狙われたらおしまいだよね、、、ブレーキが二重化になってるぐらいで事故防げないよね、、、、一般道路も使われているのか、、、。
最悪の事態を常に予測して考えるのが基本だともありますが、最悪の事態ってかなりいっぱいあるんですよね。

しかしそもそもこの地層処分が法制化されたのは2000年。
でも原子力発電所が稼働したのは1963年。地層処分の前の再処理にもある程度時間はかかりますが、37年間どうしていたんでしょうかね。
とりあえず貯めっぱなしってことですよね。

する前もそんな状態だったのに、処分場は埋めた後ずっと管理していくことが可能なんでしょうか。
という素朴な疑問にも答えてくださるQ&Aがありました。

下記またまた無断引用転載

「地層処分は、地下深部が本来持っている「物質を閉じ込める力」を利用し、人間による永続的な管理がなくとも、人間の生活環境に影響を与えないように長期にわたって高レベル放射性廃棄物を安全・確実に隔離する方法です。
このため、処分施設を閉鎖した後も何らかの管理を行っていく必要性は技術的には不要と考えますが、地域をはじめ国民のみなさまに安心して生活していただくために、今後の国の規制を踏まえ、閉鎖後の周辺環境の監視等についてどのようにしていくかを地域の方々と相談しながら対応を図っていく予定です。」



けっこう無責任。

なんか刺さるように目につくのが、「人間」という文字。あくまでも人間のために地球があるかのようなこの発想。
いまだに、地底生物がいるかもしれないと思ってる私にはとてつもない違和感です。まぁ、それはせておき地底の環境には影響を与えないことがわかっているんですよ、ということにしても、
人間のために地球が守ってくれる働きがあるんですよとでもいいたげなすごい話です。

まぁ、先のことなんてどうなるかわからないし、日々検証を続け新しい技術を生み出している学者・研究家さんたちひとりひとりには敬意を表したいし、ぜひなんとかしてくださいよ、と勝手な御願いをこめて電気代を毎月毎月払い続けているわけですが、よくよく見れば、実際に地層処分を操業開始できるのって平成40年代後半なんですね。今必死で研究している人やそのための根回しに奔走している人、地域選定に悩んでいる人の大半は死んじゃうじゃないかって単純に思います。ワタシも生きてないだろうし。
かなり先の長い話なんです。それまでにはまた新たなことが発覚したり利権関係に大変動が起きたり、いろいろあるとは思いますが、地層処理操業準備は進めなければならないわけです。
もうあるのだから、廃棄物は。再稼働しようとしまいともう存在しているのです。再稼働しないと、今ある廃棄物を処理するための予算が生み出せない、というのならなんとか納得のしようがありますが、そういう訴えは聞こえてきません。
もしそうなら、その経済システムをひっくり返すことからやらなくちゃならないと思うのですが、「今もう研究中だからだいじょうぶ、さっさと再稼働しちゃってー」とすら云われてない気がします。。。

現状一番最初に地層処理を開始できるのがフィンランドのオンコロ(映画にもなりましたね)のようです。2020年。映画の中では、もし今の文明が消失して、違う文字文明の人間が永久に残したつもりの記録を解読せず、処理場を破壊してしまったらどうするのだということについて延々悩むシーンがありました。誰が見ても危険とわかる記号を作れないのか!?みたいな。(今の原発マーク見たって、知らなかったから全然危険に思えないんですがー。。。世界共通なマークなんて無理だぁ)

つーか、日本の話に戻りますが、そもそも処理場公募開始してから13年近く経ってますが、候補地本当にあるんでしょうか!?!? 候補地がなければ当然詳細地質調査も行われませんが、どうなんでしょうか???
いずれにせよ、どんだけ先送りしてきちゃった事態なんでしょう。
ていうか、「手を上げる地域」にどんなメリットが用意されているんでしょうね。ものすごく気になります。
「何もいりません!人類のために我らが土地の地中深くにどうぞ!!!」っていう自治体が現れるのでしょうか?
「我々は平和を愛してる!憲法改正反対!原発反対!」っていって集まっている人なら手を上げてくれそうな気もしますが、「自治体」という枠組みでは無理そうな気がします。

現れなかったら、そもそも地層処理計画はどうなってしまうのでしょう? こっそりやっちゃうんでしょうか?

日々、やることを先送りにしてさぼっている私にはアタマが痛い真実です。
そういう人間がたくさんいた結果ですかねー。あああ、ごめんなさい。

さぼらず日々いろんなこと頑張ってきた人たちに謝りたいっ。すいません。

そして、これからメタンハイドレードを始めとする新しいエネルギーへの切り替えへの注力が重視されたとしても、そしてそれが理想であり目標でもあるのですが、いずれにせよ、
すでにあるゴミの処理は大きな大きな問題なのです。ついつい忘れてしまいがちですが、どうころんでも放っておいていい廃棄物ではないのです。
高温ガス炉が安全だとか説かれても、廃棄物は出るのです。

なので、無理矢理にはなりますが、今回の再稼働のいい点をひとつだけ書いてみます。
日本人は勤勉とかいわれてますが、根っこは怠け者で楽天家でお祭りが好きで酒が(弱いくせに)好きでだらしない人間が大半を占めます。
とりあえず原発はストップしたままですよ、という事実があるとそれだけでなんとなくふわっと安心して過ごしてしまいがちです。でもどうころんでも既にある廃棄物は放っておいても消失しません。何万年も放射性物質出し続けます。
今回1基稼働してしまう、という危機感が、慌てて勉強したりどうしたらよいんだろうと考えたりするためのカンフル剤にはなりますよね。思い出すためのリマインダー。
そのためにますます処理するゴミは増えるけど、忘れてしまうよりはいいだろうーーーという無理矢理なポジティヴシンキング!



はぁ、歳取るとひとりごとが長くなるってほんとですね。













復活ぞうもつ日記

2015-08-13 | つぶやき
新・ぞうもつ日記が物置と化してしまったので、
もう一度排泄所としてこっちのアカウントを復活してみることにしました。
またアメブロとかで作るのめんどくさいもんねー。

いまだに、新・日記の数10倍のアクセスがあるのがミソです。

更新の仕方とか忘れてしまったけど。やってるうちに思い出すでしょう。

やっぱブログだよね。