蛤御門 江戸時代末期の元治元年、この門の周辺で長州藩と、御所の護衛に当っていた会津・薩摩・桑名との間で激戦が行われました。この戦いが「禁門の変(蛤御門の変)」で、門の梁にはその時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っています。この門は新在家門といわれていましたが、江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が初めて開かれたため、「焼けて口開く蛤」にたとえて、蛤御門と呼ばれるようになったといわれています。
諸大夫の間 格式の高低で部屋が違うそうです
新御車寄(しんみくるまよせ) 1915年(大正4年) 大正天皇の即位礼に際して、天皇皇后両陛下のための玄関として建てられたものである。
左近の桜 右近の橘
どんどん雲行きがあやしくなってきて。。。どしゃ降りの雨になってしまい、あわてておみやげ屋さんに入ってお昼ご飯を食べました。