桂離宮
後陽成天皇の弟・智仁親王に始まる八条宮家の別荘。
瓜の産地として古くから知られていた下桂の里は、平安時代には洛外一の月の名所として別荘がさかんに造られた地であった。現在桂離宮があるあたりは、その昔、藤原道長の所領で、道長の山荘があったとつたえられているところだ。
その後、この地は鎌倉時代に近衛家の所領となり、以後いくつかの変遷を経て、17世紀初頭八条宮家の所領となった。以来、江戸時代を通じて八条宮家の別荘地であったが、八条宮家は1881(明治14年)、第十一代淑子内親王の薨去により、後継者のないまま絶えた。桂の別荘もこれにともない1883(明治16)年、宮内省(現在の宮内庁)の管轄下に置かれ『桂離宮』として、今日に至っている。
桂離宮の敷地は周辺の農地を含めると約二万坪余りあり、かつて桂川から水を引き入れた池を中心に、西側には『古書院』『中書院』『新御殿』などからなる御殿群が並び、周りに『松琴亭』をはじめとする『笑意軒』『賞花亭』『月波楼』の茶屋、また『御腰掛』や持仏堂である『園林堂』などが点在する。
1993(昭和8)年5月4日、ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトが桂離宮を訪れた。彼は日記に、桂離宮の建物や庭について「泣きたいほど美しい印象だ」と記している。江戸時代、公家や文人たちによって高い評価を得ていた桂の別荘は、当時から見学希望者が絶えなかったが、タウトの著書により、その名声は世界的なものになったのである。
わが国を代表する文化財である桂離宮も創建以来三百有余年を経て、そこここに痛みが目立ち始め、1976(昭和51)年から15年をかけて大修理が行われた。現代に生きている伝統の技を駆使し、もてる限りの新技術を投入して、桂離宮は、今、すがすがしく蘇っている。 『京の離宮と御所』より
春、秋、冬にも訪ねて行きたいところです。
帰りに駅のそばの蕎麦屋さんで蕎麦を食べました。
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