細沼園のお茶飲み話

お茶の時間のひとときに、思いつくまま書きました。

天皇の間記念公園で初体験

2013-11-06 15:48:53 | 散歩・旅  栃木県

   見学に入ったら・・・・・こんなこと初めて  可愛いです

 

【旧塩原御用邸】

塩原温泉は雄大な自然と湯量豊富な良質の温泉とに恵まれた温泉郷で、古来より多くの人々に愛されてまいりました。その塩原にはかつて皇族の別荘として「塩原御用邸」がおかれていました。皇族と塩原のかかわりは古く、その始まりは明治三十五年にさかのぼることができます。時の皇太子殿下のちの大正天皇には、塩原温泉に避暑のため行啓(ぎょうけい)になられ、翌三十六年にも前年に引き続き行啓になられました。皇太子殿下には、塩原滞在中その自然、気候、温泉等を大変お好みになられ、そのため福渡の地に別荘を所有していた那須野が原開拓の祖・栃木県令三島通庸(みちつね)の嫡男・三島弥太郎が、その別荘地献上を宮内省に願い出、明治三十七年に「塩原御用邸」が構えられました。

皇太子殿下には天皇となられてからも塩原の地を愛され、また貞明皇后をはじめ御幼少の昭和天皇、秩父宮殿下、高松宮殿下、ご結婚前の香淳皇后をはじめ、多くの皇族方に塩原御用邸はご利用されてまいりました。

特に澄宮としょうされた三笠宮崇仁親王殿下には、六歳の夏より十年間にわたり毎年夏の御利用があり、そのため塩原御用邸は「澄宮御殿」とも称されていました。戦前から戦時中には御幼少の今上陛下、常陸宮殿下がご利用になられ、戦局が悪化すると昭和天皇の皇女であられた孝宮、順宮、清宮の三内親王殿下が終戦の後までの一年余りを疎開先として御利用なられました。

戦後、御用邸は香淳皇后より「視力障害者の保護のため使用するよう」との思し召しをたまわり厚生省へ移管され、昭和二十二年には全国御巡幸中の昭和天皇、香淳皇后の行幸啓をたまわりました。昭和二十三年には国立塩原光明寮が開設され、同三十九年には、国立塩原視力障害センターと改名し、視力障害者の方たちの社会復帰施設となりました。

旧塩原御用邸の御座所は塩原の人たちから敬愛を込めて「天皇の間」と呼ばれ、昭和五十六年この地に移築公開され、「天皇の間記念公園」としてかつての皇室の別荘地としての往時を今に偲ばせています。

    

【建物の概要】

塩原御用邸の中心部に位置した「御座所」は、木造平屋建て間口八間奥行七間、面積は二百五十一・六平方メートル、屋根は銅版平葺きです。建物の構造は田の字型の平面で、周囲を入側で囲みその外側に板縁を東南西の三方にめぐらせています。内部は長畳敷き、壁は皇室独自の美濃和紙を使った袋張、照明器具は洋風のものが使われ、御寝所の四方の柱には蚊帳を掛けるための釣り金具がつけられています。御厠は漆塗りの畳敷きで、健康状態のチェックのため外部に向かって引き出し式の車がついています。敷居には樫木が埋め込まれ、窓の木製レールには水抜きがされて、大変精密な施工がなされています。昭和五十六年には、栃木県有形文化財の指定を受けています。 (パンフレットより)

建物を見学するより、こちらが気になって・・・・。

前山八方ヶ原散歩道

   

  

 


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