浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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9月の法話

2012-09-01 20:12:04 | 法話
火宅無常

相変わらず暑い日が続いています。炎天下にいると、たちまち熱射病になってしまいそうです。かといって自宅に居ても油断できないそうです。
 節電のためと冷房を我慢していると、家の中でも熱射病になりかねませんから、皆さん気をつけて下さい。
さて、こんな家の中に居てもとても暑い時に、思い出される言葉があります。

「火宅無常の世界は、万(よろず)のこと皆もって そらごと・たわごと。真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄 後序)

 この「火宅」という言葉、実は親鸞聖人は著述の中で用いていません。歎異抄を記述したのは弟子の唯円ですから、何処からか引用したはずです。
 どうやら法華経の「三車火宅」という喩え話から用いたようです。これを要約しますと、

{ある家が火事になった。父親は帰宅して驚き、子供たちを呼んだが、彼らは遊びにふけって火に気づかない。「みんな逃げなさい」と叫んだが、
聞く耳を持とうとしない。そこで「みんな外に珍しい車のおもちゃが三つある。早く出てきて遊ぶが良い」子供たちはおもちゃと聞いて駆け出し、
災いから逃れることができた}

といった話で、これから仏さまのはたらきを表現し「仏の慈悲はありとあらゆる手段を用いて人々を救ってくださる」という意味になるのです。

 この法華経の話は余談でしてこの話から「火宅」という言葉を用いたのだろうということです。

ということで歎異抄の説明をしましょう。

火宅・・文字通り火の着いた自宅という意味で、我々は毎日のんびり過ごしているようだけれども、この今でも家に火が付いているような緊迫した状態、
つまりいつ死が迫ってくるか判らない時を過ごしているということです。

無常・・常でない、毎日は移り変わっていき、今の状態は必ず変わってしまう。ということ。逆に言えば、今がどうしようもなく辛く苦しいならば、
必ず平安がおとづれ幸せになる日が来るということでしょう。

そらごと・たわごと。真実あることなきに・・頼りにできることは一切ない、お金だって友人家族だっていつかは分かれる時が来る。というつらい現実を
言い当てています。

 しかし念仏だけは救ってくれますよ、裏切りませんよ、変わることはありませんよ「三車火宅」の喩えのように、あらゆる手段を用いて阿弥陀さまは
救って下さりますよ。と締めくくりを要約したいと思います。

お念仏の教えをいただく私たちは、火宅無常 諸行無常 の世界に居ながらも阿弥陀さまによって見守られ今も救いの慈悲の中に生かさせて
頂いているのです。
伊東知幸

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