中道
シャカ族の王子として生まれ、後に仏教の開祖となる、お釈迦様は29歳に城を出るまで、何一つ不自由のない贅沢な暮らしをしていました。
ある日城外の、衰えた老人、やつれて苦しんでいる病人、死者の葬列という現実を見た釈尊は、享楽的な自分の日常に疑問を感じました。
そして29歳の時、妻や子供も城に置き去りにして出家したのです。
出家修行者としての生活を始めた釈尊は、様々な苦行を重ねることで真実を見出そうとします。わずかな食物と水だけをとる断食や、
呼吸を止めるなどの苦行を6年間続けますが、骨と皮だけになり心身ともに疲弊しきってしまいました。
釈尊は、苦行によって真の悟りを開く事は出来ないとの思いに至り、ついに苦行を断念しました。
栄養を取り元気を取り戻した釈尊は、菩提樹の下で瞑想に入り、ついに悟りを開いたのです。
結局、厳しい修行によって悟りを開いたのではなく、むしろ苦行は無意味だったと悟り、快楽の生活も、苦行の生活も極端であってはならない。
その中間「中道」の結論に至ったのです。
釈尊は王子だった頃と苦行生活の経験から、極端に楽に偏ることも、苦に偏ることも無益であると悟ったのです。
これは何でも中途半端がいいと言っているわけではなく、快楽に溺れることは低俗であり求道の道に反するが、肉体的消耗を
追い求めることも仏の道を極める道にはならないと考えたのです。
釈尊はこれを琴の弦にも例えています。「弦は締めすぎても、緩めすぎてもいい音は出ない。程よく張っているものが良い。
僧侶の精進もそうあるべきだ」と 親鸞聖人の絶対他力の教え(修行によって仏になるのではなく、阿弥陀さまにお任せする)とは違う事ですが、
何か相通じるものがある気がします。
(伊東知幸)