ここ数日は天気の変化が激しく、昨日の晴れから一転して今日は冷たい雨が降っております。
「言葉は刃物ぞ。気を付けて使え。」
最近私が観続けている、ドラマの登場人物が上記のセリフを喋っておりました。
これは怒りに身を任せて、自分に向かって暴言を吐いた相手の事を戒めたセリフです。私はどこか傷ついたような表情で、ドラマの登場人物が喋っていた、このセリフがとても印象に残っております。
言葉は使う人の心次第ですが、時には刃物の様に誰かを傷つけることになりかねません。
悲しいことに、私たちが何気なく使った言葉によって、誰かの心を締め付けてしまう事が今も珍しくはないのです。
言葉を発する前に、「自分の言葉で誰かを傷つけてはいないだろうか」と一旦立ち止まる自省の心、思いやりのお心を持つ大切さを、私は改めて気づかされました。
副住職より
浄土真宗本願寺派における、東京教区仏教壮年会連盟の理事会および理事研修会の報告記事が先日届きました。
今回の報告記事は、法徳寺を支えてくださっております、大島靖夫さまが執筆されておりました。
大島さまによる、昨年の秋に沖縄で執り行われた理事会と理事研修会の報告を読ませていただきますと、沖縄別院の様子や、戦争の記憶を次世代へ継承する、平和学習の取り組みに思いを馳せる事ができました。
明日の関東地方は大雨になると天気予報にありました。皆さまもどうかお気をつけてお過ごし下さいませ。
副住職より
昨日は、熊本の僧侶の先生から私が聞かせていただいた、ストレスが溜まる時こそ、笑顔になれる時間を設ける大切さについてのお話をご紹介いたしました。
仏教には柔軟心という言葉があります。私達の日常生活では、洗濯をする際に使用する柔軟剤(じゅうなんざい)という言葉があります。柔軟心は柔軟剤と同じように、「柔軟」という言葉が使われていますが、この言葉は「にゅうなんしん」と読むのです。
柔軟心とは、柔らかな心のことを言います。硬いものは一見丈夫に見えますが、硬いもの同士がぶつかると、どちらも大きく傷付いてしまいます。反対に柔らかいものと硬いものがぶつかった場合は、柔らかいものが衝撃を受け流すので、どちらも傷付くことはありません。
自分が損をするか、得をするかという自己中心的な心で過ごしていますと、いざ大きな苦難に直面した時、自分だけを守ろうとしたことで硬くなっていた心は簡単に折れてしまいます。相手の気持ちを思いやる柔らかな心を一人一人が持つことで、私達はお互いが傷つけ合うことなく、目の前の苦難に力を合わせて向き合っていくことができるのです。
お寺にお参りすることが今は難しいですが、ご自宅のお仏壇の前でふと手を合わせることで阿弥陀様のお心に触れた時、私達は阿弥陀様によって柔らかい心を持って相手に接することの尊さに改めて気づかされていきます。ここ最近は私自身も物事がうまくいかない、もどかしい日々を過ごしております。同時に今だからこそ、柔らかな心を持っていくことが大切であることを実感しております。
副住職より
昨日で熊本地震の発生から4年が経ちました。私は昨日、熊本地震の被害を受けた、僧侶の先生のお話を思い出していました。
私の場合ですと、好きなラジオを聴く事で笑っております。ラジオから私は、思わず笑顔になれる時間を日々いただいているように思います。
先生の話によると、震災という急激な環境の変化を余儀なくされた事によるストレスが原因で、体調を崩す被災者の方々が当時は多くいらっしゃったそうです。
人間はストレスが溜まるとだんだんと笑顔が消えていくが、それが健康に良くない。
1日に何回か笑う事が心や身体に良い影響を与えてくれるから、辛い1日であっても、その中のどこかで笑う時間を設けてみてほしいと先生はおっしゃいました。
私の場合ですと、好きなラジオを聴く事で笑っております。ラジオから私は、思わず笑顔になれる時間を日々いただいているように思います。
新型肺炎による急激な生活の変化で、私達はストレスが溜まりやすい毎日を送っております。そんな中で笑うなんて出来ない、不謹慎だと感じられるかもしれません。
ただ、ずっと気が張っている状態よりもどこかでリラックスできる、笑うことができる時間を設ける事が今は大切なのではないかと私は感じております。
副住職より
ここ数日、お寺はいつもより静かです。
その代わり、ハトや野鳥が境内で羽を休める姿を多く見かけるようになりました。
不思議なことに、お寺にやってくるハトはよっぽど近づかない限りはのんびりと過ごしています。ここが落ち着く場所になっているのでしょうか?
忙しい日々を送ることになっている方々もいらっしゃると思います。どうかお身体にお気をつけてお過ごしくださいませ。
副住職より