瀝瀝(れきれき)散歩道

人の働き方をサポートする株式会社キャリア・ストラテジー代表、𠮷本惠子のブログです。

今年が終わる、、、2024年

2024-12-30 12:31:36 | 株式会社キャリア・ストラテジー
今年が終わる、、、2024年




この会社を起業してから8年目となりました。
「どうしても放って置けない課題」これを達成させるための起業でした。
4年間はこれで邁進しましたが、、、例のコロナ禍がやってきて、私たちの会社もとうとう赤字に陥りました。
もうそこそこの年齢ですから、適当な時にやめてしまおう、と思っていたのですが、、、。

ところが、人生ってよくわからないものですね、、昨年あたりから、ものすごく忙しくなりました。
1人ではどうしても仕事が回らなくなり、現在は7名のマネージメントスタッフと、
ああだ、こうだ、と言いながら、毎日を過ごしています。
皆、いい人たちで、私の不足しているところを補ってくれます。
おかげで、私は忙しいけれど、好きなことができるようになりました。

今年2024年はお弁当屋さんの研修から始まりました。
このお弁当屋さんとの出会いが、私たちの会社の転機でした。
お弁当屋さんは、3交代で年中無休でお弁当を作り、コンビニに色々なお弁当を届けています。
この出会いに感謝をし、私は多少の要求でも「お弁当屋さんのために」仕事をしたいと思っています。

「夜7時から朝7時まで働く人たちのための22時からの研修」も
「夜中の12時からの外国人労働者のためのオンライン研修」も

私たちの仕事は、そんな現場での仕事です。
今後もずっと、変わらないと思います。
ある時はすごく泥臭く、ある時は大企業のスマートな現場で、全力を尽くしています。

起業した時の課題を確実に実行しようと思っています。

弊社のために、たくさんの人の力を借りています。
特に、業務提携の先生たちには頭が下がります。
いつもありがとうございます。

家族にも。
どこまでも、何も言わずに応援してくれる夫にも感謝です。

そんなことを考えながら、2024年もあと2日です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親しい人との別れ

2024-12-26 01:57:46 | 株式会社キャリア・ストラテジー
新宿日本語学校の江副校長先生の訃報

新宿日本語学校の校長先生、江副先生が逝去されました。
とても悲しいです。

私はこの学校の日本語教師養成講座を卒業したのです。
1990年ごろ、まだ日本語教師という言葉が、あまり普及していなくて、「何、それ、日本語を日本人に教えるの?」なんて
問い返されていた時代でした。

その後、私は新宿日本語学校で仕事をすることなく、他の日本語学校で教えたり、専門学校で働いたりしながら、
外国人に日本語を教えてきました。

江副先生との再会は、私が大学で教え始めた頃、つまり7年前ぐらいです。
偶然にも「介護の日本語」のセミナーで、先生をお見かけし、声をかけたところから始まります。

これまでの7年間は、教室を貸していただき、弊社のセミナーを開いたり、
江副先生をはじめ、数人の先生に弊社の講座国家資格キャリアコンサルタントの資格を取ってもらったり
新宿日本語学校の教師研修をしたり、
外国人のための防災教育、外国人労働者の日本語、フランス校との交流など
単発の企画をいろいろ試行錯誤で試していたところでした。

いつも少年のように熱心で、楽しく、駄洒落やジョークが大好きだった先生。
江副先生の「またまた、吉本先生が面白いことを考えてきたよ。わくわくするな〜」という言葉が
聞こえてくるようです。

由緒ある東京の日本語学校「新宿日本語学校」は江副先生の長男のりゅうじさんが継がれる、とのことです。
江副先生のために、私は外からの応援団として、新宿日本語学校を応援していきたいと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢 煉瓦造りの文化財

2024-12-23 19:09:15 | 株式会社キャリア・ストラテジー
金沢



仕事で金沢にやってきました。金沢には私の好きな明治時代の煉瓦造りの建物がいっぱいです。
今日はあいにくの雨模様(明日は雪らしいです)美しい写真が取れなかったので、おおよそ3年前の写真を使っています。

最初の写真は旧陸軍の兵器庫を活用した石川県立歴史博物館、加賀本多博物館、ともに国の重要文化財です。
下の写真は旧制四高、明治27年に旧制中学から旧制高校となりましたが、煉瓦造りの校舎はやはり国の重要文化財となっています。
芥川賞作家の井上靖もこの学校の出身者です。







トンネルは、とてもとても興味深いです。
実は加賀100万石、城壁作りにかけては日本一と言われた金沢城の城壁に、兵器庫を作るため、突貫工事でトンネルを掘り、穴を開けたのが旧日本陸軍です。
城壁は、もともとお城を守るもので、戦国時代は文化財でもなんでもなく、とにかく敵の襲来を防ぐことが目的で、強固でした。
金沢城の城壁は様々な石の積み方があることで有名で、当時の石積みの技術の高さと工夫が今に残っています。
旧陸軍はその300年以上の歴史ある城壁に、あっという間に穴を開けました。兵器を隠しておいたそうです。
当時の権威には、金沢の人たちもどうにも抵抗できなかったのでしょうね。

以前、友人は「お城にダメージを与えず、穴を開けた日本陸軍の技術がすごい!」と言いましたが、お、確かにそういう見方もあるんだなあ、と驚いたことを覚えています。
明日の夜、東京に戻り、明後日の朝、札幌(室蘭)に向かいます。土日は、札幌の煉瓦造りの建物の探索をしようと考えています。
仕事(研修)はあるけれど、楽しみな今週。
小さな小さな会社ですが、周りのマネージメントスタッフのバックアップのおかげで、私は久しぶりの息抜きをし、趣味を深めることができています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする