その年の5月、体調の良くない母に代わりお墓参りに九州へ行った。その時、本家の伯父と一番下の叔父が湯布院に案内してくれた。
もう名前は忘れてしまったが、中心部から離れた静かな場所で一見した所普通の洋風の家で60歳前後の品の良い婦人が一人でされていた。居間にピアノが置いてあり、心地よいクラッシクが流れていた。その日はお庭に手を入れるとの事で閉められていたのだが、開けていただいたので客は私達だけだった。上記の写真はその庭から由布岳を映したものである。珍しい雲だったのでで撮った。
その時、「もし、今由布岳が噴火したら、此処は一発で駄目になるわね」と言ったら、伯父が昔別府湾に瓜生島という名前の島があり、地震で沈んでしまったと言う話しをしてくれた。
慶長元年1596年に直下型の地震があったという。
その話をノワタリさんに話すと、「行きます。秋10月に」と言われた。早速、幾つかの神社を選ばれ、その計画を立てた。その時点では分からなかったが、ノワタリさんがその時期に別府に行った事で二人の命が助けられた。決して大げさな話でなく。今気付いたのだが先祖のお蔭だ。墓参り行く事で助けられた事を。
さすが、宇佐八幡の在る所、八幡様を祀っている神社が多かった。若宮八幡社、宇佐八幡宮、宇奈岐日女神社、西寒田神社、雄城神社、天満鬼神社の予定である。
10月の20日今回は上天気、別府で妹と会い、大分空港でノワタリさんとウチダさんと合流してレンタカーで出発した。しかし、ウチダさんが「ナビの音声が出ない」とぼやいた。しかし、今回は土地勘が少しあるのでどうにかなると思った。
まず最初に杵築市の若宮八幡社、集落の中を走っていくとその神社はあった。鳥居の前にを置いてお清めしてお参りした。屋根の上の龍も立派であったが、とてものどかで穏やか空気であった。境内には私達だけだったのでゆっくり周った。
のどかな田園風景の中を宇佐神宮に向かった。
前回訪れた時は、蓮の花の季節で上宮は囲いがしてあり改装中だった。今回はとても鮮やかな姿であった。参拝者も多く、宗教団体のような集団も幾つか出合った。リーダーに従い同じ作法でお参りされていた。本宮の八幡様、神功皇后、宗像三女神だけでなく、住吉さん、大山積命、そのほか八幡様にゆかりのある神様達と、お社は多かった。
境内の東の端に弓削道鏡事件で有名な和気清麻呂が祀られている護皇神社、その上にその時御神託を伺った大尾神社があったが、私達は護皇神社を御神託を受けた神社と間違えて奥まで行かなかった。しかし、其処も草も伸びひっそりしていた。
護皇神社
そこで表参道にある食堂で遅い昼食をとり、湯布院の宇奈岐日女神社へ向かった。
宇奈岐日女神社
湯布院の町の中は何処も湧いた様に若い観光客が多く、間違って入ってしまい動きが取れなくなり、運転していたウチダさんは弱っていた。
やっとの事で神社に着くともう日は傾きかけていた。うなひめぎと言いそうだたが、かって湖だった湯布院を盆地に変えた女神でうなぎの化身とも、景行天皇の寵愛を受けた巫女だとも、高貴な巫女のうなじに飾った勾玉の名称とも言われると調べたら書いてあった。
夕方でも人が疎らにお参りされていた。ご祭神様は国常立命、クニサツチノミコト、ヒコホホデノミコト、ウガヤフキアエズノミコト、神武天皇、綏靖天皇で六宮神社とも言われるとの事であった。社務所に朱印を頂きに行くと、お留守でしばらく待った。
その日の宿は海岸近くの花菱ホテルでバイキング料理と冷たい、屋上の露天風呂と部屋からの別府の夜景を楽しんだ。その晩ホールで地元の人のジャズコンサートが在るとの事で聞きに行くと缶ビール付であった。