別府に泊まった夜、なぜか京都に行きたいなと思っていたら、ノワタリさんから「来月23日から京都に行きましょう。」と言われたが、もう絶対この時期では宿は取れないだろうと思ったが、玉置神社にご挨拶してからとと言われた。しかし、あと1ヶ月では宿は無理だ。
帰宅すると直ぐにネットで宿探しをした。十津川村に宿を取り、2日目は問題の京都!市内は駄目だった。東西南北周辺を探してやっと亀岡のビジネスホテルを予約した。
しかし、1日目は玉置神社をお参りして地元に泊まり、翌日京都に出るプランを立てたが、その日のうちに京都に入らないといけないと言われた。そんなの絶対無理、無理、無理と思った。しかし、京都に良く行くヒラサワさんに宿の事を尋ねると「自分も行きたい」と言い出したので相談すると、「高速を使うと出来るよ」と言われた。
私は高速を使うルートは全く考えてなかった。「じゃあ、宿が取れないんだけど」と言うと、「24時間営業のサウナに行けばいいよ。」と言われ、そのようにする事に決めた。
ノワタリさんがおっしゃるには「始めの2日間は忙しいぞがんばれ!最後の一日はのんびり過ごせるぞ」とメッセージを受け取られていた。
11月23日の始発で出てきたでノワタリさんとヒラサワさんと新大阪で合流し、そのままJRで田辺駅まで行き、其処からレンタカーで玉置神社に向かった。
玉置神社は始めてお参りした頃からすると、大分雰囲気が変わっていた。
まず、駐車場には出店があり、名産の柿の葉寿司などを売っていた。ほとんどを見る事は無かったのに連休のせいか8部方埋まっていた。
境内の参拝者は若い人が多い。おまけにご神水は出ないようになっていた。「山岳なので水は貴重です。」そのような事が書いてあったと思う。
何かで「玉置神社はこの世が終わる時表に出るハルマゲドンのような所と読んだ事があるが2004年の6月の台風で境内の御神木である杉の木が倒壊したとNHKのニュースに出たのを母が見た。それがそうなのかもしれない...しかし、最近この神社は有名にもなっている。
三柱社、(ここのお狐さんは白でなく黒だとノワタリさんは言われていた)玉石社とお清めしてお神酒をお供えしてお参りし、山頂へ行ったが、そこでも降りてくる一行がいた。
山頂でお清めしてノワタリさんは祈られた。
11月下旬の日暮れは早い、大分傾いた日の中を大急ぎで竹筒の高倉下命様の祀られている神社へ向かった。途中、龍神様でご神水を頂いた。
この神社は廃校になった学校の裏の森の中に前回来た時と変らず静にひっそりと佇み、所のもの以外は分からないだろうと思う。
お参りした後、時計を見るともう午後4時半であった。高速を使っても日付が変わらないうちに着くだろうかと思いつつ、出発した。
田辺市内に入った頃はもう真っ暗だった。田辺かみなべかはっきりしないが高速に乗った。其処から高速を乗り継ぎ走ったが、所所で渋滞に遭ったが、上の配慮のおかげかさしたる事もなく京都市内に8時半過ぎには着いた。
祇園近くの駐車場にを預け、私達は夕飯を取りに居酒屋へ行った。安心からやを飲みくつろいだ。その後サウナに行くと、11時頃になりもうシューズボックスはいっぱいだった。ヒラサワさんに聞いたように貴重品をフロントに預け、風呂に入ったが、同じように宿代わりにする人が多いのでもう休息室も満杯だった。レストランや通路の椅子に寄りかかって休んでいる人の姿があった。
マッサージを頼むと順番が来るのは1時とか2時前であったので止めた。レストランの椅子で休んでいたら食事をする人が入ってきたので出されてしまった。昼間の疲れがどっと出て仕方ないのでまた、マッサージを頼んだ。
ノワタリさんが先に行き、その後私もマッサージが済んだ後、私達が「最後ですのでそのままお休みください。」と言って頂き、そのまま暖房の効いたマッサージ用のベッドで休ませて頂く事になった。もうその頃には夢うつつになっていた。
翌朝目が覚めると、8個ほどのベッドに休んだ人以外はカーテンの向こうの床の上に毛布を敷いて休まれたらしい。
なんと、休息室の椅子よりも寝心地のよいベッドで私達は休ませて貰ったのだ。なんと有り難い事だと感謝した。