別府湾
翌日は早く起きて瓜生島の慰霊から始まった。
別府と大分の境の海岸へ行き、ノワタリさんの指示に従いお清めをした。ノワタリさんは海に向かって歌われた。この沖に5000人の人の住んでいた島がほんの400年前まであった事と、中央構造線がこの湾を抜けて阿蘇へ伸びている事を思うと、今何があっても不思議ではないと改めて思う。
その後、西寒多神社へ行った。朝日が差し、とても穏やかで気持ちが良い。
そこで奥宮があり昨日そのお祭りだった事を社務所の方に聞き、行き道を教えてもらい奥宮のある本宮山へ向かった。しかし、道幅はとても狭く悪路であった。途中でやっと広い道に出たがつかの間で又狭く急な坂道であった。いつものヴィッツであるから良いものの途中対向車が来たらと内心ヒヤヒヤした。
奥宮のイワクラ
テレビ塔のある所で車を置き、登と、何処からか子猫のニャアニャアと鳴き声がしてきた。お清めしながら歩いていると私達の足元にじゃれ付いてきた。私の好きな赤ネコだった。なんでここに子猫が?と思いつつ、今は飼うことが出来ないので出来るだけ知らん振りをしてきたが...やっぱりだめである。
子猫はまだ生後2か月くらいのオスで首に紐を編んだような首輪をしていた。一晩一人で心細く過してお腹もすいていたので必死でまとわり付いた。
お参り後、に乗せて一緒に下山した。社務所の人が言うには信者さんに着いて行き、山で分らなくなったそうだ。膝や肩に乗りゴロゴロ言いながら顔を舐め甘えた。別れが辛い...
「何か食べ物はありませんか。」と言うと、「鯉の餌しか」と言って鯉のえさとお弁当のおかずを少し頂いた。ネコは少しお腹の足しになったのかひとりで境内を遊んでいた。
その間に私達は鳥居を出て橋を渡った。後ろから悲鳴のような悲しい泣き声が聞こえた。
一人であれば、近くのホームセンターにえさを会に行き、つれて帰ったであろうと思うが、まだ回る神社もあり、ぐっとこらえて立ち去った。今でも思い出すと、辛い。
その後は雄城高校の横にある雄城神社にお参りした。ここも八幡様だという。そして此処に築城したのが小学生の頃読んだ本の主人公の「椿説弓張月」の弓の名手の源為朝したのでその霊も祀られているとの事だった。
そのまま町に出て昼食を取る店を探した。店内にいけすのある郷土料理の店に入った。それぞれ好きな物を頼んだが、 どれも美味しく満足した。川沿いの住吉さんにご挨拶をした後、最後の天満社鬼神社という変った名前の神社にお参りした。その神社は天満様と鬼神社が拝殿が区切られてその奥にそれぞれ本殿があったが、鬼神社の方は鬼のお面がいっぱい掛けられていた。拝殿から外を覗くと、其処から下はずっと低くなっていて変った地形だった。近くのおじさん達が数人お掃除に来られていたが、他所からお参りする人も珍しいのであろうと思うが御礼を言われた。
鬼神社は元々は大己貴命を産土神として祀ったという。
今回はこれで終了。別府駅でお別れしてノワタリさんとウチダさんは空港へ向かった。妹と一休みして別れ、叔父の家に向かった。その頃は抗癌剤治療をしており自宅にいた。
その翌月、1回目の手術があり出血を起こすと気道が塞がれ窒息したら危険と言われていたが、冷淡だった叔母が「奇跡よ!一滴血は出なかった。」と大喜びでして来た。その時は気道を塞いでる腫瘍を取り除いたが、縁に付いた部分はもっと体力をつけて12月に病院を替え、大学病院で又手術をすると聞いた。ひとまず一安心した。
その旅の数日後、妹は乳癌検査の結果が出ており、やはり癌であった。マンモでも見つからなかったのが又片方にも見つかり、早期発見と言うことで手術をせずに治まった。
ノワタリさんが胸の異変にホテルので隣に座った時、「何か変だな?」と気付いていた。
宇名岐日女神社でノワタリさんと妹の写った写真の顔は何処となく妹の顔でなく変に写っていた。
1ヵ月後、一緒になったヒラサワさんに見せると「これ!彼女の顔じゃないよ。おばあさんの顔だ。死相が出てるよ。」と言われたが、早かったので事なきを得た。本当に有り難い事である。