先週のお天気のよい朝、外が騒がしい。
ピキピキピキとツバメが大きな声で鳴いている。また、ヒヨが来ているのかしらと思い、ベランダにでると、二羽のツバメが巣の周辺を飛び回っていた。
三角関係である。子供の頃、近くのお米屋さんへお使いに行った時、家の中にある巣の近くで2羽のツバメが飛び回って鳴いていた。
おじさんが「三角関係だよ。ツバメでもあるんだな。」と言ったが、本当かしら?と思いつつ帰った。
巣の中に1羽は座っている。巣の横取りか?三角関係かは分からないが、じっと見ているとやがて飛び回っていた2羽は前の電線に止まっていた。その後は静になったので納まったみたいであった。
さて、本題に!
「恋をする」でなく、「恋に落ちる」と言う表現があるが、違いは何だろう?英語にもfall in love と言う表現がある。
私的には予期せず恋をしてどつぼに入ってしまったと言う感じではないかと思う。
一目ぼれなんて無いだろうと思っていた。人に好意を持つ時って、第一印象は感じのよい人から始まり、じわじわとその人柄を知ってからと思っていた。
25年以上も前の事だった。
あるサークルの新年会で隣合わせに座ったのがきっかけだった。1次会も終わり、2次会にその中の人の奥さんのお店に10人あまりの人間が行った。
その店を出てポツポツ歩いて帰っていたら、後ろから「もう1件、行きましょう。」と誘われ、一緒に出た女性と3人で盛り上がって飲んだ。ただ、それだけの事だった。
2,3日した日曜の午後、斜向かいの母屋から自分の家に入ろうと外に出た時、一台の車が止まった。
先日の人であったが「此処が、家ですか?」と聞かれ、答えたくらいだった。
その次の週のサークルの後でまた、先日のお店へ行き、同じメンバーで飲んだ。お店のママさんは友人の友達だったので安心感もあった。
その頃、その人が家庭持ちであることを知ったが、まぁ~、お酒を飲むぐらいならいいか、何にも悪い事じゃないわよ。それまでも男友達と飲むこともあるものと自分に言い聞かせた。
しかし、面倒な事は嫌なので誰かを誘い一人で行く事は無かった。
1月の半ばから3月の間、10日に一度くらいの割合で何時ものお店で飲んで、わいわいと楽しくお酒を飲んだ。その人は大変お酒が強く、キープしたボトルも2回くらいしかもたなかった。
母は娘が午前様に帰ってくるのに気づき、ある晩誰もいないはずの玄関のドアを開けると母がすごい形相で仁王立ちなり私を待ち構えていた。いきなりひっぱたかれたが、笑い上戸なのかそれとも楽しいお酒だったのか?ゲラゲラ笑うだけで張り合いをなくし、母はあきれ果てたと言う。
やがてサークルには顔をあまり出さなくなり、町で見かけたとか言って電話をもらう様になりサークルと違う日に誘われるようになった。
仕方が無いので妹や友人やkにまで頼んで付き合わせた。
3月の末そのサークルで行事があり、また打ち上げでその店に数人が行った。その日はみんな大変遅くなり、その日初めて帰り道を送ってもらった。
帰宅してまもなくま夜中の電話、何を話したのかも覚えてはいない。声を聞くだけで充分だったのが、週末の土曜にドライブに誘われた。
自分の中でこれが限度であると決めて出かけた。
誘われたはずがなぜか私の車、隣町で夜桜見物、肝心の桜はまだ2部咲きで寒いだけですぐに車に帰り、その後は国道沿いの喫茶へ入った。
何時もうす暗い店で隣に座るだけで、明るい灯りの下対面で座ったが重苦しい空気である。互いに思っていた事は同じであろう。
何時もと違いしらふで話す言葉も見つからなかった。
やっと、「明るい日の中で会えないような事は嫌だからもう電話もして欲しくない。」と告げるのが精一杯。
それで終わった。私にに幸いしたのはその人の会社が無くなり、1,2ヵ月後町を出て行かれて出会う事は無かった。
後で思うと、たぶん出会った頃には会社の事はうすうす分かっていて胸に抱えていたのであんなに飲んでいたのでは?と思う。
私の方はといえば、私に起きた事が妹にも起き、結婚話で揉めていた。家の中では毎晩その話でうんざりしてみんなバラバラで身の置き場が無かった。
その直後、妹が飛び出して行き、話が急展開して祈祷師の世話になり、時間は少し掛かったが落ち着いていった。
未だにその人の事はよく知らない。学生時代の彼女が釜石か宮古の方に居るという話しか覚えていない。
知らなくても人を好きになれるという事を知った。たぶんその人も、私の事をよく知らないままだっただろうと思う。
その年の寒くなった頃、見覚えのあるセーターとショルダーバッグを掛けているその人の後ろ姿を見かけた。
程なく、家に1本の間違い電話が掛かってきた。取ったのは母、母が聞いた事のないスナックの名を言った。以前、よく夜遅くスナックと間違えて電話が掛かってきていた話をしていたのでたぶん、その人であったのだろうと思った。
勘のよい母は電話帳でその店の電話番号を調べ「全然、違うじゃないの」と不信そうな顔をした。
その後、kからその人が一旦郷里に帰り就職したが、また前職の同業会社に入りなおしこの町に来た事を知らされた。kの所にきたそうだった。
しかし、逢う事はなかった。
理性では納得できるが、感情は伴わない。そのギャップにしばらく苦しんだ。心は自分の物でありながらコントロールするのが難しく、ままにならない。
こういう時は次の恋愛をするのがよいとかいうが、明るく振舞っても自分をごまかす事は出来なかった。
それまでよく読んでいた村上春樹の小説も「ノルウエイの森」の新聞広告に一人で居るのが寂しくなるというような事が書いてあって未だに読んでいない。
四半世紀も経ち、私の中でその人はお酒をよく飲んでいたので、肝臓を患って亡くなっているか、生きてても病気になっているだろうと勝手に決めていたが、最近その人がその後バリバリと第一線で仕事をされていた事を知った。その顔写真に面影はあってもその頃の1,5倍の大きさになって時の流れを感じた。
ノワタリさんとは10年近いお付き合いになるが、「この人のそういう部分には触れてはいけない」と、思っていたと昨年言われた。しかし、こうやって開け放す事で開放されるらしい。
数年前、最終便の飛行機でノワタリさん宅へ行く途中の電車の中で席を譲ってもらった事をきっかけにおしゃべりをしたした人から別れ際にメールのアドレスをもらい、戸惑ったがまだ、自分が異性としてみてもらった事になぜか安堵した。当然 返事は出していない。
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