
今年の夏はひっそりとして暇だった。孫は来ないで写真が来た。それを見たら、ああかわいいではないか、日ごろ俺はまだやることいっぱいあるんだ、孫なんてかまってられるかなんてうそぶいてるんだが孫の写真見てひとりニタニタしてる。
盆が行くと涼しくなる、夏も行く、寂しくなる。そんな感じは子供のころの思いでに重なる。家の前を川が流れちょっとした広場になってたが、そこで春は山菜を乾し夏は干し草を作り、秋は脱穀したもみを干していた。朝草を刈りそれをリヤカーで運んで、そのリヤカーの草の上に乗るのがまた面白かったが、広げて天日で乾かし干し草を作った。草を刈って持ってくるのは男の仕事だったが其れを干すのは女子供の仕事でおふくろと2時間おきくらいに草をひっくり返しほすのだ。川の上をオニヤンマが飛び草を干してる上を十五夜トンボがとんでいた。 夕方になると納屋にみんな入れてまた次の日干す。そうやって牛の冬のえさをつくった。夜になるとそこで花火をした、親父が色々と工夫して竿の先にぶら下げてみたり、光がいろいろ動きまた川面に反射しこどもごころにとてもきれいなものだった。今みたいに灯りなんてなくて真っ暗な中にそこだけ花火の光がかがやき煙がもうもうと立ち込めてるのを思い出す。