フィギュアスケートは日本の誇る二枚看板が出足不調だったとか。いくら素晴らしい演技が見れても、日本人選手でないと面白さが半減する。特に羽生結弦選手にはついつい期待してしまう。常に世界最高の演技を出してくれるだろうと。
アイスホッケーの試合をきのう初めて観戦した。去年アメリカ旅行した際、米4大プロスポーツのうち、野球、バスケットとこれをぜひ観ようと思っていたのに、アイスホッケーだけは行程のタイミングが合わずに実現しなかった。江戸の敵を、といった感じで国内の東伏見アイスアリーナで観ると、パックを追い、相手を躱し、スティックを自在に操り、前後左右に回転を利かし、氷の粉を削り上げるスケーティングの躍動感に迫力があった。パックを打ち、スティックが交錯し、リンクに激突する音響の臨場感が満点だった。相手の進路を防ぐために膝を入れたり、リンクの隅の方ではエルボー・スマッシュをかましたり、すくい投げを掛けたり、エキサイティングな場面が続出し、しょっちゅうペナルティー退場を命じられていた。パックを叩いて空中に飛ばすのは知っていたけれど、飛んできた球をスティックのブレードで受け、反転して攻撃態勢に移る技には感嘆した。それでゴールを決める場面も見た。けっこうパックが飛び交うのに、審判は目だけは透明プラスティックのカバーで防御しているけれど、鼻から下はノーガードなのと、素手なのには驚いた。選手はみんな手袋かグローブを着け、飛んできた球はキーパーがキャッチしていた。キーパー以外の選手も手で受けたので、良いのかと思ったら、サッカー同様にハンドの反則を取られていた。氷が解けないよう暖房していないので、大概の観客は厳寒の服装の上、尻、膝に毛布などを用意しているのに気付き、反省した。
山口県周南市で6年前に起きた連続5人殺人・放火事件を扱ったノンフィクション『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(高橋ユキ、晶文社)が何かの書評で高評価だったので読んだ。山口の事件と言えば光市で何かあったな、くらいの認識で、全く初耳の出来事だったので、あの真相はこうだったのかという興味津々の迫真性は感じなかったけれど、驚愕の結末に世の中にはそんなこともあるのかと深く感銘した。今年7月に最高裁判決が出たのだから、事件の記憶が少しでもあればもっと面白かったのに残念である。本筋以外に、地元神社の起源、歴史とか、神楽の伝承、保存、コミュニティーとの関わり合いにまつわる挿話が勉強になって、読みごたえがあった。
神奈川県の使用済みハードディスク(HDD)が行政データ残存のまま外部流出していたとは嘆かわしい失態やね。振り込め詐欺とかに悪用されていたり、裏社会に渡っていれば影響は未知数に深刻になるで。国も自治体も行政は、楽でスマートな仕事だけ残し、嫌で(I)難しくて(M)ややこしい(Y)、いわゆるIMY作業は外部に任せる傾向にあるのが間違いの元である。手続きさえ踏んでいれば、最後の責任を逃れたと判断している。裁判にしても、法解釈以外の専門的問題は医師や学者などの専門家の意見に任せ、そんな第三者が判決の責任を持つわけがないから、結局責任の所在が曖昧なまま、司法も行政もええ加減さが横行しているのが世の中の実態となっている。
縁なき吾も 惜しと思はる