天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

彼我

2019-12-28 13:59:47 | 日記
 御用納めも済んできょうの土曜日は帰省客で高速道路や新幹線が混雑するとラジオが伝えていた。仕事から放り出されて10年以上経つとそういう感覚が無くなり、ふるさとも遠くなりにけりの感慨がわく。泣く子が新幹線車中で迷惑がられデッキに連れて行った頃が懐かしく思い出され、人生を社会と一体的に生きていた感触が蘇る。通勤どころか旅に出ることも滅多に無くなったので、仕方なく家のデッキに出てみると、鳥に糞をまき散らされていた。冬のこの時季は野鳥が近所の植木の木の実を求めてやってきて、食った処で放出すればいいのに、わざわざわが家に来て糞垂れやがる。以前は、車の屋根が糞だらけとなるので、地面に鏡とか、録画に失敗したDVD盤を置いたり、銀色のテープを吊るしたり、防衛に知恵を絞ると、今度はベランダを攻撃するので、お手上げである。
 読売新聞購読者サービスの新年1月のカレンダーの挿絵はヤブコウジである。赤く芽出度い、正月に相応しいこの実が隣家にも有って、よく鳥の糞の元になる。
 パソコンを開けると、今朝の表紙は冬季オリンピックで有名なインスブルックの雪山景色だった。前景の色とりどりのパステルカラーの瀟洒な家並みが、おとぎの国のように見える。こんなところにオリンピックの選手村として泊まらせてくれるなら、これからスキーでも練習して日本代表に選ばれたいものである。インスブルックは、チロル州というのがあって、州都だそうである。チロリアン・ハットはよく聞くけれど見たことがない。ぷっぷぷーとか言ってチョコレートの宣伝をしていたのは、この地方と縁があるのではないか。あのコーマシャルに出てきた山上の草原風景はジュリー・アンドリュースの『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台に似ていた。ドレミの歌と共に、エーデルワイスの歌が聞こえてきそうである。この前にプライムビデオで見返した時には、クリストファー・プラマーは「エーデルワイズ」と濁音で発声していたのは意外であった。日本人が使う語感の方が可憐で、花にぴったりと思う。
 チロルを想像するだけで寒さが増してきたので、この冬初めてストーブを点けた。カセットボンベのガス式である。最近やたらとニュースで、長く使わずに置いていたカセットボンベのパッキンの腐食により、ガス漏れ火災が多発していると注意喚起しているので気味が悪い。本当にガス漏れしているのではないかと疑うほど、暖房時間が数時間と短い。1本で1日分、せめて8-10時間は持つようにしてほしい。
 長くせよと言っても長いだけの長期政権は、バブル崩壊以来、不毛の30年の日本経済に、最後の止めを刺す役割しか持たないのではないか。国内においては3本の矢とか言っちゃっても停滞経済を蘇らせる明確で効果的な政見の抱負がなく、美しい国とか空疎な題目を並べるだけで拉致問題は進展せず周辺諸国との悶着を生むだけで国際社会の中における日本の役割構想を持たない安倍首相が、役所の権益確保に振り回されているばかりでは、世界の中で取り残されるだけである。池田勇人首相や田中角栄首相のような将来を切り開かんとする明確なビジョンが懐かしい。非大蔵人脈でも良いけれど、池田時代の大来佐武郎、下村治ら、田中時代の下河辺淳、小長啓一らの識見があればまだしも、今の経済産業省みたいにドアに鍵をしなければならないほど外部に見せられない恥ずかしいポンコツに乗っかっていては、エンストの頻発どころか、認知症老人みたいに逆走ばかりすることになる。福島原発事故後の今日までの対応や、次世代通信5G利用の立ち遅れ、国の肝いりのJDI(ジャパンディスプレイ)の現在の惨状を見ても、エネルギー政策と産業政策を担う経産省は執務室扉だけでなく、省自体を閉め切って”廃炉”にしてしまった方が道が開けるのではないか。
 トランプ米大統領は「Dow closes at another All-Time High! 」と、27日の株式市場引け後にツイートしている。前日比23ドル高の2万8645ドル。一方の週末の日経平均は87円安の2万3837円。通貨単位が違っても数字だけはかなり近似している。何の比較にもならないけれど、問題は歩みである。日経平均の史上最高値が1989年大納会の3万8915円だった時、NYダウは2753ドル。数字だけ比べると14倍の差があった。当時の感覚では、ドルと円では通貨の値打ちが違うので、そんなものだと比較の対象にならなかった。しかし、今こうなってみると、向こうが10.4倍伸びている間、こちらは39%減に細り、彼我の対比がわが国力の低下を、皮膚感覚として伝えてくる。安倍政権奪取時に比べれば大幅回復しているといっても、失われた30年という評価は覆らないし、現状維持を善しとして内向きにパイを食い合うだけの産業構造の硬直化と産業政策の不毛から、この先の展望がないことがもっと問題である。役所の権限が民間の資源を食い荒らすだけでは何の発展も期待できない。それをコントロールすべき政治が無能の結果、逆に役所の拡張を助長しているようでは、明治だか昭和だか維新のエネルギーを待ち構えているようで、明るい見通しは持てない。それでも生きていくためには、大納会に新年の夢を託さなければならない。物色テーマは東京五輪とインバウンドに次世代通信か?

初夢を
何に託すか
大納会
京成電に
ANAはアンリツ