あす25日の緊急事態全面解除を待たずに日本列島は夏の陽気が押し寄せた。お花畑には蝶々が舞いでた。鴨が水遊びを楽しんでいる。馬鈴薯が可憐な紫の花を開いた。トウモロコシが穂を着けた。ビールはまだかと枝豆が鞘を膨らまし始めた。日本人が1年で一番好む春の季節は、コロナ騒動に脅え冬ごもりのまま過ごすしかなかった。それでも若い者たちはステイホームに紛れて十分に春を謳歌したかもしれないけれど、やっと年寄りも鎌首をもたげることができるようになる。試運転は、コロナに勝つを謳い文句にしている串カツ田中にするか、ミラノ風ドリアにワインが合うサイゼリヤにするか、少し迷う。
欧米は早速、ビーチで賑やかに祝祭を上げていると報じられている。ただ、CNNによると、ニューヨークのドミノ公園では芝生に間隔を開けてサークルを描き、寛げる場所にソーシャル・ディスタンスを設け、用心は続けているようである。大統領が経済規制に消極的なブラジルは新型コロナウイルス肺炎感染拡大の勢いが止まらないみたいである。
ステイホームとソーシャル・ディスタンスの加減と、感染コントロール効果の相関関係は、神のみぞ知るである。要するに、COVID-19の発生の起源やウイルスの正体、感染ルートの何も分かっていないのだから、ワクチンや治療薬の早期開発に期待するには無理がある。
米大統領が抗マラリア薬のヒドロキシクロロキンを服用したのを笑う立場には誰もない。誰かがファースト・ペンギンの勇気を持たざるを得ない。日本人は有史以来、ラスト・ペンギンとは必ずしも言えなくても、後方待機組であったことは否定できない。みんなで渡るのを待って安全を確認するのが賢明であることが多かったけれど、確実に後手を踏むのは仕方ない。それが民族の特徴であるなら、焦らずに進むしかない。
ただ、人の振りを気にするのは日本の根性なのだから仕方なくても、人のお節介を焼くのは、解除をきっかけに止めてもらいたいものである。自粛期間中に営業した店に役所の人間が火を付けるぞと脅すのが職業倫理だと錯覚するような、息苦しい非常事態強制は長続きしない。自分で役割を作らないで、お上から雑事を与えられると天職のように思い込んで火の用心でも何でも精魂込めて拍子木を打ったりするものだから、周りは鬱陶しくて仕方がない。
そんな理不尽なことでも我慢するのが美徳と教えられてきたものだから、自然災害からでも為政者からでも、災厄が過酷になればなるほど、畏服するのが習い性となってしまってきた。一時的に下げた内閣支持率などは、倒産、失業、経済不況が本格化して苛烈になれば、それに逆比例して回復、上昇したのが日本議会政治の経験則である。どんな事態に追い込まれようとも、どうせ代わり映えがしないのだから、せいぜい自粛を見張り合う窮屈な生活からは早く抜け出したいものである。
夏や来ぬ
足止め解けむ
諸共に
蝶の舞ふごと
川を渡らむ
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