春が足早に去って行きそうです。葉桜が目立つようになってきました。去りゆく桜花を追いかけています。
近頃思うのですが「桜の花は潔く散る 我もかくありたし」あれは嘘くさいのでは?我が家の木蓮の茶色になった花弁を見て考えました。花が散るのは新たな段階に行くための一つの過程に過ぎないと。一度きりの人の命を桜の花になぞらえ散らすのは決して美ではないとおもうのですが。もし桜の花で光合成が出来るなら花は晩秋まで散らないと思います。花が散るのは葉を出さす合図なのかも。
春の日の午後 桜の花の下でカメラと戯れていました。