窓辺で寝そべる猫

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

伊豆に河津桜を観に行く

2019-02-28 14:12:46 | 日記

この日40000人が河津町を訪れたと聞きます。時期としては最高の日であったようです。

沼津からわずか50数キロの道のりを5時間ほどかけ天城峠を越え行ってきました。渋滞また渋滞で大変でした。

花の見ごろに行こうと思えば仕方がありません。京都の桜や紅葉と同じで名所で見ごろであればリスクはありますから。

伊豆半島は抜け道が少なく 山道を前が動けば自分も動く。その繰り返し。「伊豆の踊子」ではないですが温泉から温泉を巡り旅芸人が実際歩いて巡っていたのを考えると想像が膨らみたのしいドライブでした。

5時過ぎにチェックインが7時半 フロントの話ではまだ宿泊客で渋滞の中と言う人もいるという事でした。 風呂につかりながら良い時に桜を観れたと満足でした。  





赤の風景

2019-02-21 22:57:12 | 日記

春も近いある日 山の中のお寺に出かけました。車を降りて30度から35度の勾配の阪を700m登りました。何か久しぶりの山道で200m程歩いたら息が上がりなかなかハードでした。

真言宗のお寺で修験者の方が火渡りの儀式 護摩祈願法要をおこなっていました。

柔らかな光の中でのんびりとたたずむ人々 時間がゆっくり流れていきます。

梅の木も春を感じポツポツと咲き始めました。早春が少し感じられた1日でした。

ひとりごと

2019-02-15 22:26:48 | 日記

野田市少女虐待死の話ですが 教育委員会はアンケートのコピーを渡すと共に通学距離400メートルの小学校から1キロメートルの小学校に転校許可を何の疑問もなく与えるは 学校は学校でモンスターペアレントに念書を書かされるは 児童相談所は簡単に少女の保護を解除するは 日本の行政の未成熟さを露呈してます。結局は「検証して今後に生かしていきます」で終わりです。文明の恩恵を被り私たちは文明人と錯覚しているように思えますが実態は背広やドレスを着た猿より少しましなだけでしょうか。

冬も底が見えたという事で寒がりの私はほっとしています。

今日は風もなく穏やかな天候のようでしたのでカメラを持って散歩に出ました。乾いた景色を楽しめました。

陽の光はありませんがここ数日 光が強くなってきたように感じます。ヒヨ鳥や椋鳥が活発に飛びまわっています。

暖色の景色の到来を楽しみにしています。

千葉県野田市の少女の死に心より哀悼の意を表します

2019-02-04 22:16:48 | 日記

千葉県野田市の少女の死に心より哀悼の意を表します。
教育委員会は子供の命を預かっていることを自覚してほしいと思います
教育委員とはその町の名士数人と実質的な事務を行う元学校関係者で構成されている言が多いようですが頭を下げて「検証していく」と言うだけで非難の嵐が過ぎていくのをじっと待つ これが近頃の風潮のようで 凄くやりきれなさを感じます。
無駄死にならないようにお願いしたいと思います。
世の中は実力がなくても肩書や少しの図々しさがあればそれなりにやっていけます。
  もし何かあった時
過去日本には原子力安全委員会とか原子力安全・保安院とかの組織があり委員には年間1500万円近く支払われていたように記憶しています。ところが福島の事故が起こったとき二つの組織はほとんど機能しなかったようです。原発事故が無ければ当然今も存続していたのでしょう。
何かあるまで嘘でもまこと?


昔 蛤御門の戦いの当日 三条小橋の上は避難民でごったがえしていたようです。赤子を抱いた乞食の女がすれ違う荷車を避けようとして会津の巡視隊の一人にぶつかってしまいました。男は怒り女を蹴りましたが女がしがみつき逆に男が倒れました。男は女を斬りました。傷は肩から乳下に さらに斬りかかろうとした時 秋月悌二朗と言う会津公用人が通りかかり静止しました。秋月は女を介抱しましたがすぐに息をひきとりました。死ぬ前 「自分は長州藩の桂小五郎をさがしている。この子は桂の子である。すまぬがあなたの手で桂の行方を探し この子を渡してくれぬか」といいました。秋月は「自分は会津藩士であるから桂殿とは敵味方の間である それに生死も定かでない 桂に渡すというお約束はできぬが とりあえず自分が養育しよう 成人のあかつきには自分が父の桂を探す」といいました。女は旗本高津盛之助の娘千鳥 千鳥は剣術に興味があり隣の斉藤道場に通っており そこの塾頭が桂でした。明治九年 約束を守り秋月は木戸孝允を訪ねました。

今日現在 誰かが責任をとったという話は聞きません。責任をとっても少女は戻りません。同じことが起こらぬようにと願うだけです。雛を眺めながら・・・