YouTube で山鹿良之さんの「羅生門」を拝見しました。琵琶法師をやってみえて1996年に95歳で亡くなられたかたです。琵琶法師は講談や浪花節の先祖ではないかと想像しています。講談や浪花節はそれなりの施設があり人々はそこに集まり話を聞きますがまだそんな設備の無い時代から辻で或いは軒先で琵琶を鳴らしながら語り生計をたてていた人々の一人です。
50分少しの語りなのですが最初言葉が理解できないのです。情景が浮かんできません。愕然としました。
ここ数年テレビを見て過ごしていたので情報は視覚で捉え聴覚で補足して理解していたのが聴覚で捉えても噺をイメージ出来ないのです。わーどうしたの! 一瞬パニック。読書は視覚で文字を捉え理解ししながら自分の速さで進んでいきますが噺は相手の速さに乗りながら理解しなければならないのにその速さに乗れない私がいたのを発見しました。混乱しているうちに徐々に景色が理解できるようになりやれやれと心の中で苦笑いしました。
大江山の鬼が切られた片腕を源頼光達の屋敷に奪い返しに来るのですがその屋敷の様子や警護の兵士たちの服装が映画やテレビで見た江戸時代の服装ぐらいしか浮かばなかったので閉口しました。
以前テレビの関ヶ原もので松尾山の小早川秀秋の場面で周囲の景色に違和感を感じました。それは自分が松尾山に登ったからだと思います。ここは天正七年まで山城でした。クレームをつけるつもりはありません。思ったのは自分の身体と頭で理解し続けることは楽しい事だと それをサボって安易にメディアに溺れると今回のようなパニックになるのかな でした。
現在の琵琶法師さんでしょうか?私たち選択肢が在りすぎ迷います。
50分少しの語りなのですが最初言葉が理解できないのです。情景が浮かんできません。愕然としました。
ここ数年テレビを見て過ごしていたので情報は視覚で捉え聴覚で補足して理解していたのが聴覚で捉えても噺をイメージ出来ないのです。わーどうしたの! 一瞬パニック。読書は視覚で文字を捉え理解ししながら自分の速さで進んでいきますが噺は相手の速さに乗りながら理解しなければならないのにその速さに乗れない私がいたのを発見しました。混乱しているうちに徐々に景色が理解できるようになりやれやれと心の中で苦笑いしました。
大江山の鬼が切られた片腕を源頼光達の屋敷に奪い返しに来るのですがその屋敷の様子や警護の兵士たちの服装が映画やテレビで見た江戸時代の服装ぐらいしか浮かばなかったので閉口しました。
以前テレビの関ヶ原もので松尾山の小早川秀秋の場面で周囲の景色に違和感を感じました。それは自分が松尾山に登ったからだと思います。ここは天正七年まで山城でした。クレームをつけるつもりはありません。思ったのは自分の身体と頭で理解し続けることは楽しい事だと それをサボって安易にメディアに溺れると今回のようなパニックになるのかな でした。
現在の琵琶法師さんでしょうか?私たち選択肢が在りすぎ迷います。