産経新聞の前ソウル支局長が帰ってきました。識者の多くは「言論の自由の問題は大切だが記事の内容はコメントに値しないものだ」と言うのが多くの見解でした。それも理解できますが慰安婦問題や吉田発言の誤報であれだけ朝日を叩きながら裏付けも取らず巷ではこういう噂があると安易に記事にして世間を騒がせた事の責任の取り方はどうするのかという事に興味が湧いています。桜の花の潔さが感じられません。
敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花 二世代ぐらい前に散りぎわのいさぎよさを賛美した歌として喧伝したわりには自分達の事になると話は別なんでしょうね。
春の一刻ファインダーを覗きながら桜を楽しみました。
本来なら目で愛でて楽しむものをレンズを通して楽しむのは異常なのかもしれません。心が自分は、自分はと自己に囚われているのは判っているのですが趣味なのでいたしかたないと割り切っています。
今年も桜の思い出を一杯残しておこうと奮闘しています。