窓辺で寝そべる猫

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千葉県野田市の少女の死に心より哀悼の意を表します

2019-02-04 22:16:48 | 日記

千葉県野田市の少女の死に心より哀悼の意を表します。
教育委員会は子供の命を預かっていることを自覚してほしいと思います
教育委員とはその町の名士数人と実質的な事務を行う元学校関係者で構成されている言が多いようですが頭を下げて「検証していく」と言うだけで非難の嵐が過ぎていくのをじっと待つ これが近頃の風潮のようで 凄くやりきれなさを感じます。
無駄死にならないようにお願いしたいと思います。
世の中は実力がなくても肩書や少しの図々しさがあればそれなりにやっていけます。
  もし何かあった時
過去日本には原子力安全委員会とか原子力安全・保安院とかの組織があり委員には年間1500万円近く支払われていたように記憶しています。ところが福島の事故が起こったとき二つの組織はほとんど機能しなかったようです。原発事故が無ければ当然今も存続していたのでしょう。
何かあるまで嘘でもまこと?


昔 蛤御門の戦いの当日 三条小橋の上は避難民でごったがえしていたようです。赤子を抱いた乞食の女がすれ違う荷車を避けようとして会津の巡視隊の一人にぶつかってしまいました。男は怒り女を蹴りましたが女がしがみつき逆に男が倒れました。男は女を斬りました。傷は肩から乳下に さらに斬りかかろうとした時 秋月悌二朗と言う会津公用人が通りかかり静止しました。秋月は女を介抱しましたがすぐに息をひきとりました。死ぬ前 「自分は長州藩の桂小五郎をさがしている。この子は桂の子である。すまぬがあなたの手で桂の行方を探し この子を渡してくれぬか」といいました。秋月は「自分は会津藩士であるから桂殿とは敵味方の間である それに生死も定かでない 桂に渡すというお約束はできぬが とりあえず自分が養育しよう 成人のあかつきには自分が父の桂を探す」といいました。女は旗本高津盛之助の娘千鳥 千鳥は剣術に興味があり隣の斉藤道場に通っており そこの塾頭が桂でした。明治九年 約束を守り秋月は木戸孝允を訪ねました。

今日現在 誰かが責任をとったという話は聞きません。責任をとっても少女は戻りません。同じことが起こらぬようにと願うだけです。雛を眺めながら・・・