その悲惨な状況を体験した方々は75年後の2020_令和2年ではご高齢です。明確に記憶に残っておられる方々なら80才を越えておられるでしょう。その方々からお話を伺い、記録動画として残したいと市政に提案なさいました。ご関係者の方々が了承されるなら、お話の動画記録があっても良いと思います。山梨平和ミュージアムにも置かれたなら誰でも視聴できるでしょう。
7月7日に甲府空襲、7月7日(1937年_昭和12年)の盧溝橋事件が米軍の脳裏にあったとは思いませんが、大月、富士吉田などの県内空襲と共に未来永劫、山梨県史、甲府市史などに残されるものと思います。以上、柳条湖事件の9月18日を控えて、以前の記事に追記しておきます。【政権側と野党側のトップ選挙が間近なのでこの記事を更新した・・・とまでは申しません。】
1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、中華民国の奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽)北方約7.5kmの柳条湖の南満州鉄道線路上で爆発が起き、線路が破壊された。関東軍は、これを張学良ら東北軍による破壊工作と断定し、直ちに中華民国東北地方の占領行動に移った。
満洲事変・・・関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。(Wikipedia 満州事変)
A.対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ 【丹羽 宇一郎 : 元伊藤忠商事社長・元中国大使】(東洋経済オンライン 2017年09月18日)
B.満州事変(柳条湖事件)は侵略ではありません(最終更新日時:2016/8/25 Yahoo!知恵袋)【Yahoo!サイトでは既にリンク切れ 2020.09.07 確認】
『本事件は河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と、関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀であったことが判明している』(Wikipedia)
歴史的事実としては確認され、それを認めていても、そこに至る経緯やその後の展開をどのように解釈して説明するか、その視点から今後のあり方をどのように説くかは人それぞれです。
この事は満洲事変についてだけではなく、今現在の自分自身について考える時でも同じです。
私はこの記事でAとBについて論じるつもりはありません。このブログをたまたま開いてくださった読者にご案内するだけです。
先日速報した沖縄県の少年事件について琉球新報の続報がありました・・・沖縄戦跡の認識が希薄に チビチリガマ荒らし 逮捕の少年ら「肝試し」の動画撮影(2017年9月17日 06:30 )【琉球新報サイトでは既にリンク切れ 2020.09.07 確認】
上記枠内に琉球新報記事に書かれていたコメントを引用しておきました。
歴史教科書の発行元に「忖度」させただけではダメだと考える人々が道徳教育の教科書化にまで乗り出した日本国の衆議院選挙が近いようです。
戦後教育の問題を説く人々がおられたとしても、現政権を選択したのは日本国の教育を受けて来た人々ですから、戦後教育の左傾化でも失敗でも無いはずです。全国の地方議会議員について色々な観点から確認してみれば、一番良く分かります。
そしてスマホに動画をアップして共有しあう事を生き甲斐にするような世情、ユビキタス・ジャパンを標榜して来た官僚政権の狙いが図に当たったのがチビチリガマ損壊事件だったと・・・