16.04.25 中央委員長見解
23日から24日にかけて各紙に、熊本地震への対応のための局内の会議において、籾井会長が、地震に関連した原発報道について、公式発表をベースに伝えるよう指示した、と報じられた。
会議の内容は組合に伝えられるものでもないし、ましてそのニュアンスはわからないが、組合への問い合わせも外部から来ている状況であり、組合の見解を述べておきたい。
公共放送として、報道にあたってベースとするものは、取材してわかった事実であり、判明した事実関係である。
もちろん、震災被害のような状況下で国や地方自治体など行政が果たすべき役割はきわめて大きく、そうした行政の公式発表を「行政はこのように発表しています」という事実として多くの視聴者に伝えるのは放送の役割からして当然のことである。
同時に、私たちは行政とは別にさまざまな取材をおこない、そこで判明した事実や事実関係をもとにして行政に対し、質すべきことがあれば質問し、それに対する回答も伝えて、視聴者に行政がどういう考えをもとに活動しているかも伝えなければならない。もし行政の判断や活動に問題がある場合には批判をするのも当然の役割である。NHKや取材者の名誉や利益のためではなく、民主主義社会において、国を、社会を強靭にしていくために必要なことだ。
こうした役割は、あくまで、私たちが取材した事実や事実関係に基づいておこなわれなければならない。行政が何事かを発表し、あるいは認定した時点で「事実」が確定するのではなく、「事実」はNHK独自の取材活動のなかで見出されるものだ。これは、受信料というお金が国庫や地方自治体の財政から出ているのではなく、NHKが直接収納する仕組みであることとも合致する。受信料制度という仕組みが、行政とは異なる視点で社会を取材し、事実を見出し、伝えることをNHKに求めているわけだ。受信料を通じて取材・制作費を確保するという経営の自律性をとおして、机上の議論や他者のリソースに頼らず、現地での取材をベースとするという自立性に立った放送ができる。
この立場で、現場は取材をし、番組の制作をおこなっている。
以上は、ひと昔まえなら、無用のこととして、書くまでもないことだった。
それを書かなければならない、マスコミのあり方に強い批判的な先入観が広まっているメディアを取り巻く現状があることも認識しているし、強い危惧を覚えてもいる。そして、そうした世の中で、公共放送のあり方に議論を呼ぶかのような報道や報道のもととなるような出来事がここ数年相次いでいる。
NHKの現場は、自分の主義主張を番組に反映させることもないし、結論ありきで取材に臨むわけでもない。人々の不安に訴えればメディアとしては視聴者をつかむことができるかもしれないが、そんなことを決してしないのが、受信料制度に支えられた公共放送である。
今後、労使議論の場で、こうした点についての経営の考え方については広く議論をしていくことになるだろうが、経営には、さまざまな場で、公共性について議論を呼ぶことのないよう、しっかりとした考え方を示すことを望む。
青雲の志をいだいて勉学に励み、職業・組織を選択して仕事につき、如何なる事態からも人を守れる究極の盾の制作を続ける、時を経て今度は如何なるものも破壊し殺戮できる矛の製造にたずさわる。いったん矛の世界に身を置くと、そこから得られる利得の大きさは盾に注力した青雲の志を忘れさせる。
今日は「子ども日」だ。身内の子供たちの為に自分は何ができるか、この正月に会えた顔、顔・・を思い出しながらそんなことを考えている・・・「武士道とは死ぬこととみつけたり」の箴言を忘れたくない。