後醍醐天皇が笠置落城の折り、天皇の側女が月ヶ瀬に逃れ村人に助けられ
紅花染の媒介剤としての”鳥梅”黒梅の作り方を教えた、
これが高価に売れるので村人はこぞって各地に梅を植え梅林が広がり{約10万本}梅の花と
渓谷による”梅渓”となり、日本初の国の名勝の指定を受けました{1922}
ダムの向かいには、奥の谷梅林、龍王梅林、雲景梅林などがあり
此処は、風の道公園展望台からの眺めです
場所が変わり100mの釣り橋、八幡橋です
”大和茶”のお茶畑を良く見かけました
釣り橋の向かいも梅林です