旧山岸家は江戸時代、十郎右衛門を代々襲名し幕府直轄地であった
白山麓十八ヶ村の取次元{大庄屋}を務めた家柄で
十八カ村を実質支配するとともに
巨大な権限と膨大な職務を抱えていました
したがって屋敷は個人の住宅で有るとともに!
司法、警察の業務を司る役所でも有ったようです又
明治以後も山麓一帯の行政や産業経済に大きな影響を与え続けて来ました
旧山岸家住宅 重要文化財に指定されています
旧山岸家住宅、庭に面した裏側に入ってみます
行勧堂庫裏と太鼓堂が良く見えます
庭園
庭園から旧山岸住宅
浜蔵
牛首川に面した急斜面を{はま}と呼ぶ事から
浜蔵と呼ばれ接待道具や嫁入り道具文書を保管してました
鍵に付けられた板札の文字から、慶応2年{1866]頃に
建てられたものと推測されます
味噌蔵
1階内部に打ち付けられた板所から、明治9年{1876}以前に
出来たのではないかと考えられます