遣唐使とは、奈良時代が始まる前{飛鳥時代}から平安時代初頭にかけて
当時の中国{唐が支配}に、日本から貴族や僧侶らを使節として派遣し
中国の高度な文化・技術・又仏教の経典などを持ち帰る事を
目的として行われていたもので、回数としては約250年間に20回程度
実施されたものと考えられています
復元遣唐使船、乗船口から下船口へ一周出来人気が有る様ですが
今日は誰も居なく乗船者は自分だけです
乗船口からこの様な説明のパネルが何か所に張られて、分かりやすいです
雑居部屋、雑魚寝の様な船旅ですね!
錨
”網代帆”と呼ばれ竹の帆で、布ではありません
主舵
上の部屋は遣唐大使の部屋、遣唐使の中で高貴な身分の方に与えられる個室
下の部屋は賄い部屋
有名な派遣者として阿倍仲麻呂・山上憶良・空海など人物が知られますが
随行者は医師、留学生、技術者や船の操縦を行う船員など含まれ
奈良時代には一艘100人を超え、更に数隻の船団を組んで東シナ海を渡る
という壮大なスケールで行われていたと考えられています
歴史はロマンがありますね!この船で100人乗って東シナ海を良く渡ったと思います
今は、復元遣唐使船が展示されているのですか・・。すごい展示物です。
これで五島列島から船出したのですか。成功確率はどのくらいなのか。かなりの覚悟がいる船出です。帰りも同様です。
帆は竹製なのですね。当時は丈夫な布はたぶんなく、布も高価でした。
このような小さな船で海を渡るとは・・・
考えられない事のようですが、実際に渡ったのですよね。
「板子一枚下は地獄」 じゃないですが、
遣唐使の方は、相当な覚悟を持たれた事でしょうね。
しかし、遣唐使船を見ていると、何かロマンを感じますね。
当県も県内移動できるようにかり
各観光地PRしてます
昔の人は凄かったのですね~!
やはりこのように復元されているのを見ると、
当時の人々の苦労や心意気が伝わりますね。
生きて行けるのか、また生きて帰って来れるのか…
鑑真も何度も失敗していますものね。
いいもの見せていただきました。
一瞬、遣唐船のお写真を拝見して、
アレッ? 奈良には海があったのかしら? と云った感じで、
記事など見させて貰いました。
当時、この船は遣唐使が中国との交易に使用されたとの事で、
それを見事に復元したとは、当時の資料なども
ちゃんとした記録が遺されていたのでしょうね!
まさか、この船が平城京跡歴史公園に展示してあるとは、
飛鳥時代から平城京時代など至れり尽くせりの公園になっているように思います。
ご説明いただいたように、網代帆と云う竹の帆で、
行き先を上手くコントロールしていたとは、
当時としては、凄い技術だったのでしょうね!
テレビで観ます北朝鮮の漁船より、はるかに立派な感じに思います。
全国の小中学生などに、この平城京跡歴史公園に、
一度は修学旅行などで、訪れることも良いと思いますが……!
もっとも、男の子は興味を示すと思いますが、
女の子は、どこ吹く風…、になってしまうかも知れませんかね!(笑)
1300年も前に遣唐使船良く作れたと感心します
100人も乗れるのかと驚きですが、今に比べると命がけの航海ですね
遣唐使で中国に勉強に昔は行ったのですが 今は大勢の中国の人が日本に勉強に来る時代ですね!
復元遣唐使船、予期して無かった展示でビックリしました
この様な小さな船で東シナ海に乗り出す風頼りの航海
映画で見た鑑真和上、何度も日本に来るのに失敗を重ね日本に上陸したのですね!
昔は遣唐使船で海を渡る、命がけの航海と思います
ボツボツと梅雨入りですね
観光地も之からはコロナウイルスとの戦いでお客の呼び込みです!
復元遣唐使船、見ても小さく良く100人も載せて航海したと思います
航海も命がけですね!
昔の人は凄かった、その通りと思います