2010年 ‧ ドラマ/歴史映画 ‧ 3時間 20分
『むかしMattoの町があった』(むかしマットのまちがあった、イタリア語:C'era una volta la città dei matti...)とは、イタリア映画である。精神科病院を廃止した、実在の精神科医であるフランコ・バザリアの苦闘と、精神障害者患者たちとの交流を描いた。本国イタリアでは、テレビドラマとして放映された。
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第1回カッコーの巣の上でに続き、この作品も4回視聴しました。
1年生の講義で毎回視聴しています。
講義の中で、このDVDを視聴してもらい感想レポートを書いてもらっています。
レポートに「当時のイタリアの精神病院は酷いと思った。負の歴史があって今の日本の精神医療があると思った」と書いてくれる学生がいますが、今も昔も日本の精神科医療は変わっていません。
相変わらず、医療らしいことはせず、隔離収容と薬漬けしかしない日本医療。
退院先がないため、病院が福祉施設の役割をしている現状です。
この作品は、書籍とセットで販売されています。
大熊一夫氏の「精神病院はいらない」という著書の付録としてついています。
DVDは2巻になっており、前編DVD1がとても良くできていると思います。
入院患者のフルランが外出中に妻と口論になり傷害致死事件を起こしてしまい、マスコミに説明責任を求められるシーンがあります。
新聞記者やマスコミの前でバザーリアが「精神病院に社会の厄介者を放り込むな!」旨の発言をしています。
「本来の精神医学は、社会の厄介者にチャンスを与える役割だ。
しかし、社会全体が厄介者を外に出すなと、同じ人間なのに閉じ込めようとするのは異常だ!」
とイタリア社会の偽善と差別主義に反論します。
私はこのシーンこそが、このDVDの核心だと感じています。
「病気は社会が産み出す概念だ」
言っても過言ではありません。
社会にとって都合が悪い人、家族にとって都合が悪い人に精神病というレッテルを貼って、一生塀の中で生活させる社会が、正常なのだろうか?ということです。
まさに、警察と思想警察がいて、社会から厄介者を排除する仕事を思想警察、つまり精神医学が行っているのではないかということです。
病気を治すのではなく、社会を変える事が大切であると気付いてもらいたい作品だと感じます。
ここからは映画とは関係ありませんが、福祉施設と化している、日本の精神科病院も変革が必要な時期になっていると思います。
精神疾患は医療ではなく、社会が変われば問題解決するものなので、隔離収容型の医療モデルから社会モデルに変わった際、残された精神病院はどのように使われるのか考察したいと思います。
これから精神病院は病院ではなく施設としての役割を担っていくことになるでしょう。
誰を相手にした施設かというと、、、、
認知症高齢者、知的障害者が対象となっていくと予測できます。
これらの人たちで、身体合併症のある人の内科的役割、療養病棟として、病院機能を割り振っていく可能性もあります。
ですから昔の、養護老人ホームや老人病院としての役割を担っていくと思います。
必要なのは、医療や看護ではなく、圧倒的に介護です。
介護医療院として転用されていく未来が待ち構えていると思います。
経営はどのようにしていくのか?については予測できませんが、国有化して身寄りのない人達の受け皿として活用していく可能性もあります。
これからの変化に注目です。
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