今回の記事は、通常の記事と違います。
雑記的な記事ですから、箸休め的な記事となりますので軽い気持ちで読み進めてください。
皆さんは「愛」について考えたことがありますか?
「愛」について考えたとき、殆どの方が、夫婦愛やら子どもへの愛、動物愛などを思い浮かべます。
現在、世の中に存在する愛は偽物で、それらの愛を追い求めても、一旦は手に入れることができても
維持することができません。
なぜならば、愛を維持するためには、昨日と同じことをやっていてはいけないからです。
常に成長していかなければならないのが「愛」なのです。
このように書くと、「愛が成長??」
と思われるかもしれません。
マネジメントに一番大切なのは「愛」です。
実は、世の中のカップルや夫婦が、不倫したり浮気するのは、
その関係性が完全ではないからです。
つまり、現状維持すらできていないため、
男も女も、新鮮な刺激を求めて、
男は世に出回っているポルノ映像から感化されて、より過激な出会いを求めて妻以外の相手を探し
女は、チヤホヤしてくれる相手を探して、マンネリ化した夫婦関係、義務的、形式的な関係にあきてきて
新たな愛を、新たな刺激を求めてさまよっているのではないでしょうか?
常に、私達の時間は刻まれて変化していきます。
当然、肉体は衰えていきます。
知能は、経験や努力により月日とともに変化していきます。
若い頃の男女は、下半身の脳(性欲)で相手を求め合います。
しかし、30代過ぎれば、上半身の脳(脳)で相手を愛するように変化していくのが自然の摂理です。
しかし、最近の世の中の様子を見ていると、男女とも壮年を迎えるのに
やたらと若作りして、子どのもの様な言葉遣いをして、子供のような振る舞いをしていることがカッコイイ
という人もいるように思えます。
児童思春期において、愛を十分に貰っていないと、自立できないという
マーラー女史の分離固体化理論があります。
まぁ、これは半分嘘で半分正しいというあくまで一つの理論なのですが
これを世の中の愛について当てはめてみると、それなりに当てはまっています。
結論からすると、人間同士の不完全な愛では、破綻します。
なぜならば、人間は完全な愛を知りません。
あなたがこの世に生まれてきて、完全な愛を教えてもらえましたか?
学校で良い成績をとること、スポーツで優勝すること、給料の良い仕事に就職すること
綺麗な異性と結婚して、家族を作ること、マイホームを購入すること、孫を抱くこと
こういったライフイベントのために、私達は通たくもない学校に通い、やりたくもない仕事をするために
毎朝早くから準備して出勤し、上司や顧客に怒鳴られ、詰められてすり減らす人生を送っています。
これらが真理なのであれば、これほど苦しく、どれだけがんばっても報われないのが人生だという話になってしまいますね。
実は、私達の周りに
真理=真実の愛
について教えることが出来る人が誰もいませんし、出会ってきていません。
私達は目に見えるものばかり追いかけて、人生を過ごしてきたため、目に見えるもの、つかめるもの、触れるものを第一にしてしまいます。
しかし、実は私達は、目に見えるものをどれだけ沢山持っていても、それらを維持し守り続けることはできません。
企業のマネジメントでも頻繁にいわれるのですが
「成長なくして存続はなし」
と言われます。
成功することが第一であるならば、
そこに愛はありません。
数値を変える、成果をあげることが第一となるため
相手への思いやりがなく、切捨てていくことが第一となってしまいます。
それこそ、今の企業の大好きな言葉
「無駄を取る」「無駄とり」
だけの世界になっていきます。
そうなると、お荷物だらけの社風に対して、社員を切り捨てていくことになります。
現に、私が勤めていた会社はそうでした。
社訓が「従業員、社員の幸せのために」が第一でしたが
みんながみな自己満足のために、利己的に働いている会社でした。
店舗小売業でしたので、そうなるのは仕方ないことですが、マネジメントを
京セラの
「利他の心」とうフィロソフィーでやっていく労使一体のスタイルでしたが
蓋を開ければトップダウンの官僚的、軍隊的組織体質で
現場の問題が上がっていかないのがいちばんの問題でした。
つまり、標準化をすすめることで、マニュアル化だけが先行し、組織が硬直化します。
小売業において一番大切なのは、地域で一番になること。
地域でいちばんになれば、値段、売価を自分達で設定できます。
地域でいちばんになるためにはどうすれば良いか?
地域で一番魅力がある店にすることですね。
魅力であるとは?
①便利である
②売価以上に得する、メリットがある
ということです。
本当に顧客優先であるならば、ある意味無駄だらけになります。
そして、無駄がなければ、顧客はつきませんから、顧客がつくまでは無駄を続ける。
顧客がついたら、無駄を省いていく。
しかし、それは地域性が現れるため標準化はできません。
人間の思考、嗜好、心理なんぞは、標準化はできません。
それを仕組みで働くという考えそもそもが、横暴である=愛がないのです。
私が贔屓にしていたスーパーはそれこそ、サービスは良くなかったですが、なぜか魅力がありいつも足を運んでしまう。
それは、愛があったあらかもしれません。
サービスとはこちらから提供をするのもありますが、
客と関係を深めていく上で決定するものでもあります。
現に、駐車場であったり、電子レンジであったり、イートインコーナーのようなサービスを取り入れている
コンビニは一足二足も先に進んでいます。
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