<ヤバい研修。洗脳・感性訓練・ライフダイナミックス・ライフスペース・日本be・Tグループ>
最近のビジネスパーソンのキーワードは「自己啓発」そして「自己成長」ではないかと思います。
私がサラリーマン時代に中間管理職をやっていたころに言われていたのは、
「リーダーが成長していない組織は部下も成長しない」
「仕事を楽に進めたいなら、部下を成長させろ。自分の分身にしろ、そのためには、自分が成長してくしかない。」
「自己成長とは何か?仕事を通して、強い責任感を持ち、自己犠牲まで高められるか?利他の心を持ち続けることができるかだ」
などなどでした。
毎日毎日、上司からは罵声を浴びせられ、毎週毎週、数字を詰められる。
原稿のない経営会議では質問攻めで、滅多打ち。
会社が求める自己成長とは一体何なのでしょうか?
企業の目的は、社会貢献ではありません。
企業の目的は「利益を上げること」です。
慈善事業ではありません、赤字になっても出資者が補填してくれるわけではありませんから。
それこそ、ホワイト企業を目指すなら、企業の目的は「同一労働同一賃金」くらい掲げている企業だったら本物かもしれませんね。
自己啓発について話を戻しますが、自己啓発はアメリカの「ホリディマジック - Wikipedia」という化粧品会社の連鎖販売から始まりました。
アメリカの連鎖販売、ホリディマジックについて見ていきましょう。
・・・・・・・・・(ホリディマジック[1](英語: Holiday Magic)
1964年から1970年代にかけて化粧品を扱っていた、アメリカ合衆国(米国)の連鎖販売取引企業である。
化粧品は製造原価率が低い商品であることに着目し、だれもが販売員になれる仕組みを導入[1]。事業を拡大し27か国に進出した[1]。
4つの階層から成る独特の販売組織をもつ[3]。「ホリディガール」とよばれる末端の販売員は、3900円を支払うと、化粧品を30%引で購入する権利を得られた[1]。その上位の「オーガナイザー」は、32550円を会社に納めることで、「ホリディガール」を束ね手数料を得られた[1]。「マスター・ディストリビューター」は、825000円支払えば65%引で仕入れができた[1]。最上位の「ジェネラル・ディストリビューター」になるためには、750000円を納め、代わりの「マスター・ディストリビューター」を組織することが必要であった[3]。
その研修は、ジャーナリズムによると次のようなものであった。まず「あらゆる権利と請求権の包括法放棄同意書」にサインさせられる。そしてホテルの部屋で、入り口に見張りが立って監禁状態になり、参加者は自分の過去や問題点を告白するよう強要された。問いにいい加減に答えたと判断されると、唾を吐きかけられ、裸にされ、殴られたり踏みつけられたりと暴力を振るわれることもあった。コンプレックスを含め洗いざらい告白したと認められると、手のひらを返すように扱いが変わり、全員から祝福されたという。[4]このような激しい研修スタイルは自己啓発セミナーに一部が引き継がれている[4]。
1973年、事業がネズミ講にあたるとして、当局から創業者ウィリアム・ペン・パトリック(英語版)に対し販売員から集めた資格料の返済が命じられ、ほどなく彼は航空機事故で死亡[1]。翌1974年、米国の会社が解散した。
日本では1973年2月末日から営業を開始した[2]が、マルチ商法であるとしてホリディマジック全国被害者対策委員会が発足、1974年10月出資金の返金を求められた[1]。国会でも問題になり、社長が参考人として招致された[2][3]。1977年、日本法人が倒産した
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
化粧品メーカーはあの手この手でマルチ商法と自己啓発を仕掛けているのですね。
フヨウサキナと天理教1)化粧品ビジネス奥村久雄と宗教
を参考にしてください。
しかしながら、弱味を吐き出させ、罵倒して、言うことを聞くようになったら抱擁して仲間に入れる。。。
不安や恐怖で支配する、まさに暴力団や借金取りの手口と一緒ですね。
マルチ商法と自己啓発のつながりとは
「無価値の商品を価値があると思いこませ、強烈な販売員を作り出すための洗脳工作」
です。
「100円の価値しかないものを、1000円で売ってこさせる、兵隊を養成する特攻隊を作る」
と言い換えしましょう。
ではどのように自己啓発がされていくのか?東洋経済オンラインの記事から抜粋しましたので見ていきましょう。
・・・・・・(デキない人を狙う自己啓発セミナーの正体 それは米国の学者が編み出した「発明」だった 2016年04月05日)
自己啓発ビジネスを批判も肯定もしないスタンスを私はとる。あくまでも淡々と、事実と考察を述べていく。読者は騙されない防御力をもつかもしれないし、もしかすると新たな自己啓発ビジネスを開始するきっかけになるかもしれない。自己啓発ビジネスの常套句にしたがえば、それは「あなたしだい」だろう。
自己啓発ビジネスの源流
自己啓発ビジネスの歴史をひもとくと、ひとりの学者にいきつく。アメリカの心理学者クルト・レヴィン。彼が結果として発明した「Tグループ」が、形を変えて、現代の自己啓発ビジネスにつながっている。
<アメリカの心理学者クルト・レヴィン>
レヴィンは、ひとが集団のなかでどのように行動するか、そして集団全体の行動を研究した。集団がもつ力を明確に理解できれば、個人と集団を望ましい方向に導くことができる。レヴィンはいまでも通じる「グループ・ダイナミクス」という考え方を1939年に発表し、集団の心理的まとまりを記述した。
レヴィンはドイツからアメリカに移り市民権を獲得した。「私たちアメリカ人」と自称し、彼は完全なアメリカ人になりきろうとし、「アメリカの風俗や習慣を完全に自分のものにして、たくさんの友だちをびっくりさせた」(「クルト・レヴィン その生涯と業績」A・J・マロー著)。自己啓発の祖が、ある意味、環境的に自分を変えることを求められ、みずから率先してそれをやってのけたことはきわめて興味深い。
そして決定的だったのは1946年だ。コネティカット州の要人がレヴィンに電話をかけた。当時の課題は、雇用上の人種差別をなくすことにあった。そこで、教育関係者を集めトレーニングを行い、そこでの体験が現場でどのように活かされるかを検証する必要があった。レヴィンらは、その場で参加者たちを観察し、発達過程を調査した。
そこで偶然が作用した。トレーニングの終了後になにもすることがなかった参加者が、そのレヴィンらの研究者報告会にも顔を出したのだ。自分たちの行動がどのように研究され、どのように報告されているかを知った参加者は、新鮮な、しかし奇妙な思いにとらわれた。
たとえば参加者がなにか行動したり発言したりする。その内容について、研究者や他の参加者が違った解釈をしたり、違う思いを受け止めたりしていたのだ。話す側と聞き手に認識のギャップがあるのは当然ではあるものの、参加者には新鮮だった。そして、自分の行動が他者からどのように思われているのか理解した参加者は、自分の行動に敏感になっていった。
研究者やワークショップのファシリテーターが介入するよりも、参加者同士の議論によって、深い理解に至り、ときに深く傷つき自分を見つめなおし、さらに思考法の変換までが実現した。トレーニング・グループはTグループと呼ばれ、ただただ受講者が受講者と話すことで自己変革を迫る形がここに始まった。
これがのちに日本にも上陸し、「感受性訓練」と呼ばれるようになるリーダー育成研修の嚆矢となったのだ。
Tグループとその広がり
Tグループとして1950年代以降、アメリカで見られたのは次のようなパターンである。人数はだいたい20名弱、楕円の机にすわり、ずっと話し合いをする。期間は2~3週間。グループメンバーは苗字ではなく名前で呼びかける。
話し合いといっても議題は用意されていない。何を話してよいかわからないので、参加者は不安になる。高い参加料金を払って、もしかすると何も学ぶものがないのではないか、と考えるとさらに不安になる。実際に、そう発言する参加者が出てくる。
司会者を選出しようとすると、そんな必要はない、といわれる。参加者同士は、もともとつながりがない。発言すると、とんちんかんだ、と言われる場合もあり、さらには、「あなたの話し方が嫌だ」と断言されることもある。最初はいらいらしたり怒ったりするものの、Tグループの最終期日に至る際には、いやでも自分を見つめなおし反省せざるをえない。
Tグループは善意的な研究によって開発されたものだ。しかし、後年の自己啓発セミナーが洗練させたように、参加者をまず不安に陥れ、現状を否定し、そして真の自分を見せる、といったパターンの原型が見られる。
教育者であった九州大学(当時)・関計夫さんは、1959年に渡米し、Tグループに参加した経験を素直に、こう記している。
<わたしはTグループを感情の訓練であると思うようになった。事実この会合で言われたことに腹が立って、二日間も眠れなかったという人がある。あるいはもう一切、口をきくまいと決心した人もある。そうすると必ず、「今日はどうして黙っているのか」という非難がくる。引っ込み思案になったり、腹を立てたり、片意地になったり、悲しくなったりする。
許容的雰囲気とは正反対に、警察や裁判所にいるような緊張した気分が支配する。つるし上げがしばしばなされる。(中略)自我を脱却し、自分に対してあたかも他人に接した時のように、客観的な態度をとることが必要である>(「教育技術」1959年2月号)
ここに自己啓発セミナーがのちにすくいあげた肝要点があるように私には感じられる。
日本人は、すぐさまホンネで言い合えるか。そう問えば、おそらく難しいだろう。まったくそれまで知らない者同士だから、Tグループのあいだだけの関係だ、といっても難しいかもしれない。すくなくとも昔の日本では、やや導入に慎重だった。前述した引用の雑誌は1959年だが、そこから日本へはゆるやかに伝わっていった。
とはいえ、1950年からの朝鮮戦争で好景気にわく日本では、短期間で社員を養成する必要性に駆られたし、管理職においては部下や協力企業をまとめる即席リーダーの需要があった。
Tグループの日本への伝播
そこで紆余曲折ありつつも、徐々に脚光をあびたのがTグループだった。本格的に導入されたのは、1960年代に入ってから。産業界からの養成に応え、社員の性格を瞬時に変える教育訓練と意味が変化していった。モーレツ社員を育成しようとする教育プログラムも誕生している。
また、リーダー育成からすると、このTグループは都合の良い側面もあった。Tグループでは回を重ねるたびに、真剣かつ熱心な議論が行われた。「いま、ここで」メンバーが真剣なとき、どうでもいい、といった態度は許されない。他人の意見を傾聴する態度も生まれ、他人の感情にも敏感になる。
言うことが論理的に正しくても、メンバーから納得されない、といった経験もする。信頼関係を築くことでやっと話を聞いてもらえ、動いてもらえる、というのは、まさにリーダーに必要な素質だ。
象徴的だったのは、1962年の雑誌「産業訓練」(日本産業訓練協会)に大幅なページを割いて、Tグループ、グループ・ダイナミクス、感受性訓練が紹介されたことだ。その4年前から、日本キリスト教界は感受性訓練を開始しており、関係者が対談の形でその実情について語っている。
この対談では基本的にTグループ手法を礼賛している。面白いのは、司会者がやや強引な形でTグループの産業訓練への応用を語らせていることだ(趣旨ではないため匿名とするが、司会者は有名企業の人事部参与)。司会者の質問を受け、対談者のひとりは、<特に製造部門や、セールス部門ですと、それによる成績いかんがはっきりするわけですよね。だから、そういうような点からいえば、産業界にもこれから導入されて、こなされれば、教会よりも効果的ななにかがあるんじゃなかろうかという気がするのです>(雑誌「産業訓練」1962年12月号)。ちなみに、このとき、Tグループの研修が業務成績にはっきりと影響を与えていると定量的に示したデータはない。
ただ、やはり問題も多く、昭和43(1968)年5月にはTグループ訓練中に、参加者が自殺したことがある。ショックを受け、研修を続けられなかった。Tグループは、そもそもレヴィンの経験した偶然から生じたものだが、まだ商業主義的な意味はなかった。私が紹介した事例のなかにも、「期間は2~3週間」と記述した。人間の変化自体、あらかじめ定められた期間のなかでぴったり生じるはずはない。
しかしそれがマニュアル化され、パッケージ化され、そして教育産業にセミナーという形で拡販されていく運命を辿った。今回から数回にわたって、自己啓発ビジネスの誕生と、日本への展開を紹介していく。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
私には、
「長い物には巻かれろ」「多数決が絶対だよ」
と言っているようにしか思えません。
グループダイナミクスとは、「多数決」で決議していく集団心理を使って行動変容させます。
「自分の弱点、弱みをさらけ出す+他人から欠点やら短所を指摘され続ける」⇒「自分の考え方がおかしい」と人間は錯覚してしまう
⇒一転して、「自分の長所を誉め続けてくれる」⇒自己肯定感が高まり、相手の言うことを信用するようになる
という理屈です。
つあり「上げておろして」の逆バージョンですね。
実はこれは暴力団やチンピラも「プラスギャップ効果」として使います。
「強面な恰好で近づいてくる⇒
話してみると礼儀正しくとてもフレンドリーでよい人⇒
信用できる」
という心理作戦です。
人間の感情を揺さぶるには「恐怖」から入るとよいと思います。
「恐怖という圧力をかけておいて、「フレンドリーさ」で心をオープンにさせる」
これは悪魔のなせる業でしょう。為政者はこれを無意識か意識してかやってきました。
私にはこの「ST」感受性訓練は単なる集団洗脳の一手法だとしか思えません。
ここでエスリンというものが出てきますので、感受性訓練とエスリンとの関係について見ていきましょう。
その一方で、洗脳の軍事研究とは別に、さまざまな「心理操作」のテクニックがヨーロッパからアメリカへと伝えられ、大学などの教育機関でもひろく研究されはじめていた。
ベルリン大学でゲシュタルト心理学を講じていたクルト・レヴィンは、ナチスの台頭を逃れてアメリカに渡り、1940年代に「グループ・ダイナミクス」と呼ばれる集団でのリーダーシップ訓練を編み出した。この手法は対人関係を向上させる「感受性訓練」(ST=センシティビティ・トレーニング)として、企業向けの管理職研修などに使われるようになった。
オーストリアの精神科医ヤコブ・レヴィ・モレノは、心理劇によってこころの抑制を取り払い、感情を自発的に表現することでカタルシス(浄化)を得る集団療法を1920年代に生み出した。戦時下にニューヨークに移ったモレノは、この療法を「エンカウンター」と名づけ、心理療法家カール・ロジャーズらとともに普及につとめた。エンカウンターは「出会い」のことで、参加者は心理劇や集団討論を通じて日頃抑えつけていた感情を爆発させ、新しい自分と出会うのだ。
このようにして1960年代には、軍による洗脳研究とSTやエンカウンターなどの集団心理療法が合体し、全米各地の教育機関や官庁、企業、病院、軍隊などで人間性の向上や意識改革を目指すさまざまな試みが行なわれるようになった。
ゲシュタルト療法のパールズがアメリカを永住の地に定め、エスリンにやってきたのは70歳のときだったが、それに対してウィリアム・シュッツは40代の新進気鋭の心理療法家としてこの地に招かれた。
シュッツはUCLAで心理学の博士号を取得した後、ハーヴァードでエンカウンターを体験し、母校で教鞭をとるべくカリフォルニアに戻ってきた。彼は集団心理療法のさまざまな技法を統合したオープン・エンカウンターを提唱し、67年に『よろこび―人間のアウェアネスを拡大する』という本を出したばかりだった。シュッツは、ヒューマン・ポテンシャル運動の中心であるエスリンこそが、新しい心理療法を試す格好の場だと考えた。
シュッツの主張は、秘教的なパールズのゲシュタルト療法に比べてはるかにわかりやすかった。テレビのトークシショーに出演して、彼はいった。
「さあ、よろこび(Joy)を手に入れましょう。いい気持ちになる(feeling good)ことは、自分の可能性を充たすことです。自分が愛されているとわかれば、その感情を自由に表現する自信が湧いてきます」
「よろこび」はエスリンの大ヒット商品となり、シュッツのセミナーには〝Joy〟を得ようと参加者が列をなした。
その当時行なわれた伝説的なワークショップに、人種間エンカウンターがある。参加者は白人と有色人種(黒人と若干の東洋人)の男女35人で、カウンセラーや教師などリベラルな中流層が集まった。
集団討論が開始されると、白人の参加者たちは、パーティには黒人のゲストを招くとか、会社では黒人を採用して昇進させているとくちぐちに述べ、自分が人種差別とは無縁の進歩的な自由主義者であることを認めさせようと躍起になった。だが中流黒人男性のオベッカゲーム、白人女性をナンパするゲームなど人種間ゲームを行なうやいなや、たちまちのうちに白人参加者の偽善と黒人たちの怒りがさらけ出された。
トレーナーは、人種間の緊張に風穴を開けるために、土曜日の朝から日曜日の昼まで、一睡もせずに30時間ぶっとうしでつづくマラソングループを行なうことにした。だが徹夜のエンカウンターセッションは絶望的なもので、黒人も白人もつぎからつぎへと湧いてくる怒りを抑えることができなかった。この集まりは、エスリンで行なわれたなかで最悪のものになりそうだった。
そして太陽が昇る頃、“奇跡”は起きた。
精神的に限界まで追いつめられた一人の白人女性が、「私はもう黒人としかデートしない」といった。「白人男性には愛想をつかした」からだという。
参加者の誰もが、彼女の言い訳が白人自由主義者のうすっぺらなごまかしだと知っていた。それを責められた女性は、その場に座り込んで泣き出した。
そのとき一人の黒人女性が、部屋を横切っていって彼女を抱きしめた。そのままふたりは、いっしょに泣いた。
しばらくのあいだ、まったくの沈黙が支配した。参加者たちは、黒人が白人のために泣くという信じられない光景を見つめていた。それからお互いに顔を見合わせ、相手の目にも涙が溢れているのを知った。ごく自然に誰もが抱き合い、やがて部屋は泣き声で包まれた。最悪のセッションは、これまででもっとも感動的な場面を生み出した。
それはエスリンでしか得られない、信じられないような「超越体験」だった。人種間エンカウンターは定期的な催しになり、しばらくのあいだ大変な成功を収めた。
1960年代末から70年代はじめにかけて、エスリンの名声は頂点に達した。アメリカばかりでなく世界各地に、人間性開発の「成長センター」が100カ所以上もつくられた。ヒューマン・ポテンシャル運動のショーウインドウとして、ヨーガや瞑想などのスピリチュアルから、ゲシュタルト療法、エンカウンターなどニューエイジ系の心理療法まで、人間の潜在的な可能性を拡大するありとあらゆる試みがエスリンで行なわれ、その成果が世界じゅうに発信された。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
「そして太陽が昇る頃、“奇跡”は起きた。
精神的に限界まで追いつめられた一人の白人女性が、「私はもう黒人としかデートしない」といった。「白人男性には愛想をつかした」からだという。」
これは明らかにやらせ、工作員がいたでしょうね。
奇跡なんぞ起きません。奇跡に見せかけただけだと思います。
ここで出てくるエスリンとはエスリン研究所のことです。
そこで行われたことは、結局、LSDなどの麻薬を使った自己啓発でした。
・・・・・・・(先鋭的な人間解放運動)
新たな自分を発見するためか、エスリン研究所では、薬物による神秘主義の講義なども実施された。吸引を公式に認めたわけではなかったものの、使用しているひとたちはいた。関係者が政府関係者から呼び出され、麻薬摘発があると忠告されるたびに、マーフィーとプライスはスタッフとともにLSDや薬物を海に投げ捨てなければならないほどだった(『エスリンとアメリカの覚醒』ウォルター・トルーエット アンダーソン)。
また、エスリン研究所では、参加者がときに裸になり、自己を解放した。マッサージを通じて、これまで無意識だった体からのメッセージに敏感となり、そしてヨガの終了時のような光悦感におそわれた。参加者は温泉に裸のままむかい(そこは日本ではないため、もちろん“大胆”な行為だった)、海風にあたって自然と一体化したあらたな自分を発見した。なお、いまでも残るエスリンマッサージとは、ここを発祥とする。
時代とマッチしたのか、時代が彼らを生み出したのか。エスリン研究所での実験は、退廃的というよりも、先鋭的な人間解放運動として輝き始めた。映画『俺たちに明日はない』がひとびとに衝撃を与えたのは、まさに旧来価値観が揺らいだ状況を描いていたからだった。エスリン研究所が神秘的で開放的なセミナーを開いていたとき、ベトナム戦争は泥沼化していた。それまでの保守宗教は現実を前になすすべもなく、あらたな”何か”が求められていた。
少なからぬ人たちにとって、その”何か”がエスリン研究所にあると思った。エスリン研究所に多くの人びとが押し寄せ、おのれの可能性を追求しようとした。あるものは予定通り帰り、そしてあるものはそこに引き寄せられ続けていった。
エスリン研究所には、のちから見ると、この世界のスターたちが多数、関わることになる。アブラハム・マズローのほか、ゲシュタルト療法で有名なカール・ロジャーズ、ウィリアム・シュッツ、ヘンリー・ミラー、アラン・ワッツ……などである。
マーフィーとプライスはエスリン研究所を拡大していった。部屋を拡大し、セミナーの量を増やし、そしてスタッフを増やし、敷地も広げていった。それはたしかに、米国へ、そして世界へ、<伝統や制度に縛られずに、自由に生きていくことができる。そして、自分が主体である>という考えが瀰漫することにも似ていた。
・・・・・・・・・・(転載ここまで)
自己開発は「人間解放運動」にまで発展していきます。
最期は、裸でヨガマッサージやLSDなどのドラッグ濫用などです。
人間には理性があるのに、それを欲望の赴くままに開放していくのは、獣になれといっているようなものです。
「100円の化粧品を1000円で売ってこい」
声をかけても誰も買ってくれない、話さえ聞いてくれない
広告代を600円かけたら、それこそ粗利が30%になってしまう。
それでは企業は困ります。
「だったらユーザーが営業してくれたら経費は相当少なくて済む」⇒「そのためには、一般人を洗脳して、営業できる兵士に仕立て上げることにコストをかけよう!」⇒「自己啓発という洗脳テクニックを使って「お前は変われる!無理だと思うセールスに挑戦してそれを乗り越えることで、新しい自分に出会えることこそ喜びだ!」と刷り込む。
マルチ商法と自己啓発をミックスさせよう!
これこそが、自己啓発の実態です。
100円のものを1000円で売りつけられそうになって断る
これは正常です。
100円のものを1000円で売りつけてくる
これは異常なのです。
「人は殺してはいけない」
と言っているくせに
戦争では
「人を沢山殺したやつが優秀だ」
と詭弁を言っています。
悪魔が使う洗脳ツールこそが、この感受性訓練であり、自己啓発であるのです。
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