「精神科看護が一番分からない」
看護学生からこの言葉をよく発せられます。
それはなぜか?
教えている側も良く分かっていないから。
幻聴や幻視、妄想によって、苦しめられている人をどうやって看護するのか?
そもそも精神症状(異常症状)は原因が不明であるため、完治はできない。
治療、退院のゴールはどこにあるのか?
完治がない疾患、原因不明の難病に、看護としての共同問題が成立するのか?
と現代の学問としての看護理論では限界があるのです。
精神科看護のペーパー事例として
「スパイが自分を狙っている」
「ヤクザが自分を殺しに来る」
「”死ね””死ね”お前はいらない子だ、とささやいてくる」
という、幻聴、妄想ミックス型が出題されます。
「幻聴、妄想は本人にとってリアルな体験だから、その辛い気持ちに寄り添うことから看護が始まる」
など書かれています。
無神論の日本医学ではこれが限界です。
問題解決できないのです。
不治の病、難病である精神病を持ち、一生治療し続ける、精神病院での生活の中でその人らしく生きられるようにQOLを維持、向上させる
という「きわめて低次元な」看護目標が平然と立てられるのです。
これは不正解です。
幻聴や妄想の原因は、「霊的な影響」だからです。
「霊の存在を知らない」人には治療・看護できません。
しかしながら、「霊の存在を知らない精神科医」に頼らずとも、幻聴や妄想に流されて、一日部屋から一歩も出ず
生活することが、人間らしい生活なのでしょうか?
差別助長をする精神科医代表、日精協山崎学
その状況を許してしまっている、「不治の病だから仕方ない」という考えそのものが間違っているという視点が全くありません。
隔離収容を助長するため、日夜、凶悪犯罪が起こるたびに、マスコミが精神科医を使って、このようなコメントをさせます。
「キチガイだから、世間に出してはいけない。万が一、自暴自棄になって包丁を持って暴れられたら怖い」
精神科医たちが、「精神病は危険だ。精神科医という専門家の我々に任せて欲しい」というイメージを植え込み、今の精神科医療、精神保健福祉制度が維持されています。
「合格祈願」で神社にお参りに行き、絵馬や御守りを買う霊感商法と同じです。
何か不幸があったら「先祖供養を疎かにしている」と脅すお寺の霊感商法と同じです。
仮に幻聴や妄想があったとしても、「人生に希望があれば」「人生に目標があれば」人間は強く生きていけるのです。
揺るぎない希望や目標をこの世の学問では教えることができません。
RAPTブログ以外で、「人生の目的、人間とは?」という難題に対して明確な答えを出すことができないのです。
『RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。』
精神科病院では、毎年のように職員から患者への暴力が後を絶ちません。
「答えがない世界で遣り甲斐もなく看護師の仕事をしているから」
精神病院で職員が患者を虐待するのだと思います。
精神疾患で苦しむ患者を看護しているのでなく、「人生の問題を解決できない人たちを
精神病患者として隔離収容し、何も解決せぬまま、税金・医療費で死ぬまで面倒を見る施設」だからです。
心のケア、心の問題の解決は、「霊の問題」が解決しないと薬物療法や作業療法、カウンセリングなどでは太刀打ちできません。
「人生の問題」なのです。
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