今日も日々是好日

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ブログによって新たな自分を発見!?

考える・想像する(2)

2014-08-22 09:30:17 | 日記(~2023年)
昨日の続きです。

姑さんは真面目で意地悪なところもありません。
決して根性も悪くはありません。
ご先祖さまや仏様に対する思いは普通の人より強いです。
信仰に対する思いも強いです。

でも、度々、姑さんの発言を不快に感じたり、傷ついたことがあります。
私だけではありません。
事実、姑さんの言動で絶縁状態になっている義姉さんがいます。

悪い人ではないのに…
なぜ、人の気持ちが分からないの?
なぜ、気が利かないのか?
なぜ、空気が読めないのか?

と、ずっ~と疑問に思っていました。

その疑問がようやく解けました。
様々な嫌な事の根源は、考えること・想像力が乏しいことのようです。

考えているようで実はほんの表面的なことしか見ていないし考えていない。
本人はすごく考えていると思っているので、自分の考えが浅いかもしれない等、疑問にも思わない。

自分はこうであると思い込んでいるので、そこからの発展がない。


姑さんが信じる信仰は、導いてくれる人に意見を求め、その通りに生きる事が救われることと思い込んでいて疑問には思っていない様子。

深く考えないから、いつも同じことの繰り返し

例えば、数学の問題で、解き方を教わるのではなく答えを教えてもらっているのと同じ
いつも他人に答えを教えてもらっているので、ちょっとした応用で解ける問題でも解けない
答えを教えてもらうのは手っ取り早いのかもしれません
でも、自分で問題を解くしんどさを味わったり、自分で問題を解いた時の喜びのようなものが、人として成長するためには必要なのではないでしょうか…

本当の信仰は、問題の答えではなく解き方、つまり困難な問題にぶつかってもそれを自分で乗り越える方法と勇気を導いてくれるものではないかと思うのです。


もう姑さんの意識を変えることは難しいし、すべての根源が「考えること・想像力の乏しさ・思い込みの激しさ」という事が分かったので、言動にイライラすることは少なくなりました。


お孫さんに会えない姑さんが気の毒ですが、姑さん自身が意識改革をしないと難しいだろうな…