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似ている?(2)

2014-08-23 09:18:45 | 感想
お腹に手を当てるとソフトボールの半球くらいの塊が触れる。
身体を動かすとズーンとした鈍痛も時々ある。

子宮筋腫か、チョコレート嚢胞が大きくなっているのだろうか…


ところで、女優の中山美穂さんが離婚の真相について明かしています。

(引用開始)
離婚に至った理由として「長年患っていた子宮筋腫の状態が限界に達していた」時期に「好きな人に出会いました」とし、日本に短期間滞在した際に「彼はそこに合わせて適切な治療方法を探し、病院に頼み込んで入院手術の手配、付き添いまでしてくれました」と献身的に側にいてくれたといい、それから「また元の生活に戻り同じことを繰り返すことは考えられなくなってしまった」
(引用終了)

私もあの時、手を差し伸べてくれる人がいたなら、中山美穂さんと同じように離婚していたかもしれない。

間違った信仰の仕方によって、自分で考え判断することができなくなっていました。
でも、肉体的苦痛が強くなるにつれ、義実家の信仰のあり方に疑問を持ちはじめました。
主人や姑さんに辛さを訴えても、「もう少し我慢しなさい」としか言われない。

病気のことをもっと知ろうとするわけでもなく、医師や病院を探そうとするわけでもなく、神仏に祈る(お経を唱える)のみ
私の為に1日1時間近く必死に祈ってくれることは大変有難いことなのですが、筋腫が消えるわけでもなく、むしろ数年でとんでもない大きさになっているのに、現実より祈ることが最優先でした。
「一心に祈れば救ってくださる」の一点張り

目の前に今にも死にそうな大きな怪我をした人が横たわっているのに、救急車を呼ぶことも、他の誰かに助けを求めることも、手当もせず、側で必死に祈られても…という状況と同じ
今の自分に何ができるか、どう行動すればいいのか考えない点、そして自分で実際に奔走しない点で、じっと座って祈ることは簡単なことのように思えます。
これは本当に相手のことを思っていることになるのでしょうか?


限界に近い時に、状況が変わり手術することができましたが、あのままあと半年我慢しなければいけない状態だったら離婚届を主人に渡していたと思います。
既に、限界に近い時に離婚届を区役所でもらい、書けるところは記入していました。


主人はそれまでの信仰の仕方について間違っていたかもしれないと今では冷静になれていますが、その当時はマインドコントロールのような状態だったのでしょう…
私もマインドコントロールされていたかもしれませんが、肉体的苦痛があった分気づくのが早かったのだと思います。
しかし、姑さんは今も自分の信仰(の仕方)について間違っていないと思っているような感じ…
だって姑さん自身には実害がないのだから仕方ないのかも!?
それにしても普通に考えればおかしいのに、やはりここでも考えること想像力の乏しさが浮き彫りになる。


中山美穂さんも夫のサポートがあれば、ここまで追い詰められなかったかもしれない。
だって、発言の中に出てくる彼がしたことは本来なら夫がすることのはず

親権を放棄して離婚するという決断までかなりの葛藤と覚悟がいったはず
辛い事もあろうかと思いますが、乗り越えていってほしいと思います。



前のブログはこちら→ 「似ている?」(2014年7月12日)