室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

オーガスト・ラッシュ

2008-07-26 13:26:35 | Weblog
午前の用事のあと、夕方の用事までの時間、映画を見た。

何か手頃な良い映画はないかな・・?と、道産酒の会の世話人のお一人、慶田さんのホームページ http://keida.cocolog-nifty.com/ には、よく映画の情報が載っているので、予め調べておいた。慶田さんは、日本アカデミーの投票権をお持ちなくらいの映画通で、先日も「貴女が見て下さっていると聞いて、最近、映画の話題の中にも音楽を意識して書いてます」とおっしゃってらしたので、益々よくチェックしている。そして”奇跡のシンフォニー”を見た。


孤児院で育った11歳のエヴァンは、愛と音楽に飢えている。身の回りの自然や生活の中に音楽を聴き取り、その音楽の中に会ったことのない親の存在と愛を感じている。孤児院に預けられたのは「何か事情があったんだ」と信じて、孤児院を脱走し、ヒッチハイクでニューヨークに着き、街の音を身体いっぱいに浴びて、音楽を感じる。ストリート・ミュージシャンの子供と出会い、初めての楽器、ギターに触ることができる。触るや否や、音楽を表現できる喜びを得て、何とも幸せそうな顔をする。

エヴァンの母親は将来を嘱望されたチェリストで、ある夜、演奏会が成功した後に夜風に当たりに屋上へ出て、同じくライブ後の夜風に当たっていたロックシンガーと出会い、恋に落ちて身ごもってしまう。彼女の父親に引き離され、出産直前の交通事故で「子供は助からなかった」と言われ、密かに孤児院へやられていたのだった。

エヴァンはストリート・ミュージシャンの子供達の元締めに才能を買われて”オーガスト・ラッシュ”という芸名を付けられる。それがこの映画の原題になっている。元締めが警察の手入れに遭って、逃げたエヴァンはたまたま教会のゴスペルグループと出会い、それがきっかけでジュリアード音楽院に入学できる。ジュリアードでも短期間に才能を認められて、作品を発表する機会が与えられて、オーケストラを指揮することになる。

一方、エヴァンの母親は彼女の父親の死の床で、実は息子が生まれていた事を知り、子供を捜しつつ演奏活動にカンバックする事になる。それが息子と同じ演奏会で、というのはデキ過ぎだけれど。父親のロックシンガーも失恋の痛手から音楽活動を止めてしまったが、偶然活動再開してニューヨークに来て、ストリートでプレイしていたエヴァンを息子とは知らずに出会い、セッションしたりもする。

エヴァンが「ジュリアードのオケで演奏する」と話すのを信じずに聞き流してその場は別れるが、街の宣伝旗を見て、野外コンサートに吸い寄せられて行く。そこで探していた恋人が、自分の演奏を終えて、探していた息子に違いないと確信しながら、指揮をしている少年を見つめている場面に出会い、すべてはハッピーエンド・・となる。


すみません。慶田さんと違って、ストーリーを全部書いてしまいました。
でもね、”音楽の存在”をテーマにしたという点で、素晴らしい映画なんです。忘れられない強烈なメロディが出て来るわけではないのだけれど、音楽は耳をすませば、というか、その気になれば、どこにでも存在しているもので、「その気になることが音楽そのものなんだ」という事を思い出させてくれました。仕事をこなす生活が続くと、こんな分かり切った事を忘れちゃったりするんですね。ダメじゃん、11歳の子供に思い出させてもらうようじゃ・・。

”宮島”行き

2008-07-21 15:12:12 | Weblog
安芸の宮島、厳島神社。
6時間毎に潮が引いて大鳥居の下を歩く事が出来る特別な立地条件の景勝地。こんな不思議な土地に神様の力を感じるのはごもっともだ。ずいぶん前に一度来ているが、その時はタイミング合わず下りて歩く事が出来なかった。今回はお昼が干潮で、桟橋から着いた頃にはもう充分歩けた。

1168年、平清盛が厳島神社の壮麗な社殿を建造したのだが、そもそもは推古天皇の時代に始まっていた。1400年も前から、いや、それよりずっと前から瀬戸内海は変わらず潮の満ち干を繰り返しているのだ。歴史の実在をしみじみ感じる。大鳥居の真下に行くと、支えの柱は太さが均一なのに比べて、鳥居の柱そのものは、木の幹が無骨に歪んでごつごつしている。

観光ツアーのガイドさんの側を通りかかった時に小耳にはさんだ話では、鳥居は地面に埋め込まれてはおらず、ただ置かれているのだそうだ。この一帯では一人一日1.5升までと書いた看板があったが、鳥居の真下の貝は採ってはいけないそうだ。小さな巻き貝のヤドカリが同じような大きさの蟹とちょっかいの出し合いをし、生存競争のバトルをしていた。こんな事が何千年も続けられてきたのだろうな~。ボランティアと思われる人々がうすみどりの海藻を熊手でかき集めて掃除していた。大鳥居も社殿も鮮やかな朱色が、海山自然の景色の中では威圧的というより華奢で可愛らしく見えた。全般的に中国地方は花の色も柔らかく優しく、夏を感じて鳴き始めた蝉の声すら柔らかく、風土の違いを感じた。

厳島神社を見つくして外に出ると、眩しい日差しと暑さで日陰を探したくなる。大願寺の境内、銀杏の木陰で休憩していたら銀杏の向こうから角の生えた鹿が寄って来た。人懐こい。上陸してすぐの看板に「角の生えた鹿は危険」と書いてあったので、側にいたよその家族の方々も初めは警戒していたが、銀なんの青い実をやり出した。私は、そんなのやっていいのかな…と思ったけど、まあ放っておいた。

進路を決めて歩き出す。長い階段を登って多宝塔を見る。ウグイスが繊細な声を聞かせるあせび歩道をそのまま進むと大聖院の山門に出た。色んな薬草の入った冷たいお茶を無料で振る舞って下さり、気軽に入りやすい。

空海が806年に開基という宮島で最も古い寺院だそうだ。弥山の山腹に様々な伽藍が立っているのだが、どれを取っても親しみやすいお寺だ。釈迦涅槃堂や小さい仏像を沢山並べた勅願堂。梁の彫刻が龍と鳳凰の摩尼殿は急な斜面に建てられた装飾的な建物だ。観音堂にはダライ・ラマを称えチベットの留学を保護する活動が展示されていた。愛敬のある達磨さん。1回まわせば1回お経を読んだ事になる摩尼車。普通は近寄れないお経を読む法師の座の先に砂曼陀羅が展示されたガラスケースがあり、それに近寄る事を許すなど、本当に親しみやすい。観光客を受け入れる事で仏教と衆生の距離を縮める方針のようだ。冷たいお茶をもう一度ご馳走になって山門を降りた。

厳島神社の裏までの滝小路は風情のある通りで旅人の目を楽しませる。龍髭の長い松の前を通って五重の塔、千畳閣まで上がった。流石に足が疲れ、千畳閣でしばし休憩。豊臣秀吉が戦没将士を慰霊する読経の為に建立させたというこの千畳敷は、縦46.6m、横28.2mとだだっ広い一部屋で、柱も梁も床板も大きく立派だ。大経堂だったのだから仏教系として建てられたのに、明治時代の神仏分離令、廃仏毀釈の流れの中での事だろう。「明治初年の改革で・・・秀吉を祀った豊国神社と改称、厳島神社末社となった」と昇殿券に書いてある。

夏に行っても”あきの宮島”とは是れ如何に。(シーン・・もしかして古いギャグ?)帰りの新幹線の時刻を変更できないチケットで来ていた為、最後は慌ただしくなってしまったけれど、表参道でもみじ饅頭を買って船に乗った。 少しの間、大鳥居を名残惜しく振り返っていた。

原爆ドーム

2008-07-15 10:51:26 | Weblog
昨年、他界した伯父の一周忌(小祥忌とも言うそうだ)と、祖母の三十三回忌(清浄本然忌とも言う)で福山へ行き、法要の後、ついでに足を伸ばして広島へ行った。

広島へは、以前、仕事で2~3回は行っているが、今回初めて原爆ドームと平和記念公園へ行った。広電の原爆ドーム前で下り、横断歩道を渡ると目の前の木立の向こうに原爆ドームが有る。もっと衝撃があるかと思っていたが、「ふーん、これか~」という感じ。あっけないくらい、公園として綺麗に整備されている。近づくと中の瓦礫がそのまま残されているのが分かり、「確かにこれが歴史の生き証人なんだな~」と思わされる。

平和記念公園資料館の入館が5時半までなので、橋を渡って平和記念公園へ少し急いだ。8月6日の慰霊の日にいつもテレビで見てきた椅子が並べられる芝生が左右に広がっている。その向こうの左右に長い建物が資料館だ。左側の入り口から入る。

混んではいなかったけれど、入り口で観光ツアーのコンダクターのような女性が「65歳以上の方は無料です」と繰り返し言っていた。しかし、お払いしても50円だ。

被爆後、4年で中央公民館での被災資料の展示を始め、昭和30年に平和記念館と平和記念資料館が出来、平成6年から現在の、東館と本館がつながった形で展示されている。

後世に残すべき資料として、真面目に上手に展示されていた。日本の博物館、歴史館などは、テーマパーク化されて、不要なキャラクターを作ったり、それをお土産にしたりする所が多く、何のために建てられたのか・・と思うことがしばしばだが、流石にここは違う。パネルやモニター画面を沢山並べる現代的な展示方法を取りながら、歴史のながれ、どういう経緯で原爆が作られ、どうして広島が選ばれてしまったのか、解りやすく説明されている。

資料館を歩いていて嬉しかったのは、若い外国人が多かった事だ。小学生中学生くらいの子供を連れた家族、若い男の子たちのグループ、2人連れ、女の子達のグループ。それに日本人かと思ったら中国語を話している若いカップルもいた。アメリカ人はいたかどうか分からなかった。聞こえた英語はイギリス発音だったなー。イヤホンで解説を聴きながらガラス内の被災した現物を、一つ一つカメラに収めている外国人の姿をけっこう見かけた。

4月にシチリアとローマで歴史的な地区を観光したが、当然”世界遺産”に認定されている。当然のレベルなので、”世界遺産”の看板を大きく出す必要もなく存在している。原爆ドームも認定されているが、わざわざ認定をお願いするまでもなく、地球に生まれた人類全員の教訓とするべき”遺産”だ。平泉が世界遺産に認定されなかった事がニュースになった。私もずいぶん前に中尊寺へ行ったことがあるが、他には無い、特別な空気を感じたのを覚えている。観光資源としての下心丸見えのやり方でなく、特別な空気、それを維持してきた価値をアピールする本道を行くべきではないかな?少なくとも、安っぽいキャラクターはどこにでもあるテーマパークのレベルであるように見えて、かえってマイナスイメージだと思うけどなー。

内幸町楽屋

2008-07-09 02:44:17 | Weblog
明日は、アルゼンチンの独立記念日。”7月9日”(ヌエベ・デ・フリオ)というタンゴの名曲があるくらい、1816年7月9日に独立宣言をしたアルゼンチンにとっては重要な記念日です。
今年は、3日ほど早くなりましたが、いつもこの時期にリサイタルを開くタンゴ歌手、昌木悠子さんの伴奏と演奏を今年もお頼まれして、バンドネオンの岡本昭さんのバンド”タンギッシモ”の一員として、一昨日、内幸町ホールへ行きました

今年が15回目のリサイタルという昌木さん。タンギッシモが共演させて頂くのは今年が4回目くらい。毎年リサイタルというのは大変なことです。今年は一段とレパートリーも増え、お客様も超満員となり、メデタシ、メデタシ・・・

会館の音響、モニターの音のバランスは、今までも聞こえて欲しい音が聞こえなかったり、ゲネプロと照明が違って、本番中に楽譜がとても見えづらかったり、色々学習して来たけれど、今年は、モニターがバイオリンの音量の上げ過ぎ。自分のピアノの音は元より、日本一良く鳴る、岡本さんのバンドネオンが聞こえづらかったので、休憩時間に再調整を頼みましたが、あまり改善されませんでした。左下のモニターがガンガン聞こえるせいで右耳の聞こえ方がおかしくなったか・・と思いながらも、何とか集中して弾きました

昌木さんの魅力は、「歌声の店」などで培われた、聴衆との一体感を持つ大衆性と、歌の一番の聴かせ所での”泣きの入れ方”だと思います。それと、どこか腹の据わったところが、彼女の個性を際だたせている、といつも思います。15周年、本当におめでとうございました

写真は、終演後の楽屋での記念撮影です。岡本昭とタンギッシモ・セステート編成と、司会を為さった米山さんです。肝心の主役、昌木さんはロビーへお客さん達にご挨拶にいらしたようで、写真に入っていません 

楽屋を訪れる岡本さんのお弟子さん、武蔵野タンゴを聴く会の渡辺さん、昌木さんのお弟子さん達・・。皆さん、それぞれ暖かいお声をかけて下さいます。タンゴと出会ったお陰で、ずいぶん沢山の方達と知り合いました。打ち上げも楽しかったです。

今、気がついたけど、「衣装は黒で・・」とおっしゃってたのに、バンマスだけ目立つように白シャツにベストだったんだな・・。 証拠写真は語る。