室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

ひっつき虫

2006-07-27 11:26:51 | Weblog
 夏休みになって、姪が3日間来ていた。小学校2年生、8歳だ。慕ってくれるので、大変かわいいが、つきまとうので”ひっつき虫”と呼んでいる。
 色んな事を面白がり、色んな事を聞いてくる。戦争ばかりしている歴史の中で、私は生まれてからずっと戦争に遭っていなくて幸せだ、という話から「今は平成でしょ?その前は昭和、その前が大正時代、明治時代、江戸時代、その前は百年間戦争ばかり続いた戦国時代で、その前が室町時代、鎌倉時代、公家の時代の平安時代・・」と話していたら、「ねえ、ねえ、それじゃあ”少年時代”はいつなの?」やられました!
 学校で詩の暗唱をずいぶんやらされているようで、谷川俊太郎や金子みすず等の詩をいくつもいくつも諳んじている。自作の詩も沢山あるらしい。詩を書く時はよく多摩川へ行くらしいのだが、カマキリの卵を見つけた時の詩がおもしろい。色はきみどり色とうす茶色で、さわるとぐにゃぐにゃで「2つとりました。2つとも男の子にあげました。」気味が悪くなってヒトにやってしまった様子がありありとうかがえる。
 それにしても小学校2年生の記憶力はカセットテープ並みで、羨ましい限りだ。そういえば自分も1度聞いた事は、全て記憶できるのが当たり前だと思っていた”記憶”だけはある。脳を鍛えるニンテンドーDSが欲しいなあ。ソフトばかり宣伝していて、本体はどこにも売っていないなんて、ニンテンドー何考えてるんだ とヤツ当たりしておこう

アストロノーツ・ライブ

2006-07-26 00:59:01 | Weblog
29日に新宿三丁目の銅鑼でタンゴ&ジャズのライブを行います。
銅鑼は新宿三丁目界隈の名物の居酒屋で、毎週土日の午後1時から4時半まで、入場無料のライブを催しています。本来は、トラディショナル・ジャズの殿堂ですが、お世話になっているオーナーにお願いしてタンゴ&ジャズで出演させて頂く事になったのです。
 私が入れて頂いている”タンギッシモ”のリーダーのお弟子さんで、若手伸び盛りのバンドネオン奏者、池田達則くんと二人で”アストロノーツ”というバンド名にしました。アストル・ピアソラの”アストロ”から”宇宙の音”を目指して名付けました。宇宙飛行士のAstronautではなく、Astronotesです。
 戦後、ジャズやタンゴがブームだった時代、軽音楽は何でも”ジャズ”と呼ばれたそうなので、おおめに見て頂いての出演です。でも、バンドネオンの音色が活かせるジャズのナンバーも演奏します。第1回アストロノーツLIVEどうなりますやら・・。応援、よろしくお願い致します。銅鑼は新宿三丁目C6出口前ビルのB1です。

スーパーウーマン

2006-07-18 00:27:51 | Weblog
 ロシア語通訳で、エッセイスト、小説家の米原万里著「必笑小咄のテクニック」を読んでいる。2002年から2003年にかけて「青春と読書」誌に連載されたエッセイに加筆して2005年に発刊されたものだ。様々な世界の小咄を特徴別に分類し、分析し、例題を作って、読み手にも手ほどきをしている。そして、合間に小泉首相の、何か変だな・・と思いながらも笑わされて、すり抜けられてしまう「レトリックを反転させるテクニック」を見事に指摘、分析して見せ、まるで、それが一番云いたくてこの本を書いたのでは?と思わされる程だ。
 殆ど移動中の電車内でしか本を読まない私には、笑いをこらえるのに大変苦労するのだが、そんな中から、世界各地を評論するのに最適の小咄をひとつ紹介したい。
~国連が加盟各国の国民に対してアンケート調査をした。「他の国が食糧不足に苦しんでいるという状況について、あなたのご意見をお聞かせください」という、一見単純きわまりない質問なのだが、世界各国で人々が回答不能に陥るという事態が発生した。その理由は以下の通り。アフリカの多くの国々では、「食糧」という概念を理解できない者が続出した。西欧諸国では、「不足」という概念を理解できない者が、とくに若い世代で多かった。社会主義諸国では、「意見」という概念を理解できない者が大半を占めた。そして、アメリカ合衆国では、ほとんどの国民が、「他の国の人々」という概念を理解できないということが判明した~
 つい、数週間前に、米原万里さんの早すぎる訃報を聞いて、とてもショックだった。1億人に一人しかいない才能の持ち主だったのに、残念だ。自分の運命を予感していたであろう最中に、こんな「笑いの本」の再編集をしていた程の、スケールの大きいスーパーウーマンだった。もう彼女の新しい本が生まれないのかと思うと、本当に残念だ。

ダヴィンチ・コードを見て

2006-07-13 13:33:32 | Weblog
 映画”ザ・ダヴィンチ・コード”を見た。
昔、角川書店全盛の時代に「見てから読むか、読んでから見るか」というコピーがあったのを思い出すが、映画の公開よりだいぶ前に原作(日本語訳)を読んだのだが、公開後直後に行っても混むのですぐには飛びつかなかった。昨日は、案の定6~7割り位の入りで、ゆったり見られた。
 結論から言うと、期待したよりはインパクトの薄い映画になった気がする。ルーヴルで殺人が発生した夜から翌日の夕方に事件が解決するまでの長い一日、更には最終的な謎の解明に主人公が気づいて、再びルーヴルに戻るまでの20数時間を、2時間40分かけた表したにしては、描き切れていない部分がかなりあると思った。公開を禁止した国があった程のテーマを抱えた映画だが、その肝心な部分は敢えて強調を避けて、全体としては曖昧な印象だ。ヒロインのソフィは、殺された祖父ソニエールに「英語を使え」と育てられた前提だった筈だが、俳優の英語の発音がネイティヴとは云えないものだった。一方、映画を見た事で理解できた部分もあった。主役二人を追った警部とオプス・デイの司祭との関係だ。ルーヴル美術館の内、外、ローズライン、イギリスのテンプル教会、ニュートンの墓など、セットの部分もあるだろうが、具体的に映像を見られるのは有難い。しかし、原作を読んでいなかったら分からなかったと思われる箇所が目に付き、一生忘れられない映画を見た、とは云えなかった。その程度の表現に留まる事しかできないプレッシャーがあったのだろうか・・?
 

どこへ行っても・・

2006-07-10 18:01:27 | Weblog
 昨日は、昼間がタンゴ歌手YMさんのリサイタルの仕事、夜が文化人の会合だった。
タンゴ歌手YMさんは、なかなか積極的に活動をなさっていて、バンマス共々、よくお仕事を頂いている。お弟子さん達や、彼女のファンの方々、関係者もすっかりお馴染みだ。昨日はバンマスの顔なじみのお弟子さん達も楽屋にみえて、和やかな雰囲気だった。YMさんのお弟子さん達は、打ち上げパーティを大変楽しみにしていらしたようだったので、乾杯だけして、お刺身(新橋の魚屋さん経営の居酒屋)を2切れだけ頂いて、銀座線の地下鉄乗り場に走って行った。
 夜の部は、元国大教授のY先生のお名前による”Y学校”という文化人サークルで、昨年タンゴの演奏をさせて頂いたご縁で、今回、入会ならぬ”入学”させて頂いた。学者、作家、放送局プロデューサー、評論家、大使館員、料理研究家、学芸員など、様々な分野のエキスパートの集まりで、本を出版された話題や、新作発表の情報なども行き交う。去年演奏した時に話した「リベルタンゴ出版秘話」を覚えていらした方から「それ以前にバイオリン、チェロ、ピアノの演奏で聴いた”リベルタンゴ”は、きっとあれだったんだわ、と思ってお話伺ったんですよ」と声をかけられた。昨日が2回目だった方はすでに親しみを込めて、初めて会った方もどんどん会話が進み、普通なかなか無い集まりだなあ・・と思う。去年もそう感じたのだが、善良で素直な好奇心の持ち主ばかりで、その共通性から、安心して親しくなれてしまうのだ。不思議なサークルだが、妙に居心地が良い。
 昼間の仕事でもそうだったが、人の出会いに恵まれている。右を向いても左を見ても、笑顔ばかりだ。こんなにC調でいて良いのだろうか・・?ところで、新橋の打ち上げ会場のお料理も美味しかったし(去年も行った事を思い出した)銀座4丁目のそのレストランも、シャンパンでの乾杯に始まって、様々なオードブル、表面が焦げ目のついたリゾットやニョッキ等、どのお料理も、お店自慢のデザート類も、夢のように美味しかった。ほんとにこんなにC調でいて良いのだろうか・? 

フルイケヤ・・

2006-07-06 11:58:31 | Weblog
先週、カナダ人の作家、作曲家、パフォーマーのゲイリー・バーウィン氏の「朗読とお話の夕べ」がカナダ大使館で行われ、見に行った。
 大使館内などには普通、簡単に入れるものではないから、物見遊山で行った。この作家は、芭蕉の有名な「古池や かわず飛び込む 水の音」の句からインスパイアされて自分なりの表現をしたという本を出版しており、それにまつわる解説の夕べという事だった。「古池や~」は百種類ほども英語に翻訳されて、様々な解釈があるそうだが、15cm角のその本に載っていた最もポピュラーな訳は"The old pond; A frog jumps in -- The sound of water."で、ゲイリー氏もここから"frog""pond""plop"等の単語を抜き出し、言葉遊びを展開している。
 しか~し、結論から言えば、俳句の翻訳は無意味であ~る 私たちが芭蕉の句から鑑賞しているものは”水の音”ではな~い ポチャリッと聞こえる音から水面の波紋、水面下、また周りにありそうな草木など、様々な見えるモノ、聞こえるモノを想像し、古池の時空間を愛でているのだ。一緒に行った友人がゲイリー氏に質問をした。「古池や・・の”や”は、どう解釈されるのですか?」氏の答えは「それが外国語翻訳の困難な点ですが、まあ”スペース”ですね。」だった。私たち日本人は”や”で、親しみや愛情を込めているのだよ、ゲイリー君!
 初来日だったそうだが、日本語を全く学ばずに、よく弄んでくれました。いや、日本語がわかったら、あんな表現は出来なかったと思われるような”無邪気さ”だ。それに好感が持てなかったのは、ゲイリー氏の英語が早口で、私の英語力では良く聞き取れなかった恨みのせいかも・・。