室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

神奈川震度4

2006-08-31 22:34:05 | Weblog
 今日、夕方、地震があった。
横浜地方”震度4”とテレビでは言っていたが、自分の感じでは2~3程度かと思った。
神奈川だけが震度が強かったことは、今まで記憶にない。「70年周期で大地震は来る」と云われて、関東大震災から80年以上経っている。ちょうど、明日は9月1日だ。
 もう20年以上前だと思うが、NHKスペシャルで「太平洋プレートに乗って毎年10センチずつ接近しているので、1万年後、ハワイは日本に来ているだろう」と石坂浩二の声で聞いたのを覚えている。あの時点から2m近寄っているのだろうか? いずれにしても、地球は絶えず変化しており、ゴンドアナ大陸が動いて、パンゲア大陸の時代なども経て現在の位置になって6500万年だという。その単位で考えれば、1万年なんて100世紀。それまでの間に、地球にへばりついているだけの無力な人類は、いっぱい災難に遭っているのだろうなあ・・。そして100億年後にはこの銀河系自体が、隣の銀河とクラッシュして・・。
 遠い未来は暗いので考えても仕方ないか。今を楽しく生きるしかない 地震の神様、とりあえず、小出しのガス抜きで、お願いします。

夏・・もう終わり近し?

2006-08-28 12:25:13 | Weblog
 前回のブログから、ずっと高校野球、当然見てました。
昭和30年代以前に生まれた大人全員が「今時、こんな高校生がいたとは・・!」と感心してしまうヒーローの出現で、テレビに釘付けでした。
 仕事や、コンサート、ライブの準備をしつつ合間に(どっちが合間か分からないけれど)ヒーローを追いかけるテレビを見ているうちに、気がついたら8月も終わりに近づいている。今年は、梅雨明けが遅く、梅雨明け後も、ここ数年あった「体温より暑い日々」も無く(横浜市地方、体感調べ)そして、今朝の涼しさ・・。去りかける夏に「もう一寸、いいじゃない・・」と引き留めたくなるなあ。
 それにしても、眠くてダラ~っとしてしまう・・。うちの木でミ~ンミン鳴いていた蝉の声は暑苦しかったが、2~3軒となりの蝉の声がそよ風に乗って聞こえて来ると、かえって涼しげに感じる。涼しいせいもあるかもしれないが、以前、整体師に聞いた話では、夏場にいっぱい汗をかく事が、肝臓の負担になり、それが”夏の疲れ”になるそうだ。それのせいかな・・?という事にして、もう少し、ダラ~っとするか・・。

高校野球

2006-08-18 23:31:23 | Weblog
 今年の高校野球は凄い!
逆転、延長戦、サヨナラ試合だらけだ。昨日と今日の準々決勝も、駒大苫小牧vs東洋大姫5-4,智弁和歌山vs帝京13-12,早稲田実業vs日大山形5-2,福知山成美vs鹿児島工業2-3,と、1点差試合ばかり。早実vs日大山形も逆転ゲームだった。1試合をプレイボールからゲームセットまで見ていないし、全てのゲームを見ている訳でもないのだが、接戦が目につく。点差があっても、最後の最後まで、どうなるか分からないので、どの試合もドラマティックだ。
 ひとつの理由としては、打力の向上があるらしい。バットが以前より重くなって、全身で、つまり下半身も使ってスイングする打法を身につけるのが、当然になってきたらしい。打高投低とまでは云えないかもしれないが、打撃力があれば、諦めることなく、最後まで闘える。
 器具やトレーニングの進化ばかりでなく、精神力、集中力の発揮の仕方も、多くの先輩、先人の経験を学ぶ、学び方がより発達してきているのではないだろうか?”甲子園”という最高の舞台でプレイできる喜びを、十二分に味わいながら、楽しそうに笑っている顔が多い。仲間のエラーでガックリ来たのが顔に出てしまう選手、同点に追いつかれて緊張の糸が切れてしまった選手・・色々な表情が面白い。負けて泣くピッチャーも多い。あそこまで本気で、「自分はやれる!」と信じてやっていたのだから、それが叶わなかった現実は、受け入れがたいだろう。解るなあ・・。
 あとさきを考えず、一生懸命やっている姿。そしてその中に、人間らしい純粋な喜怒哀楽が見える高校野球。「感動を与えられるように頑張ります!」という選手宣誓は、好きじゃないし、口を開けて感動がやって来るのを待っている訳じゃないけど、やっぱり高校野球、面白いな~。
 

ぼんぼり祭り

2006-08-13 14:37:15 | Weblog
 鎌倉八幡宮の”ぼんぼり祭り”へ行った。3~4年前に行って以来だ。
年々、絵の提供者が増えるのか、以前は無かった大階段から神殿周辺にまでぼんぼりが設置されていた。境内は極力、電灯を減らしてぼんぼりの灯火を浮き立たせていたので、参道の両側に連なるぼんぼりの、和紙を透したぼうっとした灯りが綺麗で、これだけは、わざわざ見に来るだけの価値あり、と思った。参道の中央、やや奧寄りに、輪くぐりが設けられていて、周りの人々が「3周すると良いらしいですよ」と言っているのが聞こえたので、由来も分からないけど、とりあえず輪を3回くぐった。皆がそれをやるので、次第に渋滞した。訳がわからなくても「御利益があるらしい・・この際やっとこう」という辺りが、ジャパネスクかもしれない。
 真夏にしては、空が澄んで、月がくっきり光の波を降り注いでいるようだった。が、境内は空気の動きが乏しく、蒸し暑い。神殿を降りて左奧の橋の上だけは、左右の水面からの涼風が心地よかった。ぼんぼりは1メートルほどの棒杭の上に半紙4枚分位の大きさに作られ、そこに思い思いの絵や文字が描かれている。棒杭に作者の名前が貼り付けてあるが、暗がりなので、よく見えない。懐中電灯を持参で来ている人は常連なのだろう。画家、作家、俳優、タレント、議員などの有名人のぼんぼりの前には人が集まって写真を撮ったりしている。私も神殿手前の階段で知人の画家の絵を見つけて携帯のカメラで写した。他に気に入った作品は2~3有った程度。大した発見も、感動も無い。やはり、参道に連なる灯りの景色を、家族と共にゆっくり散歩がてら眺める、平和な幸福感が一番の収穫なんだろう、と思った。

薪能の夜

2006-08-11 12:20:31 | Weblog
毎日、色々あって、日記がたまっている気がするのだが・・今日は、”薪能”の話にしよう
 この間の日曜日に、平塚八幡宮で神事能があり、見に行った。5時半の受付に合わせて行くと、まだ明るくて蝉が大合唱をしている。屋外の簡易舞台だが、右奧のひときわ大きな木を”ご神木”に見立てて、注連縄が締められている。やがて、客席が埋まって来た頃、会場内に早くから付けられていた提灯の灯りが際だって、いつしか夕闇がおりて来ていた事に気づかされる。
 6時15分頃にアナウンスが始まり、この薪能が”神事”であること、広島に原爆が落とされたこの日に、慰霊と平和の願いを込めて行われることが告げられる。神主さんの行事に合わせて観客も一斉に礼や黙祷をする。一連の奉行の後、薪に氏子の代表者が火を入れる。パチパチと火が爆ぜる音とともに、燃えるにおいがやって来る。それに合わせて、場内に用意されていたライトがにゅあっと付けられた。やっぱり、薪の炎だけでは足りないのだ。
 この日の出し物は、”隅田川””鬼瓦””融”の3つだった。”隅田川”は人買いにさらわれた子供を捜しに京から東の隅田川まで来た母親(狂女で面をつけている)が渡し守との話から、対岸の大念仏が我が子の弔いの塚であったと知り、念仏を唱えると、我が子が姿を現し、抱きしめようとすると、スルッと抜け出されて腕に抱く事ができない・・という悲劇の物語で、テーマの重さゆえに、能にとどまらず、歌舞伎やオペラ、絵画や美術他、さまざまなジャンルでも取り上げられている。殊に、最近の子殺し、親殺しの陰惨な事件続きの中にあって、あまりにもタイムリーな”曲”だった。狂女の母の道行の下のお着物が白く光り、常人ではない、この世の者と思えないオーラを放つ存在感に圧倒された。決してオーバーアクションの無い能の表現でありながら、二度も子供の亡霊に腕をすりぬける場面は、真の”哀れ”を強調してた。ハンパな”感動”ではない。
 ”鬼瓦”はお寺の屋根の鬼瓦を見て、何かに似ている、よく考えたら国元に残している妻の顔で、「もうじき会えますよ」と太郎冠者に言われて大笑いをする・・という他愛もない笑い話。しかし、この程度笑っても、”隅田川”ショックは到底、払拭されない。
 最後が”融(とおる)”の半能で、つまり第1楽章抜きの後半だけの上演。昔栄えていた塩田を通りかかった旅の僧の夢の中で、月の精のような源融(みなもとの・とおる)が舞いを見せる物語。華やかなキラキラした橙色の衣装で、かなり動きの激しい舞いで、笛のメロディも同じ節を繰り返すうちに、バリエーションされて行くのが面白かった。月にまつわる幻想的なイメージは洋の東西を問わず沢山あるなあ・・と改めて思った。これほど見ても、尚、”隅田川”ショックはかき消される事が無く、「悲劇は芸術のテーマに成りやすい」事を改めて思った。
 人の魂を揺さぶる芸術・・。エンターテイメントも価値があるが、やはり、それ以上の物だ。それは底知れぬ深みであり、究極の高みだ。今まで何度も感じ、考えて来ている事だけれど、久しぶりに実感し、ちょうど大きくなって来た月を、一緒に行った両親と友人と、愛でる幸福感にひたりながら帰った。

マイ・ブーム

2006-08-04 17:34:16 | Weblog
 近頃、”数独”にはまっている。
縦横9ずつの将棋盤状のマスの中で3x3のブロック内でも、縦9マス内でも、横9マス内でもダブる事なく、1~9の数字をあてはめるパズルだ。ところどころ先に入れられてある数字を手がかりに、残りの空白に入る可能性のある数字を、全て挙げておく。この段階でひとつでも見落としがあると、完成できない。この作業が、けっこう厄介なのだが、「この数字しか有り得ない」のを見つけて、また、縦列、横列で「これ以外に無い」状況を見つけ、埋めていく。
 やっとドンドン進むようになったのに、同じ列に同じ数字が入ってしまうと”失敗!”なのだ。見落としを見つけなくてはならない。何度も失敗しては、再出発する事もあるのだが、スラスラと埋まって「大丈夫、行けそうだ!」と、確信が持てる処まで来ると快感になる。そして”完成”すると、"Aha!" のランプが点灯するのだ。 ああ、スッキリ
 数独は、朝日新聞の土曜版"Be" に3週に1度位の割りで掲載される。先週は夏休み特集で7題も載っていた。他にやらなきゃいけない事もあるのに、一通りできあげるまで、やっちゃうなあ・・。でも、わざわざ”本”を買ってまでは、やらないゾ















ミス・ニューオリンズ

2006-08-03 22:33:54 | Weblog
 映画”ニューオリンズ”をDVDで見た。
1947年製作の白黒の映画で、まだジャズが世間に浸透していない時代の1917年が舞台になっている。ルイ・アームストロング自身がサッチモ役で出てくるし、キッド・オリー(トロンボーン)バーニー・ビガード(クラリネット)ウッディ・ハーマン(クラリネット)等、私でも名前を知っているプレイヤーも登場する。しかし、何と云ってもビリー・ホリデーの歌う”ミス・ニューオリンズ”がこの映画のテーマになっている。
 この"miss New Orleans"は私の周辺のプレイヤー達もよく演奏しているので、曲は知っていた。「ミス・ニューオリンズてどういう事か知ってる?」という意味かと思っていたら、全くの間違いで、正しいタイトル "Do You Know What It Means To Miss New Orleans?" は「どうしてニューオリンズを懐かしく思うかわかる?」という意味だったのだ
 しかし物語の主役はジャズ・プレイヤーではない。サッチモ達が演奏している店は賭博などの遊興場で、そこの経営者と、富豪のオペラ歌手のラブストーリーだ。でもこのオペラ歌手が、ビリー・ホリデーの歌う”ミス・ニューオリンズ”に魅せられ、自分の演奏会のアンコールで歌ったりしてしまう。初めは、クラシック愛好者達から、「あんなダークサイドの音楽を歌うなんて!」と眉をひそめられ、白い目で見られるのだが、ジャズが世間に広まっていくと、やがて気取った人々の中にも、身体を揺すって”ミス・ニューオリンズ”に聴き入る人が増えてくる。最後はオペラのアリアを伴奏していたオーケストラと、ジャズのビッグバンドが大編成で共演して、ジャズがアメリカ社会に受け入れられていく様子を象徴的に表していた。
 まだ若いビリー・ホリデーが、さらっと歌っているのにコクのある雰囲気なのは、流石なのだが、オペラ歌手役のドロシー・パトリック(本人が歌っているのか分からないが)がくったくなく、幸せそうに歌う”ミス・ニューオリンズ”は、音楽そのものが持つ”不思議が力”を見せてくれている。この曲のイメージが、すっかり変わってしまった。

”アストロノーツ”初ライブ

2006-08-01 00:13:58 | Weblog
 一昨日の29日、新宿三丁目の銅鑼ライブに出演した。
私たち”アストロノーツ”は夕方、披露宴での演奏仕事を受けており、3時半にはトン面しなければならなかった。その為、出演3バンドのうち、とにかくトップバッターでやらせて頂いた。ジャズ・ライブでタンゴを演奏する事、更に、トラッド・ジャズの殿堂で、タンゴバンドを名乗りながらトラッド・ジャズも演奏する事に対して、どんな雰囲気になるか、反感を買う事態になりはしないか・・と心配したが、幸い、暖かく受け入れて頂けたようだった。30分程のステージを2セットの中に、トラディショナル・タンゴ、コンチネンタル・タンゴ、ピアソラのモダン・タンゴ、ワルツ、ミロンガ、そしてジャズ・ナンバーを入れ、という具合に色々とりまぜて演奏した。この銅鑼では、「やっぱりトラディショナル・タンゴがいいね!」と声がかかる。一方、夕方行ったホテルでの披露宴のアトラクション演奏では「タンゴの神様、アストロ・ピアソラから名前を取ったそうです。タンゴと言えばピアソラですからね。」と紹介をされる。全く正反対の反応だった。
 とは言え、とにかくやるべき曲を、”これぞ!”と思うアレンジでやっていくのみだ。秋の新宿ジャズ・フェスティバルにも入れて頂くことになりそうだし、生まれたばかりのユニットを育てる希望が湧いてきた。応援して下さった皆さま、ありがとうございました。