ボリショイ・オペラの《エフゲニー・オネーギン》を観ました。
チャイコフスキーの有名なオペラですが、私は初めて見ました。素晴らしかったです。
ストーリーは、若い頃に粋がっていた男(オネーギン)が、放浪の後に、以前振ってしまった女(タチアーナ)と再会し、公開して言い寄るけれど「いまさら・・」と、はねのけられて打ちひしがれる・・というシンプルなものです。
若かったタチアーナがやっとの思いで告白の手紙を書いたのに、その時は受け入れる事が出来ず、あとから既に人妻になってしまったのを見て後悔するとは、恋愛の情熱のタイミングの難しさを表しています。
それにしても、後年のタイアーナと再会した後のオネーギンの女々しさは堪え難いものがあり、後味が悪いというか、私の好みではありませんなー。
しかし、演出は素晴らしかったです!
オペラの演出は、近年、変に奇抜なものが多く、主人公がジーンズに革ジャン姿でバイクに乗って登場したり、“能”のように象徴的なオブジェだけを置くセッティングにしたり、苦労している割に“実験どまり”と思ってしまうのですが、このボリショイ・オペラは違いました!
幕が開くと、そこはロシアの地方の有力者の家の広いサロンで、正面と右側に大きな窓があり、その窓から入る光が、本物の太陽光のようで、舞台のバックヤードが外に続いているかのようなセットに驚かされます。真ん中に20人が取り囲める大きなテーブルが置かれ、招待客がお茶を入れて談笑しているシーンから始まるのです。
そのテーブルは、テーブルクロスが剥がされたり、斜めに動かされたりしながらもそのまま置かれ、オネーギンと親友の決闘もそのテーブルの前で展開し、放浪後のオネーギンの再登場も時代や場所の設定が別なのに上流社会の社交場としてのテーブルがそのまま利用されています。
まるで映画を見ているかのようなリアルなライティング、リアルな演技に驚かされました。歌手たちの声も良く通り、豊かな声量と表現力は「さすが《ボリショイ》!」と思いましたが、オケは超一流とまでは思いませんでした。オケは、見える範囲では若いプレイヤーが多い感じでした。
しかし、何と言っても、主役はチャイコフスキーの音楽です。
原作はプーシキンだけど、台本はチャイコフスキーが自ら作っているそうで、微に入り細に入り、非の打ち所のない丁寧さ、痒いところに手が届く感じの過不足ない美しさは他の作品と同じ。背景の音楽からアリアへの移行もなめらか。あちこちに「バレエ音楽を思い出す」「悲愴交響曲に似たフレーズ」「ピアノ協奏曲のモチーフ」が顔を出すので、一音ずつにチャイコフスキーの細胞を感じます。イタリア・オペラとは違う種類の美しさ。
ただ、最後のオネーギンが打ちひしがれた瞬間に終了するのは、「これで終わりなの?」とあっけない感じがします。確か《白鳥の湖》のエンディングも「あれ、これで終わり?」という感じがした記憶があります。これは、さんざん盛り上がった、見せ場も作った後だから、アッサリ終わらせる“手法”なんでしょうか・・?
《オネーギン》感想も思ったより長くなってしまったので、私もあっさり終わらせてみようかな・・。
おわり・・
チャイコフスキーの有名なオペラですが、私は初めて見ました。素晴らしかったです。
ストーリーは、若い頃に粋がっていた男(オネーギン)が、放浪の後に、以前振ってしまった女(タチアーナ)と再会し、公開して言い寄るけれど「いまさら・・」と、はねのけられて打ちひしがれる・・というシンプルなものです。
若かったタチアーナがやっとの思いで告白の手紙を書いたのに、その時は受け入れる事が出来ず、あとから既に人妻になってしまったのを見て後悔するとは、恋愛の情熱のタイミングの難しさを表しています。
それにしても、後年のタイアーナと再会した後のオネーギンの女々しさは堪え難いものがあり、後味が悪いというか、私の好みではありませんなー。
しかし、演出は素晴らしかったです!
オペラの演出は、近年、変に奇抜なものが多く、主人公がジーンズに革ジャン姿でバイクに乗って登場したり、“能”のように象徴的なオブジェだけを置くセッティングにしたり、苦労している割に“実験どまり”と思ってしまうのですが、このボリショイ・オペラは違いました!
幕が開くと、そこはロシアの地方の有力者の家の広いサロンで、正面と右側に大きな窓があり、その窓から入る光が、本物の太陽光のようで、舞台のバックヤードが外に続いているかのようなセットに驚かされます。真ん中に20人が取り囲める大きなテーブルが置かれ、招待客がお茶を入れて談笑しているシーンから始まるのです。
そのテーブルは、テーブルクロスが剥がされたり、斜めに動かされたりしながらもそのまま置かれ、オネーギンと親友の決闘もそのテーブルの前で展開し、放浪後のオネーギンの再登場も時代や場所の設定が別なのに上流社会の社交場としてのテーブルがそのまま利用されています。
まるで映画を見ているかのようなリアルなライティング、リアルな演技に驚かされました。歌手たちの声も良く通り、豊かな声量と表現力は「さすが《ボリショイ》!」と思いましたが、オケは超一流とまでは思いませんでした。オケは、見える範囲では若いプレイヤーが多い感じでした。
しかし、何と言っても、主役はチャイコフスキーの音楽です。
原作はプーシキンだけど、台本はチャイコフスキーが自ら作っているそうで、微に入り細に入り、非の打ち所のない丁寧さ、痒いところに手が届く感じの過不足ない美しさは他の作品と同じ。背景の音楽からアリアへの移行もなめらか。あちこちに「バレエ音楽を思い出す」「悲愴交響曲に似たフレーズ」「ピアノ協奏曲のモチーフ」が顔を出すので、一音ずつにチャイコフスキーの細胞を感じます。イタリア・オペラとは違う種類の美しさ。
ただ、最後のオネーギンが打ちひしがれた瞬間に終了するのは、「これで終わりなの?」とあっけない感じがします。確か《白鳥の湖》のエンディングも「あれ、これで終わり?」という感じがした記憶があります。これは、さんざん盛り上がった、見せ場も作った後だから、アッサリ終わらせる“手法”なんでしょうか・・?
《オネーギン》感想も思ったより長くなってしまったので、私もあっさり終わらせてみようかな・・。
おわり・・