室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

世界に一つだけのツリー

2009-12-31 16:10:00 | Weblog
3日間の関西ツアーから帰ると、山形の上山市立南小学校6年5組、裕美ちゃん先生のクラスからクリスマスツリーが届いていました。

完全に意表を突かれました。

この写真の手作りツリーです。張り合わせた一枚一枚に、一人乃至二人のメッセージが書かれ、折り紙を切ったものや色んな形のシールなどで飾り付けられています。真ん中に心棒があって、てっぺんに折り紙の星が付いています。

なんて、心がこもっているのでしょう! 世界に一つだけのツリーです。

「やられた~!」

裕美ちゃん先生からは「やったー!びっくり大成功!」のメール。

いったいどうやってお応えしたらいいのでせう  まだ年賀状のデザインも出来ていないのに・・。
ああ、年が明ける。良いお年を!


本願寺・御影堂

2009-12-31 14:33:05 | Weblog
翌、25日はクリスマス当日。
帰ってやらなければならない事も色々あるけれど、せっかく京都に来たのだから、少しくらい観光したいなー。

・・と思い出したのが、BSで見た大屋根を修復した《御影堂》

確か、本願寺と言っていたけれど、《西》だったか《東》だったか・・?

「東本願寺だったかなー? 地図で見るとこちらの方が広いし・・」ってな具合で、ホテルに荷物を預かってもらって、身軽になって駅を越えて京都タワー側へ。

京都タワーのビルでお土産屋さんをのぞいて、そのまま北上すると、道沿いに大きなお寺が。
「いのちを生きる」と親鸞上人のお言葉が書かれてあります。ここが《東本願寺》

再来年が750年回御遠忌だそうで、今からその準備を着々と進められている雰囲気でした。

広い境内に入ると、正面が御影堂。左側の阿弥陀堂は、大きな建物に覆われて、BSで見た御影堂の修復と同じような事が行われているようでした。

早速、靴を脱いで備えられているビニール袋に入れて、御影堂に上がります。

中は、正面奥に親鸞上人の御像が据えられ、広い畳敷きは、左右にざっと50mほど。静かで、落ち着いた空気の中にかすかに抹香の香りが漂っています。750年もの月日、人々の祈り、懺悔、悲しみ、感謝の声をずっと聞いていた空間。それは今日もずっと続いているのです。観光客はむしろ少ないこの季節。信徒と思われる年配者が2人ずつ、夫婦と思われる方など、密やかなつぶやき声が、いっそう静けさを感じさせます。入り口付近で、ずっとべーべー泣き続けている女性がいて、よう説法、説話に登場する人物かのように思われました。

境内が広いので、表通りからも距離があり、本当に静か。この空間の《楽の音》に聴き入りました。今まで経験した事のない、特別な空間だと思いました。

内部は撮影禁止なので、入り口外から、こっそり親鸞上人像を撮らせて頂きました。

グッズを売っている建物に入り、お豆のチョココーティングしたお菓子、お抹茶などを購入。満足して通りに出ました。

まだ時間に余裕があるので《西》にも行くことにしました。奥の塀沿いに西に向かって歩くと、堀川通りに面した《西本願寺》に出ました。お天気が良くて、手をかざさないと日焼けするかと思うくらいでした。

入り口のお坊さんから、白黒のコピーの解説パンフレットを受け取ってビックリ。『御影堂、平成11年より10年に渡る修復を行いました』と書かれてあったのです。

なーんだ、BSで見た御影堂はこっちだったんじゃない。アハハ、恥ずかしい。時間があってこっちに回って良かった・・などど思い、一人で苦笑いしながら拝見。

確かに《東》より、大きな屋根です。先端の鬼瓦も、テレビで見た図柄でした。内部に入ると、左右は同じくらい、畳の数で計算しておよそ50mですが、奥行きが《西》の方が狭いようです。そのせいか、外界の音がずいぶんと聞こえて《東》のような静寂はありません。修復された大きな柱に巻かれた蛍光電気の覆いの金箔、やはり金箔に覆われた奥の柱など、部分的に見ると美術館のようで、全体的に見ると世俗的な空気を感じました。

平成の世の人が後世に向かって「我らは、平成の世にこれをやったが、どーだ?」と言っているような気負いも感じました。

畳の向きが《東》と《西》で、縦横が違うのも不思議な感じ。「わしらは違うやり方しとるんや」と言っているかのようでした。《東》と《西》の関係については、調べたら色々出て来そうな、そんな話を聞いた事があったような気もしますが、敢えて放っておく事にします。

弟一家がまだ京都に居て、毎年2回ずつくらい京都に来ていた頃から一度訪れてみたかった《本願寺》 人気の少ないクリスマスの日に見せて頂きました。面白かったです。



ロッキー・打ち上げ

2009-12-31 00:58:19 | Weblog
帝国チャペルでの本番を終えて、軽くハイになり、打ち上げ場所探しの先頭に立って歩いていましたが、隣のプラザはとっくに閉館。敷地の外へ繰り出しました。幸い2~3軒、電気がついているお店があって、「お好み焼きは?」というじゅんこ嬢を制止して「焼き鳥でしょう!」

日頃、そんなヒト様を制するような発言を滅多にしないワタクシ(そんな事ないゾ、という声が・・?)ですが、きっとハイになっていたんですね。許して、じゅんこ嬢・・。

その焼き鳥屋さんを覗くと、お客がひとりもいないので、もう閉店か、と立ち去ろうとしたら「すみませーん、どーぞ、どーぞ!」と慌てて出て来て呼び入れられました。

この焼き鳥屋さん、どれを頼んでも美味しくて“大当たり”。韓国人のお店で、ロッキーといいます。

写真は《マッコリ》 ヤンネが注文した韓国製の《どぶろく》のような白濁のお酒です。私は初めての出会い。じゅんこ嬢も明子マネージャーもこれから運転なので、お気の毒でしたが、私が少し頂きました。《どぶろく》に比べると6%だし、お味もややソフト。《マッコリ》は、足が速いそうで、一度封を開けるとじきに悪くなるそうです。半分くらい残っている《マッコリ》瓶は、じゅんこ嬢がお持ち帰り。

ホント、どの焼き鳥も美味しかったし、チヂミの表面のカラッとして美味しいことったらありません。「来年も此処やー」

京都駅前のホテルに送ってもらったのは、すでに1時頃になっていました。お名残惜しいけれど、タンゲロス・アルティコスもしばしのお別れです。再会を期して、愉しかった、美味しかった想いを抱いて、See you!

関西の旅は、翌日へ・・。

大阪帝国チャペル

2009-12-30 17:44:28 | Weblog
3時頃には帝国ホテルに到着したのですが、演奏会場のチャペルは、このイブの日に結婚式を挙げたいカップルが急に入った、ということで、「そりゃあ、ホテルには有り難いお申し出よね。仕方ないでしょうねー。」などと、一同、妙に納得して、《特別ミュージック・ルーム》なるお部屋へ行かされました。

大きなブラウン管のテレビやオーディオ・セットなどが置かれた、さほど広くはないけれど、VIP が来ても一応困らないお部屋のようでした。ピアノは程度の良いアップライトでしたが。

そこで、1曲合わせたかどうかくらいで、すぐにチャペルに移動。
「移動ばっかし・・」と文句を言うのも体力、気力の温存には不利に思われ、何も言わずに、全荷物をまとめてコロコロ荷物を転がします。

今年、1月に来てすでにお馴染みのチャペル。
確か、ここは寒かったような・・。そうでした。何処からともなく冷風がやって来るのです。

写真のとおり、正面に立派なオルガンがあり、高い天井は、中世ヨーロッパの物語に登場しそうな、十字軍の騎士や、その時代の女性像などステンドグラスに囲まれています。ピアノはハーフサイズのスタインウェイで、響きはリッチです。

お通夜の準備を済まされた畑さんも到着。プログラムを一通り確認する時間はたっぷりありましたが、どんどん冷えました。

アンコール用の“アディオス・パンパミーア”は、音域がハイテンションになるので取りやめ。アルティコス・トリオも思わぬ譜面の不整備があって曲目を変更。ヤンネが紹介披露したい、フィンランドのクリスマス・ソングを入れました。物悲しげな美しい旋律で、プログラムの良いアクセントになりました。

畑さんは、いつもの《底なしのパワー》とはいかず、控えめの雰囲気でしたが、お客様には全く悲しみを感じさせないで、頑張っていらっしゃいました。この後、まだまだ29日まで本番があるそうでした。

お客様は、「こんなに喜んで頂いて良いのか?」と思うほど、心の底から喜んで下さったようなお顔ばかりでした。ゲネプロに比べると、全くと言っていい程、残響が無くなり、気温も後半になって上がっていました。お客様をお見送りした後、プロデューサーから即、「来年も頼んますわー」

丹波篠山から、私も消しゴムはんこを創って頂いた、アーティストの加藤さんご夫妻も見えていて、嬉しい再会を果たしました。ヤンネのサポーターで私も度々お世話になっている高井さんもお元気なお姿を見せてくださり、皆さんとまたの再会を約束しました。とっても暖かい気持ちに包まれて、至福の時・パート2となりました。

吹田ロータリー・クリスマス会

2009-12-30 17:18:01 | Weblog
12月24日、いよいよ本番の日。

京都駅前のホテルに泊まっている私を、迎えに来てくれた明子マネージャーの車で、吹田に向かいました。
大阪府だとばかり思っていたら兵庫県ということで、今回も、京都、大阪、兵庫の3県に渡っての移動だったことが分かりました。去年来た、尼崎周辺も通って、懐かしんでいたら、10時半ころ、吹田市の商工会議所みたいなものが集まっている建物に到着。

6階の集会所が、ロータリークラブのクリスマス会場になっていて、早速セッティング。ピアノはクラビノーバでした。タンゴを演奏するのに、もちろん生ピアノに越した事はないけれど、有り物の範囲でやる事には慣れております。

前日、お父様が他界されたテノールの畑さんは、吹田にはおみえにならず、畑さん抜きで、中村さんのMCで、そしてタンゴについての説明などは私に振られるという程度の打ち合わせをして、着替えてさっさと会席弁当を頂きました。

本番中の写真が無いので、行った先々、どこも食事の写真がアリバイ証明のように登場してきてしまいますね。でも、なかなか美味しいお弁当でございましたよ。

チト分かりにくいですが、お刺身の小鉢にひょうたん型の氷が・・と、思ったら、ひょうたん型の容器に水が凍らせてあったのでした。でも、初めて見たので、新鮮な感動があってパチリ。

中村朋子さんの関西人のノリの頑張りで、ここでの本番を無事終えて、大阪帝国ホテルに向かったのでした。ピューッ。

先斗町・のん亭

2009-12-30 11:56:12 | Weblog
豪華な幼稚園でのリハーサルを10時過ぎまでやらせて頂いて解散。
昼間のバッハのコンサート後にお父様の訃報を耳にされ、それでもリハに参加されたテノールの畑さんは、ソプラノの中村さんの車でご実家のある丹波篠山へ。 じゅんこ嬢は、奈良葛城市の自宅へ直帰。

京都に残ったヤンネ、明子マネージャー、ワタクシの三人は、「うどん、うどん・・・」と騒ぐイクミさんのお腹を鎮める旅に出たのですが、10時半にもなると、暖簾を片付けているお店が多く、来年は間違いなく話題になる龍馬の妻、お龍さんがいた家との碑が立っているお店も入れず、先斗町(ぽんとちょう)に行きました。

「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も、雪に変わりはあるじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ」

んー、まつのき小唄、じゃなくて、何だったか題名は忘れましたが、知ってますよ、この歌。これで覚えた有名な先斗町に、来られて、ワクワク、大はしゃぎ。もう、うどんじゃなくてもいいです。

「イクミ、ココ先斗町」ヤンネの後を付いて行くと、狭いけど清潔な路地。真ん中に長四角の黒っぽい石が斜めに嵌め込まれた通りをずっと踏みしめ、先斗町のれん会の提灯がそこかしこにぶら下げられて、落ち着いた風情の中にも、新しくよく整備された風通しの良さを感じる通りでした。

薄青緑ののれんをくぐり、赤い扉を開けると、奥へ通され、突き当たりのお座敷へ案内されました。その向こうは鴨川。そうです、有名な夏の風物、鴨川の川床でした。流石にクリスマス・イブの前日、天皇誕生日ですから、窓はガラスがはめられ、ストーブが炊かれていましたが、すだれはそのままなので、夏の川床のイメージがあります。

「やったー!」 そりゃあ、大喜び!

パーキングに車を停めてきた明子マネージャーも合流。

写真は、サバ大根のお鍋と、ブリのお刺身。白髪ネギを巻いて、タレにつけて頂くと、トロッと口の中でとろけました。他に、茄子をごま風味で炊いたもの等、いくつかおばんざいも頂きましたが、サバ大根鍋は、一生忘れない思い出の味となりました。

寒い季節に、夏を思い出しながら、ぬくぬくストーブを背中に、美味しいお鍋に舌鼓。ああ、一つの至福のかたち。

アルティコス・トリオ 暮れの陣

2009-12-30 00:23:09 | Weblog
今年の1月下旬に大阪帝国ホテルでチャペル・コンサートに、テノールの畑儀文さん、ソプラノの中村朋子さんと、アルティコス・トリオで出演して、思いのほかの評判を頂き、出演翌日に決まっていたクリスマス・コンサートの為に、私だけ東京から(ウソ、新横浜から)新幹線で関西へ。

24日イブのコンサートに合わせて、23日の夕方から、ヤンネのファンでもある京都の幼稚園でリハーサル。
去年の3月にもリハーサルと、本番もあってお邪魔した素敵な設備の整った幼稚園だけれど、写真は、去年は無かった新しいお部屋。“星の部屋”で、天井から星型の銀色のモビールが沢山吊るされてあって、壁にも星型が沢山埋め込まれた、おとぎ話に入り込んだような、素敵なお部屋。響きも温かく心地良いし、ピアノがヤマハのG3なのに、とても素晴らしく、S-400 かと思うほど。

こんな素晴らしい環境で育った子供たちは、どんな贅沢な大人になるんでしょう?

ヤンネ、じゅんこ嬢と、バンドネオン抜きのトリオ・バージョンのレパートリーを練習し始めていると、畑さんが中村さんと現れる。「今日、さっき父が亡くなったんですわ・・」

どーなる、あしたの本番!?

つづく・・。

愉しい打ち上げ・其の3

2009-12-29 22:41:23 | Weblog
日本語だけの世界では、なかなかこういう写真は撮れないでしょうね。

英語では二人称はYou しか無いけれど、たいていのヨーロッパ語では、Tu やDu などの近しい二人称とVous やSie などの距離感のある二人称の2種類がありますが、私たちは明らかに“近しい二人称”の方で話していました。

日本語では、年齢差のある場合の表現方法が予め用意されているので、世代が違うとタメ口にはなり難いものです。

日本語同士だったら、「イクミ、ノー、そこはテンポを変えないヨ。その後から急に速くするんダ。」なんて言い方は絶対にしないでしょう。でも遠慮することなく、フランクに音楽の為に純粋に言い合えるのがとても新鮮で、そういう関係でいられる事が、とても気に入っています。


打ち上げは24時過ぎまで続き、やがてじゅんこ嬢は明子マネージャーと再びレンタカーの人々となって新横浜へ向かって行きました。ヤンネ、ヴィッレと私は駅前のホテルに送って頂き、長い一日を終えました。

翌日、仙台に行くというヤンネ、ヴィッレと一緒に・・と思ったのですが、翌日はオケの本番で、ピアノにシリアスなソロがあった事を思い出して、上野経由で帰途につきました。朝8時台の原ノ町駅、同じホームで上りと下りほぼ同時に来た電車でフィンランド人コンビと慌ただしく手を振り、別れました。

長~い足掛け4日間。(ヤンネとは5日間)
我ながらよく走り抜きました。

そして、11日後には、また続きが・・。

愉しい打ち上げ・其の1

2009-12-29 22:20:46 | Weblog
本番後は、ターキーという大人の雰囲気のお店へ行き、舘野泉ファン“タピオカの会”の皆さんのご招待で打ち上げがありました。

一昨年も《ゆめはっと》で演奏させて頂き、同じ《ターキー》での打ち上げにも参加させて頂き、私は印象に残っていたのに、“タピオカの会”には余程、印象が薄かったようで、今回は初顔のように思われて、やたらとチヤホヤされてしまいました。

実は、本番の途中から、ちょっとした腸炎かな、と思うようなお腹の痛みがあったのですが、美味しいシャンパンを頂いたらすっかり元気になってしまい、これから深夜運転で飲めないじゅんこ嬢の分のシャンパンまで飲んでしまったのですが、全然平気。ますます調子に乗って、グラデーションの綺麗なマンゴー・カクテルも頂いてしまいました。

写真は、時空を超えて、音楽の純粋性で理解し合えてじゃれ合う仲間です。