室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

スルガ銀行=WESTERN UNION

2007-05-31 14:22:40 | Weblog
私が編曲出版している楽譜は、ときどき海外からインターネットを通じて、注文される事があります。そういう時の代金の受け取り方法として、国際郵便為替、又は、WESTERN UNIONを使っています。4月にドイツ在住のUrlich Frenschkowski 氏から送金されていた分と先日オランダ在住のYolannda Uriz Elizaldeさんから送金された分を出金するために、日本で唯一WESTERN UNIONを取り扱うスルガ銀行へ月曜日に行きました。その時の事です。

2件分を用紙に記入、提出してから1時間以上経って、入金されている事だけ知らされ、それから更に30分程してから、「2件のうちのオランダからの方が、受取人の名前が中山でなく、NAYAMAになっているけれど小額なので良いことにしますが、ドイツ人からの方はミドルネームが抜けているのでお金を渡せません」と、それまで窓口で応対していたのとは別の、無表情な若い女性に言われました。先方とは何度もメールのやり取りをしていますが、一度もミドルネームが書かれていた事はありません。2時間近くも待ってミドルネームがわからない為に受け取れず、先方にメールでミドルネームを知らせて貰う為に出直しして、また待たされる銀行に来いというのは、あんまりでしょう。

その上、その無表情の女性に「お客様はミドルネームというものをご存知ですか?欧米の方にはよくあるもので、先方からの書類に書かれているそうなので、ミドルネームが分からなければ本日はお金をお渡し出来ません。」とまるでミドルネームも知らない無知な客に応対する態度をされ、一方、電話口のWESTERN UNION担当者には、まるで大切な取引先に指示を仰いでいるような慇懃な態度が見受けられ、だんだん腹が立ちました。「WESTERN UNIONは別会社なのですか?」と聞いたら「当行の一部門」ですと答えられ、呆れました。

住所も電話番号も10桁の取り扱い番号も揃っていて、ミドルネームが抜けている程度の不完全さのどこに不正な出金の疑いがあるというのでしょう?そう思ったので「納得がいかない!」と言いました。すると上司らしい男性もやってきて「そういうシステムになっております」と繰り返します。「納得がいきません。あなたには判断をする権限が無いでしょうからWESTERN UNIONの部署の人と直接話をさせて下さい」と強く言いました。そうしたら男性が電話するように指示し、WESTERN UNION担当者と話しました。担当者の判断で出来る程度の事なのに、余りに杓子定規で融通が利かなさすぎると思う、と納得がいかない旨言いました。「オペレーターの判断では出来ない」と言われたので、「上の人を出して下さい」と言いました。すると「では、こちらから連絡するのでお待ち下さい」と言われました。更に待っていると電話がかかり、無表情の女性に「今回に限りミドルネームが無くても出金しますが、次回から気をつけて下さい」と言われました。{

 帰宅後、Urlichにメールをしたら、返事がすぐに来ました。「僕はミドルネームは無い」
ドイツから届いた用紙に、いったい、どんなミドルネームが書かれていたんでしょう。金額も本人が¥9340分送ったつもりなのに、私が受け取ったのは¥9060 だったので、Urlichは、「おかしな銀行だ」と言っています。なんとも、気がおさまらない感じがするので、スルガ銀行のWESTERN UNION部門に質問状を出してみようかな、と思っています。
経緯を説明した上で、

 質問1ドイツ人Urlich Frenschkowski 氏のミドルネームは何と書いてあったか?
 質問2私が請求した¥9340 を本人が送金したと言っているのになぜ¥9060 になったのか?
 質問3片方では受取人の名前が不完全でも出金し、片方ではミドルネームが抜けているというだけで出金を許可しないという矛盾したシステムを改善する必要性を感じるか?感じられるなら、今後どんな具体的な改善をされるか?

勘違いや、手違いは有り得る事ではあるけれど、あの時の一方的な「今回に限り、見逃してやる。以後、気をつけろ」的な態度。あれは、思い出すたびに腹が立つなあ・・。

色々ありました・part 4

2007-05-29 01:25:35 | Weblog
色々ありましたよ。
【其の4・プログラム編】
今回の企画は、3月に西宮で行われた”オウルンサロ音楽祭in兵庫”の一環として、今年が没後50年に当たるシベリウスとコルンゴルトという2人の作曲家を取り上げて、プログラムが組まれました。

シベリウスは大作曲家の年表に名前を連ねる大作曲家。決して早熟タイプではないけれど王道を行く名作を数多く残し、60歳以降殆ど作品を発表せず、91歳まで生きておさらば。一方コルンゴルトは、神童と呼ばれたにもかかわらず、ハリウッド映画で仕事をした(現在のジョン・ウィリアムス等の映画音楽の基礎を作った)ことが、かえって評価を下げられる時代に生きて、最近再評価されてきている作曲家。25歳違いの、この対照的な作曲家は、シベリウスがウィーンに留学中に、出逢ったかどうかは定かではないけれど、シベリウスが日記の中に、まだ10代のコルンゴルトの作品に触れて「彼は若き鷲だ!」と書き残しているそうです。

いみじくも、二人とも、2つのヴァイオリン、チェロ、ピアノという同じ編成で作品を残しており、コルンゴルトの左手ピアニスト用の大曲をメインに、25歳のシベリウスの四重奏の方を全体のイントロダクションとし、その間に、双方の歌曲を入れて華やかに、しかも比較の妙を深める効果を持たせる、考えれば考える程、素晴らしいプログラムでした。(お客さまの中には「2つの音楽会を聴いたようでした」という方が結構ありました)

さて、初日の原ノ町に、私が遅刻して楽屋に入ると、楽屋も廊下もただならぬ気配。私の遅刻のせいか・・? と、ちっちゃくなっていると、「プログラムの順番が違う、と舘野先生が怒っていらっしゃる」と、メゾのゆかりさんが、青くなっていたのでした。ゆかりさんの出番で歌われるコルンゴルトの歌曲とシベリウスの歌曲。シベリウスの”アネモネ”を中心とした”6つの花の歌”の方は、1曲ずつが短く、可憐なイメージ。それに比べ、コルンゴルトは濃厚な”愛”をテーマとした曲で構成され、特に4曲目は、派手で華やかにして激しい”大盛り上がり”の曲なので、歌曲のコーナーだけを考えると、その曲に向かってクレッシェンド、と考えやすい組み合わせになっていたので、彼女はシベリウス、それからコルンゴルト、と考え、練習もしてきたのでした。ところが、舘野先生のお考えは、シベ、コル、シベ、コル。前日、主催マネージャーとの打ち合わせでゆかりさんがシベ、シベ、コル、コルの順に訂正したのが印刷が間に合って、当日のパンフがシベ、シベ、コル、コルになっているのをご覧になった舘野先生が「これは、違う!」とおっしゃったという事件になっていたのでした。

ゆかりさんは「ど~しよう!!」
とにかく練習をその順番でしていたので、そう言ってしまっただけで、他意はなく、申し訳ありませんでした、と立て板に水。先生に口を挟むすきを与えずに謝りまくり、先生はただ圧倒されて、一瞬のポーズののち「色々、行き違いはあったけれど、そういう事で、まとまりました」とゆっくりおっしゃいました。これを後でゆかりさんがご本人を前に仕草ごと真似して、のちのち、繰り返し繰り返し笑いました。

実を云うと、シベリウスの四重奏曲の楽譜を初めて見たときは、私が不得意なテクニックが満載の曲で「えらいこっちゃ!」と思いました。シベリウスの歌曲の中にも、出来れば別の曲にして欲しいな~という曲がありました。とにかくリズム練習を、繰り返し繰り返し、やりました。それまで、ピアソラ作品の編曲を3曲やっていて、14日に始まるリハまで1週間となって、やっと練習だけに集中できる環境になりました。それからツアーまで、そしてツアーが終わるまでの日々、内容を深めて行く作業が続きます。あそこまでやったのは、正直言って久しぶり。お陰で本気になって深めて行くのが、好きだし、愉しいと思いました。これをずうっっと続けたら、かなり上手くなるかもね。なんで、維持できないかしらねえ・・。

最後の本番「ピアソラによせるコンサート」の前日の打上で、主催者の加藤さんが舘野さんにご挨拶をなさいました。「明日は、宜しくお願い致します。」「はい」「ヤンネさんとの新曲をやって下さるんですよね」「いや、あれはやりません」「えっ?」

翌日、昼食後、ゲネプロに向かう車の中で、ヤンネが言いました。「お父さんが新曲をやらないって言った事、知ってるよね?加藤さんがすごく怒ってるって、さっき言われた。そうじゃなくても悪いと思ってるのに、そんなに言われたら、もうどうしたら良いか分からなくて、気持ちが下がってしまう。」彼も芸術家気質なのでしょう。悪いと思っているのに、という気持ちは良く分かります。しかも、板挟みになっている。「でも、リーフレットに『都合により、曲目変更をする事があります』と書いてあるでしょう?だから大丈夫よ。私は、今日、演奏するためにここに来ているんだから、私は、何も気にしないわ」

結局、本番で演奏前に、舘野さん自ら、お忙しくてやりきれなかった事、体調がすぐれない時があった事などお話になったようです。「先生のお辞儀なさる姿を見て、涙が出た」とゆかりさんは後で言っていました。でも、代わりに演奏なさった曲が大変感動的だったそうです。そして、その後のピアノトリオでのピアソラ作品の演奏は、愉しく、後半始めのジャズ・ハーモニカ足立安弘さんの演奏でバラエティの花を添えて頂き、この日の中心人物、乾千恵さんの画文集の一部の朗読と、その中からの3曲、そして一番の名作”アディオス・ノニーノ”をピアノ・カデンツ付きでフルサイズ演奏し、アンコールにヤンネのヴァイオリン・フィーチャーで”ジェラシー”を弾いて終了しました。素敵なヴァイオリンと、良く響く誠実なチェロとの共演、私は気持ちよくやれました。演奏を楽しめました。

毎日、素晴らしい響きの会場で、素晴らしい調律の素晴らしいピアノで、素晴らしい共演者たちと、素晴らしい芸術家の刺激と共に演奏できる、これ以上何も望めない環境の中で過ごさせて頂いた、中身の濃い日々でした。演奏後に「四季のぽぷりを編曲された中山さんですよね?」と声をかけて下さった方もありました。「ピアソラの編曲譜使ってます」という方もあり、嬉しかったです。そもそも舘野さんとの繋がりも、”リベルタンゴ”でした。ピアソラさんのお陰というのもありますが、出版の機会を与えて下さった関係者各位にも、改めて心から感謝します。今回の企画に声をかけて下さったヤンネ、企画を立ち上げて下さった小笠原さん、加藤さん、拙いピアノの参加を認めて下さった舘野さん、共演者の皆さん、スタッフの皆さん、関係者の皆さん、そして聴きにいらして下さった皆さんに、心から感謝申し上げますう。(すう~、というのは篠山弁)






色々ありました・part 3

2007-05-26 02:16:38 | Weblog
色々ありました。
【其の三・ディナー編】
毎日がそれぞれ各地でイベント扱いだったので、美味しいモノをいただきました。

初日の原ノ町、ゆめはっとで出た楽屋弁当は、珍しい洋食系で、オシャレなサンドイッチが2切れに、スパゲッティ、フルーツ。終演後の打ち上げを見据えて、軽めのお弁当を用意して下さったのでしょう。それにしても、美味しいサンドイッチに感激! それにしても、初日で、しかも遅刻した動揺もあってか、全部いただく余裕が無くて、残してしまったのが心残り・・。
この日の打ち上げは”ターキー”という歴史のあるお好み焼きとバーを兼ねたお店で、タピオラの会の方々も多くいらして、演奏者の他、司会をなさった音楽評論家の真嶋雄大氏、ゆめはっとの設計者の林氏、ゆめはっとのスタッフ、南相馬の市長さんもいらして、大いに盛り上がりました。殊に、林さんがリクエストに応えて”椰子の実”をお歌いになって、こんな良いお声をお持ちだから、あんな素晴らしい響きのホールが出来たんだな~と、誰もが思いました。 お料理も沢山出ました。鮭入り薄いお好み焼き、串揚げ大皿、お刺身盛り合わせからフルーツ盛り合わせまで、意匠を凝らしたご馳走でした。”野馬追”で有名な相馬の土地柄もあるんじゃないかな、と思いますが、地元の皆さんの郷土愛が積極的な文化事業への参加の原動力になっている感じがして羨ましかったです。

翌日、東京での打ち上げは、代々木上原駅前の”我や”で、演奏者チームとお客さんチームに分かれてしまったけれど、謎のフランス人(後に、楽器製作職人であることが判明)が2人入っていて、賑やかに盛り上がっていました。居酒屋はどうしてもお互いにがなり合いになってしまい、会話も分散してしまうなあ。翌日の兵庫移動用、新幹線の切符が届いているかどうか、なかなか確認ができず、全部のコースが出る前に席を立って帰宅しなければならなかったのは残念。

柏原駅からほど近い、丹波の森公苑でリハーサルを終えて、ささやま荘にチェックインしてから行った焼き肉の”やまざき”(だったと思う)はとても美味しい焼肉店でしたあ。ミノ、レバー、つらみ等、どれも新鮮で上質なので、普通の上ロースも上質。ビビンバ、クッパも美味しかった。もう、美味しくない焼き肉店には行けないなあ。 この日、会場リハを終えて、腹ぺこで行った焼き肉を自分たちで焼いて、急速にメンバーがうち解けることができたのが、何よりの収穫だったかもしれません。

20日の本番前、楽屋弁当は、地元の高井さんの手作りで、いったい何品目あるのだろう、と思うくらい沢山の種類のヘルシーなおかずが少しずつ、オシャレに盛りつけられていました。完食のあと、ブルーベリーアイスクリームも頂きました。 本番後の打ち上げは、柏原から近い”ふくろう”という割烹系のお店。なかなか落ち着かず、乾杯までに時間がかかったのに、ホテルお迎えのミニバスに乗るため、打ち上げは7時半に強制終了。 チェロのアドリアン君と私以外は、皆さん、二次会に出掛けました。私は、すでに自分としては充分に飲んでいたので、やめておいた方がいいかな・・という感じでした。ホテルの廊下で「あら、行かなかったの?」「もう、酔っちゃったから。僕はあまりお酒に強くないんだ」から始まり、お酒に強くない二人が、30分以上”酒談義”。 実家がコート・ド・ローニュのワインセラーというアドリアンは、25歳頃まで、全く飲めず、興味もなかったけれど、年々飲めるようになってきたから、10年後にはウィスキーが飲めるようになってるかな・・と、時々極端なジョークを云います。お陰で、すっかり親しみが持てました。

21日のランチは、パスタ屋さん。一昨年に篠山に来た時に演奏した”お菓子の里”のすぐ隣の、茅葺き屋根の和風の建物で、内装も和風の調度品が置いてあり、素敵なイタリアンでした。丹波篠山は、素敵なお店がいくつもあって、この土地に憧れて入って来る人がけっこう多い事がわかります。 本番前の軽食は、私の拳より一回り小さい、丸いパンのサンドイッチで、一つ一つ透明の袋に入って、ピアソラはんこのシールが貼ってある”ピアソラ・サンドイッチ”。お味も美味しかった。 さて、打ち上げが、高級そば店。一品ずつ「これは、コゴミですね」とか「このそば汁スープ最高!」とか「この但馬牛は柔らかい」など言いながら、愛でながら頂くのが何よりの愉しみです。この日の主人公、ハンディキャップの画家、乾千恵さんを囲んで、打ち上げは12時ちょうどに終了。ささやま荘まで5分の急な上り坂を気持ちよく歩いて帰りました。

食は、人に喜びを与え、喜ばされた人々は、互いに親しみを覚え、惹いては演奏上での信頼感にまで発展する、大事なツールですね。

色々ありました・ part2

2007-05-24 18:50:13 | Weblog
色々ありました。
【其の2・ステージ編】
初日の原ノ町”ゆめはっと”で、プログラムの1曲目、シベリウスのピアノ四重奏曲を演奏し終えて、4人でおじぎをした後、ピアノの譜面台の譜面をかたづけて持とうとしたら、「イクミ、譜面は誰かが持ってきてくれるものだから、置きっぱなしでいいんだよ」と、共演者のヤンネに云われてしまいました。その上、ステージから舞台袖に入る直前に、レディファーストで、前を歩いていたメンバーが道を譲ってくれているのに、当然のようには入れず、譲り合ってしまいました。ウッウッウッ 日頃、大事にされ慣れていないワタクシ・・。袖に戻ってきてまで、また別のメンバーに「楽譜は置いてきていいんですよ」と云われる始末。

続いて、メゾソプラノの駒ヶ嶺ゆかりさんのコルンゴルトとシベリウスの歌曲の伴奏では、とにかく、ゆかりさんの鮮やか黄緑のドレスの長めのすそを踏まないように”三歩下がって師の陰踏まず”を鉄則に、伴奏者らしく、控え目にステージに出ました。終わって、再び舞台袖に戻る時、今度は、しっかり楽譜を置きっぱなしに、帰って参りました。

ところで、ピアニストが複数いれば、ピアノ椅子の高さがそれぞれ違うもので、私が座ったあとに、舘野泉さんに椅子の高さを直して頂く訳にはいかず、椅子が2つ用意されました。私の出番が終わって休憩中に、ステージマネージャーが椅子を取り替えに行ったのですが、楽譜は、そのまま置きっぱなしでした。第2部が始まる少し前にそれに気づき、「すみません、ピアノの譜面台の楽譜を取ってきて下さい」とステマネにお願いしました。やっぱし、”おきっぱ”で許される身分では無かったようでした。

翌日、代々木上原のムジカーザでは、特にステマネはなし。それぞれ自主的に出番をきっちり守ってのステージとなりました。始まる前に、駒ヶ嶺ゆかりさんと「今日は、イクミさんは前半、ずっと板付きだわね」「分かった。ゆかりさんの登場まで、ずっとそのままいるわ。」という会話をしていました。そして、1曲目のシベリウスのピアノ四重奏が終わって、4人でお辞儀をしたあと、弦三人衆は、例によってレディファーストの構えだったけれど、怪訝そうな顔のヤンネに「私は戻らないの」と小声で答え、板付いていました。そうしたら、ステマネ代わりの女性2人がやってきて弦三人衆の譜面台をかたづけています。ガ~ン!やっぱし一旦戻るべきだった。  でも、今更通路を戻るのは、もっと変なので、壁になった顔をして場面転換を待ちました。扉の向こうで舘野先生「イクミさんは、どうして戻って来ないんだ?」とおっしゃっていたそうです。

丹波の森公苑では、”譜面のおきっぱ”にも慣れ、レディファーストにも慣れ、失態は無かった・・筈です。 最終日の「ピアソラによせて・・」のコンサートは、基本的にタンゴの雰囲気で、暗めの会場の中のスポット照明でもあり、さほど”マナー”という感じではなかったので、休憩時に、前半の楽譜を持ち帰り、出入りの順番も拘りませんでした。 これが馴染んだ姿、大事にされていないピアニストの・・。




色々ありました【其の一】

2007-05-23 01:57:44 | Weblog
「シベリウス&コルンゴルト没後50年記念コンサート」が先週14日に始まった3日間のリハーサルから、昨日の”ピアソラによせるコンサート”が終わって、今日帰るまでの9日間、全日程が終了しました。 無事に終わったか・・?いや~、それが、色々ありました。

【其の一】交通編
 先ずは、ツアー初日17日の原ノ町行きの朝、川崎での人身事故で東海道線が大幅に遅れ、各駅ごとに、駅の手前で前の電車が駅から出るまで待機して、益々遅くなり、10時のスーパーひたちに乗り遅れてしまいました。 おまけに1時間後の電車はいわきから先は各停で原ノ町まで84分もかかり、結果的には1時間半の遅刻になってしまいました。「不可抗力だから仕方ない」とおっしゃって下さる皆さんの優しさが身に染みました。

その翌日、上野に向かうスーパーひたちが、強風で大幅に遅れる見込みであることが分かり、タクシーで山越えして福島から新幹線で東京に向かうことになりました。これが素晴らしいドライブとなりました。爽やかなお天気で、新緑の山々、遅咲きの山桜、高い木々の合間に藤の花が至るところで咲いていて、あっという間の90分でした。代々木上原のムジカーザに着いたのは、希望到着時刻の1時間後でした。

さて3日目19日は自宅から兵庫の丹波篠山への移動日で、9時半頃新横浜の新幹線で新大阪に着き、12時5分の福知山線に乗り換える予定でした。新大阪駅の電光板で12時5分を探すと、ありました13番線。ところが、これが大間違い! 「高槻の次は京都」とアナウンスしていたのです。それまで、2号車を探して、スーツケースを転がしながら、11号車から何枚のドアを開けたことでしょう!道理で、指定席っぽくない電車。通りかかった車掌さんに聞いたら「京都で1分乗り換えで新大阪方面の電車が来るけれど、無理でしょうから、新大阪で1時間時間位、電車待ちになりますね」と言われました。電車が着くのが2番線で、乗りたい電車は5番線。階段もちかい!京都駅1分乗り換えに賭けることにしました。スーツケースを持ち上げ、ダダダダダ・・階段を駆け上がり、またダダダダダ・・駆け下りる。発車のベルが鳴っていたけれど、メゾソプラノの駒ヶ嶺さんが乗りおわるとドアがしまる。間に合いました。一方、レールパスを持っている弦楽器組はレールパスでは”のぞみ”には乗れなくて、”ひかり”に乗るのに、混んでいてグリーン車しか空いていない、とみどりの窓口で言われ、別途グリーン料金を払わされた上に、福知山線を乗れない筈の時間の切符を渡され、私たちが乗車せざるを得なくなった福知山線の自由席に座っていました。こうしてこの日、始めて合流できました。

「どうも、毎日”電車トラブル”が続いているね」「明日から3日間は電車に乗らないから大丈夫」などと日本語、英語、フランス語、フィンランド語で話ながら柏原に着いたのでした。

”道産酒の会ミュージックタイム”と”坂の上のコンサート”

2007-05-13 01:03:07 | Weblog
久しぶりのブログになってしまいました。
ま~、色々忙しかったス。

一昨日は、素晴らしき飲兵衛の会”道産酒の会”にお呼ばれして、尊敬するトラディショナル・ジャズのプレイヤー、クラリネットの後藤雅広さん、トランペットの下間哲さんにお願いして、私のクラビノーバの相手をして頂きました。会のスタートで景気づけの皆さんの歌のコーナーと、終わりの方で15分程度、ジャズをやって、皆さんに喜んで頂きました。これは、お食事中のワンショット。下間さんの手のお猪口の中身は銘酒”北の誉”。Vサインの後藤さんは、ほぼ下戸。私も大して強くない(殆ど弱い)けど、一口くらい舐めたいところですが、クラビノーバを車で運んで来ているので一滴も飲んでいません。 周りの皆さんから杯を勧められると、下間さんに一手に引き受けて頂きました。酒豪の下間さん、聞き酒大会では期待されましたが、残念、一回戦で敗退。同じテーブルの出場者との打ち合わせさえしてあればねえ・・。
でも、愉しいひとときでした。

さあ、一週間後の18日は、いよいよ舘野泉さんプロデュースのムジカーザ「坂の上のコンサート」の本番です。今年が没後50年にあたるシベリウスとコルンゴルトの室内楽と歌曲の演奏会。恐れ多くも、前半を私が、後半を舘野泉さんがお弾きになります。前売り券は完売で、当日券が数枚だけ取ってあるそうです。実は、このコンサート・シリーズは前日の17日の南相馬市民文化会館、18日のムジカーザ、20日の丹波の森公苑ホール、と3回あり、翌21日は、丹波篠山の黒豆の館で「ピアソラによせるコンサート」があります。乾千恵さんという画家がピアソラのCDを聴いてイメージが生まれた作品をまとめた「7つのピアソラ」という画分集を出され、それとのコラボレーションのコンサートです。「7つの・・」中から3曲は入れて欲しい、という主催者からのご要望で、”ブエノスアイレス午前零時””金星の女たちの歌””ミケランジェロ70”を新たにヴァイオリン、チェロ、ピアノ用に編曲しました。”リベルタンゴ””アディオス・ノニーノ”など、9曲ほど弾きます。舘野さんは、吉松隆さんの”ゴーシュ舞曲集から”と、ヴァイオリニストのご子息、ヤンネさんとのデュエットで新作の”ノクチュルヌ”をお弾きになります。丹波ご出身のジャズ・ハーモニカ奏者の足立安弘さんも1曲参加される等、盛り沢山です。中身の濃~い一週間になりそうです。