室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

深く個人的な・・

2006-10-27 13:31:43 | Weblog
”ピアノ伴奏で聴くバイオリン協奏曲”の伴奏をした。
10人も入れば満員御礼の、バイオリニスト小笠原伸子さんのスタディオで彼女のチャイコフスキの伴奏をした。おおらかでイタリア系の明るさを常に放つ、人柄通りの素敵なバイオリニストで、彼女とはいつも楽しい。お客さん達も愉しんで頂けたようだった。演奏終了後の、お一人お一人の感想が素晴らしい。「バイオリンといえば、自分にとってはこの曲なんです。だからこの曲をチラシで見つけると出来る限り聴きに行く」という方もいらした。「父が亡くなった時のお葬式準備中にたまたま小笠原さんの合奏団のチラシを受け取って、それまで自分自身はクラシックに関心が無かったのだけど聴くようになって、今日は父も聴きに来ているような気がします」など、深くパーソナルに想いが籠められた言葉が続く。
 そーか・・。やってる側の立場としても、クラシック音楽は非常にパーソナルな、深く個人的な部分から発生している音楽を天に向かって表出させている、という意識はあったけれど、聞き手の方も深く個人的な部分で受け止めるものなのだ。それに反して、ポピュラー音楽は、天に向けて出しているものではなく、受け取る側も人に向けて送られたものを連帯感を持って受け止めている。だから”大衆音楽”と呼ぶのか。私にとって、クラシック音楽とポピュラー音楽は”垣根”なく、どちらも魅力ある音楽であれば良いだけなのだが・・。私はポピュラー音楽を弾く時にも天に向かってやっている事に、今気がついた。

プリ号迷子になる

2006-10-23 00:27:55 | Weblog
「武蔵野タンゴを聞く会」の招きで、三鷹へ演奏をしに行った。
こちらへは、毎年お呼ばれして何度目かなのだが、スナック(?)のような雰囲気の所で、ピアノが無い。正確に云えば、物置になっているピアノは有り、一番初めに行った時はそのピアノを弾いたのだが、状態がひどくて、2回目からはクラビノーバを運んで行っている。つまり、車で行かなければならない場所なのだ。
 瞬間燃費や、エネルギーの移動を表す画面付きのプリウスに乗っていることは、私の誇りであるが、残念ながらカーナビは付いていない。第三京浜までは実にスムーズに行ったのだが、環八は渋滞していた。辛うじて動く一番左の車線にいた。そろそろ環八五日市交差点の橋かな・・まだかな、と思いつつ、目の前の大型車に続いて左折したら、まだ上高井戸だった。甲州街道になってしまった。どこかで右折して井の頭通りになりたいのだけれど、道は次第に左カーブ。前回使った地図は見あたらず、父の地図帳は見たい場所が見つかりにくい。
 そのうちに”仙川”えっ?そんな! ”府中”方向?そりゃ行き過ぎでしょう。杏林大学?新小金井?大沢?聞いたことない・・。真昼の通りには人が少ない。それでも途中、何人かに道を聞いたのだが、どうも中央線の北と南では、全くエリアが違うらしく、皆さん説明に窮している。やっと中央線の下を抜けられる道を教わったのだが、1本間違えたらしく、武蔵境の駅ロータリーに出てしまった。ぐるっと一周して一つ先と思った道に入ったら高架橋が見えた。ところがスーパーの裏駐車場で警備員さんがバッテンサインを出している。警備員さんに「三鷹の北口側に行きたいんですけど」と聞いた。「あーそれなら真っ直ぐ行って最初の信号を右です」
 やっと中央線の北側に出られ、三鷹に近づいたのに、また線路に当たりそうになったりしながら、なんとか、やっと現地にたどり着いた。生憎、共演者のバンドネオンのマエストロの携帯しか番号がわからず、しかも普段あまり携帯を使っていらっしゃらないので、なかなか着かない私を心配し始める時間までは、まず携帯に出て下さる事は無いと思い、12時半をしばらく過ぎてから掛けた。「さまよってま~す!」「もうじき着くと思いますが、また間違えました」たっぷり皆さんをヤキモキさせて約束時間を40分過ぎてしまった。
 主催者に「カーナビ付けたらどうです?」と云われてしまった。『ピアノのある処でやって下さいよ』と云いたかったが、来年3月にはコミュニティセンターのベヒシュタインを弾かせて下さるらしい。

みぬまの”なかま”

2006-10-15 13:17:26 | Weblog
 埼玉の「みぬま福祉会」へ演奏をしに行った。ハンディキャップの方達の作業所が何カ所かあるそうで、その中のひとつ、蓮田へ伺った。
 玄関を入ってすぐ左が集会所のようなホールになっている。三角天井の下に”なかま”の皆さんの作品かもしれない10本余りの織物が旗のように左右に渡され、広尾のレストランを思い出された。片隅にヤマハのアプライトピアノが置いてあり、大きな窓からは畑や少し遠くの森、手前の色とりどりの花壇など広々とした景色が見えて、気持ちが良い。
 チェロとのデュオだったのだが、二人でリハーサルを始めると、車いすが2つ寄って来た。そのうちの1つは、じきに押してやられてしまったが、1つの方は迷惑はかけないと判断されているらしく、ずっとその場にいた。が、次第にチェロに接近し、やがて楽譜を覗き、指で五線譜を(違う箇所だけれど)指していたそうだ。目が合うニコ~ッとされ、微笑み返しをせずにはいられない。
 こんな”無邪気”な方達と、お世話をされている職員さん、ご父兄(母親ばかり)それに、交流のあるらしいご近所の方々の前で1時間程度のミニコンサートをした。真っ正面1メートルの所で、絶えず白いビニール袋をくしゃくしゃさせている人がいるけど、取り上げないので、公認なのだろうと察する。小さめの角度の変わるストレッチャーに乗っている人が絶えず「ア~、ア~」と小さい声で云っている。「トルコマーチを弾きます」と言ったら手を挙げて「好きです!」と答える人がいる・・。しーん、と静まりかえってはいないけれど、音に触れる喜びと、にこやかな笑みが充満している空間で演奏する、という始めての体験だった。花束を渡す役で車いすを押されて近づいて来たうちの一人は、一生懸命「アリガトウゴザイマシタ」と言ってくれた。もう一人は、目が左右別方向に向いていて、絶えず首が動いている。花束の端をつかんで、なかなか渡してくれない。その姿を見て、感動して目に涙が溜まってくるのを私は必死でこらえた。この方達を包んでいる愛情に? こんな素晴らしい理想の地を造った英知に? いや、このコントロールの利かない身体の彼から発せられた目に見えない”何か”に触れたのだと思った。
 ほんの数時間訪れただけでは分からない、想像を超えた生活がそこにはあるのだろうとは思うけれど、長年、そういう家族をお世話してこられたご父兄たちのお顔を見ると、色々なものを乗り越えて来られたのだろう充実感と、共通の方向を見ている団結と、力強さを感じた。
 人間ってすごい! ピアノが弾けて良かった。

メントリ終了

2006-10-13 11:23:19 | Weblog
”メントリ”・・・野菜の煮物ではありまへん。
メンデルスゾーンのトリオソナタ、略して「メントリ」と呼ばれています。
バイオリン、チェロ、ピアノの三重奏、つまりピアノ・トリオの名曲にして、難曲(ピアノばっかし音が多い)なので、ずっと避けてきた(できれば他の曲に・・と)のですが「やればレパートリー増えるじゃん」と、自分は余所でやったばっかしのバイオリニストに云われ、承諾してしまい、夏中、暑い時期に、暑苦しいこの曲をさらっていました。第1楽章だけだったんですけどね。
 八戸の小学校でのトリオ演奏を頼まれ、他にも色々編曲もしたりして9月の本番に向けて準備をしていたのが「台風が来そうだ」という事で、延期になり、メントリから開放されるのが、約ひと月延びてしまいました。三人での練習は、延期になる前の9月のリハで2回通しただけ。二人は経験豊富らしいのに、ピアノばっかしが大変な曲を、あとは当日ゲネプロのみ、という状況は、なかなかプレッシャーのかかるものでしたが、昨日、八戸へ行って来ました
 東京駅から八戸まで、東北新幹線はやてで行くと、3時間なんですね。日本地図を思い浮かべると、信じられない速さですが、おかげで日帰りです。昨日、朝7時半の東京駅は、まさに爽やかな秋晴れ。丸の内のビル街の青空には、膨らんだ飛行機雲が、空を駈けるおろちのように力強く浮いて、励まされる思いがしました。八戸駅、階段の下でのピーナッツ南部煎餅試食にも気を良くして、本番がんばりました。
 やっとメントリから開放されました。さしものタフネスも夕べはぐったり。久々にエビスビールの晩酌。今日は快調だ~ (ゲンキン?)