室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

朝ドラ・最終回

2009-09-26 23:29:52 | Weblog
NHKの朝ドラ『つばさ』が終わって、平成21年度も半分過ぎたんだなーと気づかされます。早いな~。

今回の朝ドラは、ちょっとブッ飛んだファンタジー系で、私としては気に入っていたんですが、視聴率はイマイチだったらしく、新聞のベスト20に入ったのを見たことがありませんでした。ヒロインがブリッコではなかった事、50代の両親の迫真の演技・・など、私の評価と世間の感覚にズレがあるんでしょうか・・?

ところで、素朴な疑問ですが、春分の日、秋分の日、夏至も冬至も、なんで“23日”なんでしょう? 冬至を1月1日にしたら、4月1日が春分、7月1日が夏至、10月1日が秋分でキッチリするのにね。

カレンダーは、歴史の中で出来てきたもので、明治維新後に日本が西洋に合わせた時も相当に混乱したようですね。未だに旧暦も活きていますし、中国は未だに独自の暦も使用しているし、様々ですが、いまさら新たに『キッチリ型』に変えようなんて誰も思わないんでしょうか?

今のコンピューター管理の時代、日にちや時間を変更する事はオオゴトで、超ヤッカイ。誰もやりたくはないでしょうねー。

それに、キッチリ1日に合わせるより、一週間前に太陽の暦イベントがあった方が、準備期間が持てて生活が楽という面もあるのかもしれません。

地球の地軸は頻繁に角度を変え、南極点、北極点はしょっちゅう位置が微妙に動いているという話を聞いたことがありますが、これが大きく動いたり、回転の速度が変わったりしたら、暦も変えざるを得なくなるんでしょうね。そういう事態になったら、もう世界中がパニックになって、悪夢のような状態になるでしょう。

オオゲサな話になってしまったけど、物事、世界規模で考えないとねー。宇宙開発、のんびりしたペースでやっていていいのかな・・て時々思ったりします。

夕焼けこやけ

2009-09-25 23:55:06 | Weblog
出窓から見た今日の夕日。

ぎんぎんぎらぎら 夕日がしずむ、ぎんぎんぎらぎら 日がしずむ。


刻々と変わる空の色。その一瞬一瞬を大事に感じたい・・と思っても、イマイチ心弾まないのは、感傷的になりやすい季節のせい? それとも、そんなお年頃なんだべか?

今日は、10/8用の『アイルランドの風』Trio版の編曲をやった・・。
ん~、前進はしてるぢゃん。明日は明日の風に吹かれながら、前進するしかないなー。

よーし、明日は『秋から始まる日本の四季メドレー』がんばろー!

大輪・満開

2009-09-24 11:40:32 | Weblog
昨日、9/23は秋分の日。これからは冬が近づいて来るんですねー。
味わい、趣としては、秋も冬もそれぞれ深みが好きですが、寒いと動くのがどーも億劫になってフットワークが軽くいかないのがちょっとねー。単に、私がナマケモノなだけですが・・。

その麗しい秋分の日がお誕生日という、バイオリニストの小笠原伸子さんのリサイタルを聴きに行きました。

毎年この頃に、バッハの無伴奏ソナタとパルティータを全曲演奏していらっしゃって、今年は6回目だそうです。私は去年に続いて聞かせて頂きましたが、去年の印象とまた明らかに変わっていて、面白かったです。

去年は、特に組曲(パルティータ)の1つ1つの舞曲のキャラクターを良く意識されて、様式の勉強をされているなー、と感心した記憶があるのですが、今年は、それまでに勉強されたものの上に立って、より積極的な表現へ向かって、パワーアップされた印象でした。

「私は、今、ここまで来ました」と見せられて、偉いな~、凄いな~、と感服しました。
彼女は、常に明るく、前向きで、でも突っ張らず、しなやかで、お名前のとおりの伸びやかな方で、一見ストイックな感じからは遠いように見えるのですが、自分の道を確実にまっすぐ、力強く前進しています。歩みを決して止めないところが、偉い!です。

私みたいに、よそ見ばかりしている者は、何倍も努力しなきゃいけないのに、ダメだな~。
つくづく反省しながら、でも振る舞われたワインを頂いてヨロヨロしながら帰って来ました。


夜、小笠原さんのような、凛とした大輪(彼女も儚くはないけれど)が咲きました。
この写真では4つですが、実はもうひと鉢あって、そちらも一輪咲いたので、全部で5つ咲きました。

黄色いおしべから、黄色いパウダーが見えるような気のする香りにつつまれました。幻想的な空気が流れます。

「月下美人は新月の夜に咲くと言われるが実際は、そうと決まってはいない」と、何方かのサイトに載っていましたが、確かに昨日も一昨日もほぼ三日月。一夜限りのショウを夜中2時半頃まで見届けました。

ものずき・・カモね。

反省したばかりなのに。

月下美人・先ずは1つ

2009-09-23 17:44:49 | Weblog
5年ぶりくらいで、今年は月下美人が咲きます。それも、けっこう沢山。

10日位前のブログに、「しずく」と題して小さな蕾の写真をアップしたのですが、その蕾が大きくなり、ゆうべ1つ咲きました。

開くと直径20cm ちかくにもなる大輪なのに、夜咲き出して、朝にはしぼんでしまう、一夜限りの花なのです。

茎は無くて、葉っぱから直接リードが出てきて蕾になり、蕾が大きくなってくると、ぐるっと鎌首をもたげるようにカーブして、花は水平に真正面に威嚇するように大きく開きますが、翌朝は裸電球のようにだらんと垂れ下がります。

大きく真っ白な、強い芳香を放つ、一夜限りの花。

花言葉は、「儚い美」「儚い恋」「繊細」「快楽」「艶やかな美人」

「月下美人のような人」と言われたいような、言われたくないような・・。『儚い』のはイヤですねー。心配しなくても似ても似つかない『ふてぶてしさ』ですと・・?


昨夜は11時頃に「もしかして咲いてるかも・・」と思って玄関を開けたら外で咲いていたので、危うく人知れず終わるところでしたが、今夜はなんと、5つ咲きそうなので、家の中に鉢を入れます。

さぞ強烈な魅惑の香りでいっぱいになることでしょう。

鬼子母神名物

2009-09-21 12:10:52 | Weblog
本当は、ススキの穂のミミズクが名物なのですが、飾れる場所がお酉様の『熊手』で手一杯なので、竹の皮製の可愛らしいミミズクにしました。

普段、仕事でよく通るエリアなのに、往復するのみで散策など全くしたことが無かった目白界隈。皆さんの心暖まるダジャレの洪水を浴びながら、気がつくと一万歩以上(皆さんがお持ちの携帯に付いている万歩計による)歩いて、気持ちの良い初秋の一日を過ごしました。

物事って、手の届かない所からでなく、入りやすいスタート地点からだと、「また行きたい」と思えるんだなー、と思ったのも新しい発見でした。

土肥さん、ありがとうございました。

早稲田・目白散策、続き

2009-09-21 10:33:42 | Weblog
胸突坂をぐーんと登ると、左側に細川家の文化財を管理、保存、公開している『永青文庫』があります。

昭和30年代を思い出させる落ち着きのある建物は、もともと細川家の事務所で、昭和48年から博物館になったのだそうです。中には、アンドレ・マルローやグレース王妃が訪れた際の写真も展示されていました。入場料、10人以上の団体は¥500。

“黄庭堅”(こうていけん)という11世紀、宋時代の書家の「伏波神祠詩巻」(ふくはしんししかん/ 正しく文字を打つ事すら大変!)を展示していました。(あ~、やっと書けた

筆や、墨、硯なども展示されており、ふーん、こういう墨を、こういう硯で擦って、こういう濃い、太い、力強い『気』のこもった字が書かれているのかー、と納得させられます。

文字ひとつひとつは結構読めるのですが、要するに漢文ですから、正確にはちんぶんかんぶん・・。いえ、ちんぷんかんぷんです。 が、しかし、我々には『古文書解読』の伊藤一美先生という無敵の大家がついているので、あっと言う間に大意を教えて頂き、一同「へえ~!」と、トリビアとガッテンの押しボタンを叩きまくるのでした。  

また、面白かったのは、巻物に、朱印がいくつも押してあって、代々の所有者の経緯が分かることでした。中には、10種以上もの朱印が押してある物もありました。大きさも2cm 角から7-8cm の物、円形、楕円など、デザインも色々です。

何世紀にも渡って、色々な人の手を経て、今日まで残されてきた文化財。公の博物館で見ると、創作された当初から博物館に在ったような、極あたりまえな感じがしてしまうのですが、「細川家のコレクション」というように、個人の所有物として見ると、その人手に渡った経緯まで想像したくなるから不思議です。

わざわざ人に見せたくなる“お宝”を所蔵しているというのはスゴイことです。さすが、細川家。お殿様です。そう、現在のご当主は、細川護煕さん。総理大臣をあっと言う間に止めてしまわれたお殿様です。でも、あの当時の費用を全部、ご自分が被り、その為に工芸品の陶芸をやっていらっしゃる話を聞いたことがあります。

敷地内の、新江戸川公演を少しのぞいてみて、この坂を下るとまた登って来るのが大変そうなのが分かって、諦めて、敷地内の喫茶店に入り、休憩。足を喜ばせました。

『永青文庫』の入り口へ、講師の土肥さんが飲み物券(一律¥600)を18人分、代表して買いに行って下さり、皆さんそれぞれ好きなドリンクを注文しました。

私は、写真の、細川護煕さんお手製の器で飲めるお抹茶を頂きました。“江戸茶碗”だそうです。お茶じたいも、器も、上品で軽やか。重たすぎない心地よい充実感にひたりました。

その隣にある『和敬塾』は細川家の本邸があった所で、村上春樹も過ごして「ノルウェーの森」の舞台になったと言われているそうですが、その前を通って目白通りに出て、今度は雑司ヶ谷の『鬼子母神』を目指します。

都電の踏切を渡って、けやきの巨木が並ぶ通りを行きます。この辺りの商店街の『鬼子母神』のオニの字は、自分の子を取られて悔い改め、オニではなくなった『鬼子母神』にちなんで、ツノが付かない、上のチョンが抜けたオニの字になっていました。もちろんパソコンでは変換できず。

『鬼子母神』境内は、大きな木が多く、落ち着いた雰囲気でした。夕方で人が少なかったこともありますが、静かに地元に根付いた、生きた信仰の聖地であることを感じました。

ススキの穂で作ったミミズクがお土産として有名だそうで、お店に立ち寄りました。それをお買いになった方が何人もいらっしゃいましたが、私は置き場所を考えて、竹の皮製のミミズクにしました。どーせ2枚目の写真はアップできないので、オマケ番外編で載せましょう。

5時をまわり、そろそろお腹も空いてきて、自然解散の時刻となりました。鬼子母神、雑司ヶ谷、と少しずつ人数が減りましたが、私は目白組に付いて行き、皇太子様御用達であったという中華飯店で、皆さんと懇親会に参加しました。

美味しく、愉しい一日でした。

さみだれ塚

2009-09-20 21:11:15 | Weblog
さっき『投稿ボタン』を押してアップしたブログは、写真を2枚載せたつもりだったのですが、やっぱし載せられなかったので、芭蕉庵の“さみだれ塚”の写真を別にアップすることにしました。

この石碑に“芭蕉翁の墓”と書いてあり、直ぐ側に札が立っています。その立て札に「さみだれ塚 素堂の弟子馬光が中心となり『五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋』の芭蕉の短冊を埋めて墓とした 寛延三年(一七五〇)」と書かれてあります。

ただ、私が読んだ本によると、芭蕉が亡くなったのは1694年なので、1750年はすでに54年経っているなー。そう書いている本は、昭和36年刊行だから1961年、48年前・・。50年くらいって、結構あっという間かなー、と言えたりする今日この頃・・。

早稲田、目白界隈・散策

2009-09-20 16:05:08 | Weblog
周囲の全ての人を愉しい気分にさせる天才、土肥正文画伯のお誘いで、鎌倉の散策の会《鎌倉由比の会》に参加しました。

鎌倉方面の散策の会なのですが、たまたまこの日は年に一度の“都内散策”の日ということで、コースに『芭蕉庵』が含まれているのを見て、松尾芭蕉に興味がある私は、これはくっついて行って見せて頂きたいと思ったのです。

東西線の早稲田駅に集合して、先ずは土肥さんの母校、『早稲田大学』へ。

大隈重信公の銅像の前を通って、広いキャンパスを進み、突き当たりの演劇資料なら何でも揃っているという『演劇博物館』へ。残念ながら連休のせいか、中には入れませんでしたが、16世紀のイギリスの“フォーチュン座”を模して建てられたという大きめのテラス付きの珍しい建造物を拝見しました。屋根や出入り口の上に歯ブラシのようにトゲトゲが付いていて、たぶんネズミ返しなんだろうと思うのですが、それもデザインの一部になっていました。

それから有名な『大隈講堂』へ向かい、一般道を渡って、その向こうにある『大隈庭園』を目指したのですが、門が開かず、ここも連休でお休みだったようです。

でも、お散歩コースはまだまだ始まったばかりで、神田川を渡り、水神社入り口を見てから『関口芭蕉庵』へ。

ここは講談社の所有で、入場は無料。神田上水の改修工事に芭蕉が関わった時に居住した家だそうです。入り口から建物までの赤茶の大きめの飛び石に、何となく芭蕉の印象を見た気がしました。

先ずはお庭を散策。細長いお池を左回りにぐるっと回ります。奧に行くとお隣の工事の音が聞こえ、古池に飛び込むカワズの音を聴く静けさは有りませんでした。お池の反対側から上の方に延びる通路があったので、上へ行ってみたら、「芭蕉の墓」と書かれた石の塔がありました。

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「五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋」という句を、弟子の馬光さん等が寛延三年(1750年)に埋めて塚にしたものだそうです。こういう物は、後の人が作った句碑より、歴史の証拠となりますね。「芭蕉は実在の人物だったんだなー」と実感できた気がします。

蚊に刺されながら尚もお庭を端まで歩いて、建物に戻って来ました。
中には常駐の管理する職員の方がいらして、土産物の風車みたいな工作をなさっているようでした。寛延年間当時の古地図や、芭蕉の肖像画集や、いくつかの資料などが置かれていました。奧の部屋は、句会の会場として利用されているそうです。そこで一句。

 芭蕉庵 蚊追い散策 句をひねり


芭蕉庵の前が『胸突坂』 長くはないけれど、かなり急な坂道を上り、『永青文庫』へ行きました。長くなりそうなので、つづく・・・。

10/7は是非、関内へ

2009-09-16 20:37:28 | Weblog
今日、2009年9月16日は、歴史的な日だそうで、鳩山総理大臣が誕生し、お題目のように唱えていた“政権交代”が実現しました。この“歴史的”意義と価値は、後の歴史の中で評価される訳ですが、どちらに転ぶにしても、今現在、日本で生きている人の内の多くが“期待感”を持っている事じたいが“歴史的”なんでしょうね。

理想や理念を持って、「とことん国民の為の政治を」とおっしゃっているので、国民は焦らず、じっくり見守るべきでしょうね。そして、我々のような、社会のささやかな愉しみの中で生きている人種が存続できる、心のゆとりのある成熟した社会を理想の中に入れて頂きたいですなー。


さて、昨日予告させて頂きました、10/7 (水)《アストロノーツ・タンゴライヴ in 関内》のお知らせです。

本格アルゼンチン・タンゴ、コンチネンタル・タンゴからピアソラまで、様々なタンゴでお楽しみ下さい。
日時:10月7日(水)19:00 スタート(18:45 ドア・オープン)

場所:関内サロン(横浜バロック合奏団内)JR関内駅北口徒歩3分、又は横浜市営地下鉄・関内駅3番出口より30秒 地上に出てすぐ右の路地の左側2軒目、和風ビル2F 045-222-9681

入場料:¥2800 ドリンク&おつまみ付き(軽食ご希望の方は+¥500 ご予約下さい)

ご予約:こちらのブログ宛てにどうぞ。

40分位のセットを2本の後、懇親会を設けたいと思っております。ご用とお急ぎでない方、特に横浜、湘南方面の皆さま、どうぞ宜しく、ご贔屓に・・。

虫の居所

2009-09-15 10:34:08 | Weblog
気温が25℃あたりの時が、蚊が最も活動しやすいんだそうで、9月になってから、毎日闘っています。

空中でパチンッとやるのはかなり確立が低く、腕か足に止まったところをベチッとやる訳ですが、止まった瞬間でも、既に遅くて強烈な痒みから逃れられません。

部屋の蚊を つぶして収める 腹の虫 


えー、ちょっと違うんですが、今日は腹の虫を据えかねる事件がありまして・・というか、起こしちまいましたな。

毎週、集まってジャズの練習をしているバンドに、時々色んな方が参加しにいらっしゃいます。数曲歌いにみえるのは、こちらも勉強になるし、刺激になる事もあるし歓迎なのですが、わざわざキーボードを持参の方があります。そのキーボードのピアノの音色が石っころのような音なので、他の音色を探して小さめの音量でオルガンの音にして頂く事をお願いして、以来それを守って下さっていました。

ところが、今日は他のメンバーが「せっかく弾いているのが聞こえないから、もっとボリュームをあげたら?」と2人もそう言ったので、音量を上げられました。小岩のようなオルガンの音が絶えずイレギュラーに挟み込まれて、耐えられなくなりました。

気がつくと私の手はピアノを弾くのを止めて、出していた物を全部片づけ、荷物をまとめて「失礼します」と言って外へ出ていました。

頭の中では「大人げないんじゃないの?」「今後どうする気?」「度量の狭いヤツと思われてもいいの?」などの声が聞こえているのに、「これに耐えられる自分ってどんな人間よ?」という声が圧倒的に大きく、手は休まず片づけ続けていたのです。


外に飛び出してから、一応リーダーと責任者に事情説明のメールを送信しました。

後から、キーボードのスピーカーが私の方に向けられていた為に他のメンバーにはあまり聞こえず、私にばかり直撃していた事が分かりました。結局、不幸な偶然が重なっただけの事だったようです。

結果的には皆さん、理解して下さったようで、後に引かないで済んだようですが、当初は自分がやった事に思い悩みました。

「『それでも地球は動いている』って言えるのか?」(いや、自分を肯定できるのか?)
「虫の居所が悪かったという訳じゃないんだろーなー?」

いやいや、あれを平気でいられる自分になりたくなかったのは純粋な気持ちであり、たとえ世界中を敵に回しても、私にとっては真っ当な声だった、と確信しました。

幸い、皆さんが理解して下さったようで、26日のライヴに参加します。


ところで、10/7水曜日、関内の横浜バロック合奏団のサロンで、アストロノーツのタンゴLIVEをやる事になりました。写真は、先日のミントンハウスでのアストロノーツの演奏風景です。ミントンハウスのRashisuさんが撮って下さったものです。

10/7についての詳細は、また明日。
ミントンへ聴きに来て下さった方にとっては、「一難去って、また一難」か?