室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

”春の楽しいジャズ祭り”

2006-04-27 11:57:26 | Weblog
 ある仕事がきっかけとなって、トラッド・ジャズに足を踏み入れて4年になる。
春と秋に行われる”新宿トラッド・ジャズ祭り”。一昨年の秋から、演目に参加させて頂いている。コンボでのピアノの役割としては、まずは”イントロ出し”が大変だ。少しは変化をつけたい、などと思って出た挙げ句、違う調性に行ってしまったり、テンポが違ったり・・。 ”エンディング”は大抵、メロディを中心になって吹いている人に付き合って終わるのだが、一昨年の秋の時は、気がつくと肝心のテナー・サックスが忙しすぎて、なかなか現れず、ピアノでやらなくてはならない事になったのだが、うまくできず、この時以来、”エンディング”が課題となった。去年の春の時は、”歌わせるアドリブ”が課題だった。
 どれも、引き続き課題だが、これからは”少しは素敵に”を課題にしたいなぁ・・。今年の”春の楽しいジャズ祭り”は5月13日。新宿文化センター全館貸し切りで12時~20時半まで。「そういえば、去年このブログを初めに書いたのが”春の楽しいジャズ祭り”の件だった。あの時の不思議な感動」今年もあるかな・・?

サイボーグ時代の恐怖

2006-04-25 22:43:01 | Weblog
TV で「サイボーグ時代」の到来を立花隆さんがリポートする番組を見た。
人間の機能の損なわれた部分を補う技術の向上は素晴らしく、明るい未来を見せてくれたと思ったのだが、人体の神経とコンピューターを接続して、遠隔操作でロボットの腕を動かす技術を見せるあたりから、不安が募ってきた。こういった技術が武器に成りうるのではないか・・?
 案の定、そこから先は、軍事施設による研究のリポートだった。マウスの脳に機械を取り付け、指令とご褒美の「快感中枢の刺激」とでマウスをコントロールして迷路を通らせる技術は、テロリストの手に渡ったらどうなるのだろう。最終的には、戦闘機に乗ったパイロットが脳内で思った瞬間に武器を発射できるところに繋がっていくそうだ。
 水爆は保有者同士の監視下でバランスを保たれている。クローン人間の開発は世界中で禁止され、研究もストップしている。サイボーグ技術はどうなのだろう。「よその技術が進む前に、開発しなければならない」とアメリカ国防省では言っている。科学技術は人類の幸福のために前進するべきなのに、今までに無い恐ろしい力に支配される事態になるかもしれない恐怖。
 近未来映画の恐ろしいシーンが現実になる前に、人類は考えなくてはいけない。

袖振り合うも・・

2006-04-24 16:34:47 | Weblog
2~3日前の帰りの東海道線での出来事。
東京駅でかろうじて空いている席を見つけ座ったのだが、左隣にかなりな酩酊状態の30代後半の太め不摂生若年寄がいて、寄りかかられ、押しつぶされそうになった。すると右隣の50前位の男性が。ご親切にも「どちらまでですか?換わりましょう。」と云って下さった。「戸塚です。大丈夫です。」と答えたが、立ち上がって下さったので換わって頂いた。今時珍しい親切さだ。「降りるのは横浜ですが、勤務は戸塚です」と云われ、時々若年寄を払いのけながら話かけられ、ローカルな話題でずっとおしゃべりしてしまった。その方が横浜で降りると、一部始終を見ていた、目の前の70代男性が、やはり若年寄の楯になるように座った。「私はさっきの人の様にやさしくないから、こんな奴は、こうしてやる」と、もたれかかってくる若年寄の頭を手で押し返したりしながら、話しかけて来た。すると突然「ボクセキっていう言葉を知ってますか?」と聞かれた。いきなり云われてもピンと来ない。「同情を欠く木石の如き女って云うんですよ。」根底に女性蔑視の臭いを感じて、丁寧に受け答えをする気力が下がった。「さあ?初めて聞く言葉です」と答えると「この言葉を知らない?知らないのかあ。驚いた!」などと云われた。何か、おしゃべりをしたかったのだろうが、悪い人ではないのだが、不器用な質というか、説教系に傾くお年頃なのだろう。きっと家に帰ったら「今日、電車の中に”木石”を知らないヤツがいてね、まいっちゃうよ」なんて云うんだろうなあ。
 戸塚に着くと「いや、失礼な事を言いました」と云いながら説教オッサンも席を立ち、若年寄も立ち上がり、共に左のドア方向へ行ったので、私はより階段に近い右の方のドアへ向かった。それにしても、今時珍しい、やたらと話しかけられる晩だった。

文化的集会

2006-04-23 13:07:51 | Weblog
セヴラック協会の定例会に行った。
元々大ピアニストなのだが、去年から「左手のピアニスト」としてマスコミ的にも大ブレークされてしまった舘野泉さんを中心に、フランス近代の作曲家セヴラックの愛好者が集まり、作品や人となり、背景にまつわる話題をテーマに年2回の定例会が開かれている。第1回に行って以来、いつも仕事と重なってしまい、出席できなかった。今回も講演も演奏も聴けず、懇親会から参加した。
集会場に行ったら、今まさに末吉保雄作曲の新曲が演奏された興奮がむんむんと立ちのぼって、開かれたドアから溢れてきていた。それを聴けなかった者としてはバツが悪い事この上ない。 しかし、懇親会でしばし飲食を共にしている人々を見回すと、皆さんが幸福感に満ちた顔つきで、その場にいる事を心から愉しんでいる事に気がついた。全員が幸福な笑顔を表情に登らせていた。それだけの事ができる舘野さんの”力”に改めて感服する。末吉先生とは卒業以来お目にかかっていなかったかもしれないのだが、覚えていて下さって感激だった。その新作、5/7に聴かせて頂こう。先生とざっくばらんにお話でき、初めて会った方達とも意見の交換ができ、遅ればせながら、私も皆さんの笑顔を共有できてたかもしれない。

今の高校生活

2006-04-21 13:04:11 | Weblog
久しぶりに仲良しの ファゴット嬢が遊びに来た。
今月から、県立高校の非常勤講師になったそうだ。偉い!
ところで、きょーび、高校生は、授業に飽きると”お化粧なおし”か”携帯”を始めるのだそうだ。大変な時代だなあ。当のご本人は全くノーメイクで美しい美人なのだが「逆に、すっぴんで来られたら誰だか顔がわからないかも」と云う。”携帯”もね~。文字変換で漢字は出てくるし、英語のスペルも出てくる機種も多い。便利だが、遊んでいるのか勉強しているのか区別がつきにくい。先生側は出来うる限り、予め想定して「この教室の時計で10分過ぎたら遅刻ではなく欠席です」とか「冬に教室内にコートを着ないこと。コートを脱いでいられる服装で来ること」など、携帯以外にも細々としたルールの確認をしょっちゅう生徒にするそうだ。大変そうだ。
そんな状況下で、いかに生徒たちに興味を持ってもらえる内容の授業にするか・・。生徒たちが持って来たCDを皆で鑑賞して感想文を書くコーナーもあるらしい。私としては、世界中の沢山の音楽の中のひとつである認識と、最新の音楽でも歴史の継続性と無縁ではありえない認識をとらえる指導ができたらいいけどね・・と云ってみたが、ムズカシイんだろうなあ。

お風呂ずき

2006-04-20 22:10:33 | Weblog
お風呂好きである。
充分に身体がほぐれるまで、のんびりと浸かる。冬場は特に、固く結び合っている体中の細胞が解きほぐされる瞬間が堪らない。眠くなってから入る事が多いせいか、湯船に浸かっていると、たいてい居眠りをしてしまう。鼻や口にお湯が入ってしまう事もしばしば・・。「溺れるかと思った」などと独り言を云ってしまう。
 焦って目を覚ますと、足の指のあいだに手の指を挟み込んで足首回しをする。ついでに舌を出しながら、心の中で百まで数える。それも、フランス語で数える。先にcentまで数えたら、反対の足はcentからzeroまで50で反対回しして数える。子供の時にIQが140以上あったという噂のある叔父が「息子(従兄弟)とお風呂で数字を逆に数えていた」と云っていたのを思い出したのだ。もう遅いかもしれないけど、少しは脳が活性化するかしら・・?などと思いながら、quatre-vingt-dix-huit, quatre-vingt-dix-sept, えーとZzzz...おっと、また寝てしまった。quatre-vingt.. zzz
どうしても右足の方が沢山回してる気がするなぁ。

これで良いのか、ニッポン!?

2006-04-16 12:45:13 | Weblog
韓国ドラマ「チャングムの誓い」を時々見ている。
勧善懲悪で”良いもん”と”悪もん”がハッキリしている。しかし、時代劇の上流社会の中で優秀で勇気があり、明るく、そして寛大さも持ち合わせた人間を理想像として描いている。それは、今日の韓国で理想とされる人間像なのだろう。それに比べて、日本のドラマは何を描いているだろうか?ドジだが明るいキャラクター、落ちこぼれが特技を足がかりに頑張れる人になる話・・などばかりが目につき、エリートは常に冷たい堅物で歪んだキャラクターに設定されている。これでは誰も優秀でしかも性格的にも優れた人間像を目指さなくなる。勿論、”完璧な人間”などありえないが、少なくとも目標とする社会であるべきと思うが、どうだろう?
今TVを付けると軽妙に即応対できる弁護士らしくないタレント、経済学者らしくないタレント、医者らしくないタレント、教師らしくないタレント・・のオンパレード。意外性のある”面白い応え”を瞬時にできる事が”タレント”とされ、もてはやされる。”意外性””らしくない”が価値観を持ち、社会を壊していないだろうか?古い価値観に戻るべきと云いたいのではない。”意外性”の価値は信頼できる”本来の姿”の存在が不可欠だという事。そして”良い理想””理念”が安全で良い社会の基礎だという事を忘れてはいけないと思う。

マラソン演奏

2006-04-15 17:01:55 | Weblog
ある協会の大物会長の告別式での演奏に室内楽で呼ばれて行った。
列席者七百人の大会場で、迎賓、献奏、指名献花、一般献花、お清め会場演奏・・と10時半から2時までの間、弔辞と弔電の間の25分と弦楽四重奏が演奏してくれる15分以外、ずっと弾いた。
 内容的には演奏会のようなレベルを求められており、良いメンバーが集められていた。当然、アンサンブル用編曲も何曲も見直しをし、何曲かは改訂版を作り、練習もした。ホテルの二会場を使ったが、お清め会場の方は入っているPAがよく聞こえず、毛足の長い絨毯に音をたっぷり吸われ、かなり頑張らざるを得なかった。靴のヒールが絨毯に埋まり、自由が利かないのも弾きにくい要因になった。緊張と極度の頑張りの耐久レースとなり、最後の15分は右手の小回りが利かなくなった。肘から先がブロックされたみたいに指のコントロールが利かず、ビックリした。
 でも頑張れたのは、一緒に演奏をしていた仲間の”耳”があったからだ。実は、演奏の本番中は、お客さんの”耳”より、シビアな共演者の”耳”が気になるものだ。「こんな程度のヤツとやってるなんて・・」と思われたくないからだ。実際はどう思われるのか、普通は誰も云ってくれない。しかし、ソロを弾いた時にフルートのYさんが「大変美しかった」と云ってくれて、その一言のお陰で最後まで張りのあるペースを保つ事ができた。Yさん、ありがとう。しかし、翌朝は、流石に指の関節靱帯が疲れていた。

幾つもの扉

2006-04-12 22:01:17 | Weblog
少女A時代からピアノを弾く事でお金を頂き始めて、ちょうど30年になる。(あらまっ!)
クラシックのピアノの修行をしながら、ピアノで遊んで来た事が活かせたらいいな・・と思って、先生にも友人にもナイショで仕事を始めた。でも、色んな事をやってきた事が今日、役に立っている。クラシックだけでなく、タンゴの仕事をやったり、ジャズにチャレンジしたり・・いや、編曲したり、出版したり、頼まれて作曲したり、ワラジの数で云ったらうちの玄関と同じ。いったい何足だろう・・?どれも面白くて、たまらない。
 かなり以前に放送された「幸四郎襲名」をNHKのアーカイブスで夜中に見た。歌舞伎俳優でありながら「ラマンチャの男」をはじめ、色々なミュージカルに出演しつづける松本幸四郎さんの襲名の時のスペシャルだ。番組の中で「歌舞伎もミュージカルもやればやるほど別々の道で離れて行く。引き裂かれるようだ」と語っていた。私は幸四郎さんほどの者ではないが、近頃”別々の道に引き裂かれる”のを感じている。殊に3月に”モーツァルトづくし”をやって以来、以前は音楽のジャンルにこだわりは無いと思っていたのに、心持ち、気持ちのポジションの違いをはっきりと感じる。1本の廊下に面している幾つかの扉をひとつずつ開けて色んな事をやっているのだから、皆つながっている筈なのだが、扉の奧が深くなって来ると端と端では遠くなるのかな・・。まあ、どれも面白いと思ってやっているんだから、考える事もないか・・。

ゴンタ・ライブ

2006-04-10 12:52:08 | Weblog
久しぶりに、タンゴのライブに行った。
ベテランのタンゴ歌手、Mさんのライブ出演を頼まれたのだ。バンドネオンのマエストロとご一緒だったので、アレンジの心配はいらない。大江戸線の牛込神楽坂駅から5分ほどのビルの地下のシャンソニエみたいな雰囲気のお店だ。レンガで柱や仕切りが天井まで立っているので「地震に強いですかね~?」「いやあ、柱芯がどうか次第だからね・・。」なんて話になる。しかし、床が妙に柔らかい箇所があり、バンドネオンは弾きにくそうだった。
 7時からのライブの前にリハーサルをするつもりで6時から行ったが6時半にはお客様勢揃い。本当は歌手との合わせ確認をしたかったのだが、歌手はお客さんのお相手に奔走。結局、曲目を聞いて譜面を揃える程度で、すぐ本番。やってみると案の定、同じタイトルなのに明らかにバンドネオンと違う編曲の譜面がある。あ~あマズイよねー・・と思うと、演奏で思いっきりメリハリ付けたくなってしまう。お陰でグリッサンドが激しくなり、爪の付け根が赤く腫れた。
う~ん、ライブは独特の楽しさもあるけどね。毎日やったらボロボロになるだろうなあ。