( 伊勢神宮 滝原の宮 )
神道 ( シントウ ) については、司馬遼太郎に全面的に共感する。
以下、『この国のかたち五』 の 「神道」 から。
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神道に、教祖も教義もない。
たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底つ磐根の大きさをおもい、奇異を感じた。
畏れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。
むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、それを見習ってできた風である。(神道一)
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古神道というのは、真水のようにすっきりとして平明である。
教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在す(オワス)。
例として、滝原の宮がいちばんいい。
(瀧原宮鳥居)
滝原は、あまり人に知られていない。伊勢にある。伊勢神宮の西南西、直線にして30キロほどの山中にあって、老杉の森にかこまれ、伊勢神宮をそっくり小型にしたような境域に鎮まっている。
場所はさほど広くない。
森の中の空閑地一面に、てのひらほどの白い河原石が敷きつめられている。一隅にしゃがむと、無数の白い石の上を、風がさざなみだって吹いてゆき、簡素この上もない。
十世紀初頭の 『延喜式』 にすでにこの滝原の宮のことが出ている。
「大神 (伊勢神宮の内宮) の遥宮 (トオノミヤ) 」というのだが、遥宮の神学的な意味はわからない。神名の記載もない。
このふしぎな滝原の宮と、それを大型にしたような伊勢神宮との関係についても古記録がない。
本居宣長のいう言挙げ (コトアゲ) しないまますくなくとも十世紀以来、滝原の宮は伊勢神宮によって管理され、祭祀されてきた。神道そのものの態度というほかはない。(神道三)
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平安末期に世を過ごした西行も、(注:伊勢神宮に) 参拝した。
「何事のおはしますをば知らねども辱さ(カタジケナサ)の涙こぼるる」
というかれの歌は、いかにも古神道の風韻をつたえている。その空間が清浄にされ、よく斎かれていれば、すでに神がおわすということである。神名を問うなど、余計なことであった。 (神道四)
(伊勢神宮内宮)
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まとめれば次のようになる。
古神道においては、神を感じ、その空間を清浄にすれば、そこが聖地となり、社である。社殿さえも必要としない。
神名 (祭神) を問うなど余計なことである。西行も、あの伊勢神宮に参拝して、「何事のおはしますかは知らねども」 と詠んだ。
「言挙しない」 のが、神道の態度である。説明しないし、議論しない。教祖も教義もない。